飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

春の東北の旅 その3

2022-05-18 20:18:46 | 旅(freedom person)

今日は、角館から盛岡、そして、宮沢賢治を訪ねて花巻に進みます。

 

今朝の朝食。

定番のうどんですが、この辺の名物のわかめの揚げ物に、さやいんげんを入れました。

朝食が終わった後は…。

豆からミルしたコーヒー…。

私…。車中泊の朝のコーヒーは、結構こだわっているんです。

 

まずやってきたのは、北の京、角館。

もうここに来るのは何回目でしょう。

桜が咲くころは、本当きれいです。

でも、新緑の角館もなかなか…。

歩いて、町をぐるっと回ります。

 

そのあとは、秋田駒ケ岳へ…。

ここの中腹に、私が知る限り、本州で最も遅く咲くソメイヨシノの並木があるのですが…。

さすがに遅すぎましたね!でも、まだ、少しだけ花がついていました。

 

残念でしたが次に進みます。

やってきたのはぴょんぴょん舎。

冷麺が有名なお店ですね!

私もここに来るのは久しぶりです。

もちろん、注文するのは冷麺。

今の季節はナシが入るんですね!

いつもはスイカが定番だったと思います。

 

昼食も済ませて…。

今回の旅のメインイベント!

宮沢賢治記念館。

宮沢賢治は、生前はまったく無名の人でした。

有名になったのは、彼の死後なんです…。

生きていた時は、周りからは、ただの変わり者的な扱われ方だったようで…。

でも、彼が作り出した童話は、後に多くの人の心をつかむことになります。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の一部分に…。

「褒メラレズモセズ、苦ニモサレズ…。」というところがありますが…。

これって、ある意味、「がんばってはいるんだけど、誰も認めてくれない…。でも、それはそれでよい…。」という、彼

自身の慰め、諦めを表現しているように、私には感じられます。

でも…。

宮沢賢治は、理想ばかり追い求めていたかもしれませんが、常に人として正しい生き方を貫いた人です。

そんな彼の生き方は、私は大好きです!

 

宮沢賢治記念館の後は、彼自身が名付けたイギリス海岸へ。

残念ながら、名前の由来となった、白い川底は増水で見えません…。

この白い川底が、イギリス ドーバー海峡の崖と同じ地質だったため、宮沢賢治はこの名前を付けたそうです。

 

お次に向かったのは…。

花巻空港。

実はこの空港、今回の私の旅のBGMで聞いていた、松任谷由美の「緑の町に舞い降りて」が、テーマ曲としていつも流さ

れています。

そして、ここには、ちょっとマニアックなものが…。

零戦のプロペラ及び、ハミルトン式可変ピッチ機構です。

もちろん本物です。

(可変ピッチ機構とは、自動車や自転車の変速ギアのようなもので、速度によって効率の良いプロペラの角度に変えるも

の)

現在、このハミルトン式可変ピッチ機構を使った飛行機は、すでに日本にはなかったと思います。

私の記憶が正しければ、航空自衛隊でかつて使っていた練習機T6が最後だったと思います。

このハミルトン式可変ピッチ機構には、ちょっとした逸話があります。

もともとこの機構はアメリカの特許。

太平洋戦争の開戦とともに、三菱が零戦をはじめ多くの飛行機にこの機構を採用しましたが、戦争中であったため、その

特許料を支払っていませんでした。

しかし、それではまずいだろうと、終戦後、三菱はアメリカにこの特許料を支払いに行きます。

「1セントもごまかすつもりはないから、特許料を請求してくれ。」と、いったところ…。

「じゃ、特許料は1ドルだ!1セントもまけないからな!」と、返されたそうです…。

おそらくですが…。

太平洋戦争開戦の初期だけとはいえ、アメリカ軍を苦しめるほどの零戦を作った、日本の技術者に対する畏敬の念が

あったのだと思います。

こんな逸話も既に忘れ去られそうなので、ちょっとこのブログに書いておきます。

 

花巻空港を後にして向かったのは昔話の里、遠野。

今夜はここで一泊です。

夕食は…。

ダッチオーブンの蓋で、鶏肉バーべキュー。

それに…。

三陸、山田町産のシラスの刺身にサラダです。

明日は三陸を巡ります。

 

コメント
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