ビール飲みオヤジの日々雑感

ビール飲みオヤジが日々感じる雑感を徒然なるままに。

芥川也寸志さん

2005年04月30日 | 音楽
芥川也寸志さん(敢えて先生とは呼ばない。)とは交流があったわけではないが、オヤジにとっては因縁浅からぬ御縁がある。

まず、実はオヤジの小学校の大先輩である。丁度、オヤジが6年生の時に学校は創立100周年を迎え、在校生から募集した歌詞に芥川也寸志さんが曲をつけて「100周年を祝う歌」ができた。

そして大学時代に、NHKで芥川さんが黒柳徹子さんとやっていた「音楽の部屋」という番組で「101ストリングス」の再現というテーマの時に出演し、芥川さんの指揮でチャップリンのライムライトやチャイコの弦セレの終楽章を弾いた。当時NHKが後援していたジュネスミュジカルオーケストラに関わっていた関係で、レギュラー出演の東フィルだけでは人数もギャラも足りないということか、アマチュアの我々が駆り出されたのだ。勿論ギャラ無し。今でも録画したビデオは宝物。

同じく大学4年の時に、大学が創立125周年を迎えた記念式典で100周年の時に団伊玖磨氏が作曲した「祝典曲」を演奏することになった。当初は当然作曲者の団氏が棒を振ることになっていたのだが、当時の「シルクロード」ブームでTV番組のロケが入ってしまった団氏に代わり、戦争直後の2年間この大学の附属の中学で音楽の先生をやっていたという縁で芥川さんが振ることになった。

アマチュア音楽に熱情を傾けていた芥川さんにとって、日本最古のアマチュアオケの印象は「下手くそ」・・・に近い酷評だったと記憶している。
とにかくくらいついて、本番はそれなりになった(とオヤジは思っている)。今でも芥川さんのサイン入りで、指揮する芥川さんとコンマス席に座るオヤジが写っている写真もまた宝物だ。

またオヤジにとっての最初の芦響の定演が、なんと1989年の芥川先生追悼演奏会だった。
チューニングが終わって、舞台袖に立ち、挨拶する松島団長の話の長かったこと・・・。
そして今回故松島団長、そして故芥川さんを偲んで2曲も芥川さんの曲を演奏する。

オヤジの勝手な思い込みだが、今回の定演はオヤジにとっても特別な想いがある。
コメント (2)
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