小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

東海道途中下車の旅-2 多治見 その3

2012-03-14 22:43:38 | 旅行

東海道途中下車の旅-2 多治見 その3

相変わらず、リコーGXR+マウントA12+フォクトレンダーカラースコパー35mm F2.5 PIIで撮影しています。だんだんこの組み合わせの絵にも慣れてきて、けっこういけるかもしれないと思うようになってきました。

さて、本館向かいの古陶磁資料館に入ります。







ペルシャ、中国、朝鮮、日本の古い陶器が展示差されています。





裏庭には桃山様式の半地上式穴窯があり、年に1,2回焼成されるそうです。





ペルシャ・セルジュク朝 ラスター彩 タイル  11~12世紀

みんな加藤卓男さんが収集したものですよ。すごいものです。



スペイン・マニセス ラスター彩鳥文鉢 17世紀



イラン・グルガン 青釉動物置物 12~13世紀



イラン・グルガン 青釉銀化水注  青釉が土中で銀色に変化したもの。 青釉はいいな。



イラン・パボール 青釉双鳥文鉢 13~14世紀 イラン・アモール 青釉鳥文鉢 14世紀



ペルシャ三彩彫花文鉢



青釉双鳥文鉢



イラン・アモール  青釉点文鉢 14世紀



ペルシャ三彩鉢



ここから日本の美濃古陶器ですが、ペルシャの三彩の影響を受けているとは思いませんか。
美濃焼の日本離れた模様は、どうしてこのようなパターンが生まれたのか不思議でした。日本人のオリジナルにしては斬新すぎます。どうも、シルクロードのパターンの影響を受けているとしか思えません。



弥七田織部高台鉢 美濃 江戸時代 





青美濃幾何文向付  美濃・倉屋敷 桃山時代 16~17 世紀





織部 桃山時代 16~17世紀






隣の常設窯出し市をちょっと覗きます。



あんまりいいものを見た後では、申し訳ないけれど普及品の焼物は買う気が起きません。
ごめんなさい。

ウイキペディアから織部焼に関する記述をちょっと紹介します。千利休の弟子であった大名茶人、古田織部の指導で創始され、織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器などを多く産した。当時の南蛮貿易で中国南方からもたらされ、茶人たちに珍重された交趾焼(華南三彩)を元にしたと考えられる。釉薬の色になどにより、織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部などがあるが、緑色の青織部が最も有名である。織部黒・黒織部は茶碗が殆どあり、それ以外は食器類が大半を占める。>





黒織部

幸兵衛窯のようにパターンの発祥と伝搬を軸に説明してくれると、当方にはとって理解できるのです。他のところで中国、朝鮮から色々な文化が日本に入ってそれがいかに変化して日本独特の文化になっていったのかというきちんとした説明に出会ったことがありません。その中心人物である渡来人の話も陰にかくれています。どうしても意図的に、朝鮮からの文化の移入をぼやかしておきたいという戦前の日本の意図がそのまま後尾引いているに違いありません。もういい加減に、きちんとした説明をしないと、とっても困ったナショナリズムが発生してしまいますよ。加藤卓男さんや幸兵衛窯を見習ってください。
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東海道途中下車の旅-2 多治見 その2

2012-03-13 21:57:36 | 旅行
東海道途中下車の旅-2 多治見 その2



これは加藤卓男さんのノートです。加藤卓男さんの情熱のすごさがこのノートにみてとれます。シルクロードのあちこちに旅して、陶器の研究を続けて、試行錯誤を繰り返していたことがわかります。



大変な努力をしているのです。



もっとも古い時代(紀元前10世紀から紀元後5世紀)のシルクロードです。



紀元後7世紀から13世紀あたりから直接西の文化がシルクロードを経て日本に到達していたのです。



紀元後14世紀から18世紀は海のルートが中心となり、大陸のシルクロード拠点は衰退してゆきます。
この間に、シルクロードの拠点では色々な陶器に技術が生まれては消えて行ったのです。
紀元9世紀のころのメソポタミアで生まれたラスター彩に加藤卓男さんは特に魅かれ、それを多治見で再現し、独特のラスター彩が生まれたことが加藤卓男さんの一番の特徴となっています。メソポタミアで金属の使用が制限されたことにより生まれた、金属のような光沢をもつ陶器です。加藤卓男はラスター彩の復元に20年を費やしているのです。









このラスター彩が日本の感覚と上手くドッキングしたことにより、現在の我々の持っている西洋と東洋がミックした感覚によくマッチします。加藤卓男というとラスター彩と決めつけますが、彼がそれ以外にとてもいい感覚で、シルクロード上の陶器を日本陶器に取り込んでいることがわかりました。さっきから引き込まれている青釉は、ペルシャンブルーといわれている西アジアで最も古い釉薬です。5000年前から使われていたと考えられています。イスラム時代に花咲いて、13世紀モンゴルのペルシャ侵略で衰退したと言われています。加藤卓男の青釉が当方を最も惹きつけます。焼物は釉薬と焼き方による色の出し方にその究極の目標があるということを思い知らされました。









加藤卓男は色々な試みをして、青彩を表現しています。もう一つは三彩です。三彩は唐三彩を源流としてペルシャ三彩からイタリア三彩にまで広がります。日本では奈良三彩として伝わりました。加藤卓男は正倉院におさめられている焼物における奈良三彩の復元を政府から依頼されて、これに挑戦します。一彩、二彩、三彩と試行錯誤を続ける加藤卓男の軌跡が飾られています。この三彩が美濃焼の中に流れ込んで、今の美濃焼が出来ていると思われます。美濃焼とシルクロードの関係は明日にでも勉強してみましょう。








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東海道途中下車の旅-2 多治見 その1

2012-03-12 22:47:09 | 旅行
東海道途中下車の旅-2 多治見 その1

2月28日神戸に仕事で行くことになりました。また途中下車の旅が出来ます。今回は琵琶湖を離れて岐阜の多治見に行きました。多治見へは名古屋から中央線快速で30分、内陸へ入ります。美濃焼の里です。名古屋を中心に、瀬戸、多治見、常滑、伊賀、信楽など続々と焼物の里があります。なぜ多治見を選んだか、結構深いわけがあります。これからの人生の一つの選択肢として、どこかの窯に入り込んで、焼物にのめりこむことを考えているからです。もうこの辺で世俗とは縁を切って生活するということを考えてもいいのではと思っているのです。うじうじこれまでのことに足を突っ込んだり、抜いたりしているよりすっぱりと縁を切る、切るなら切るで、徹底してやった方がいい。東京にするか、京都にするか、沖縄にするか、多治見にするか。  でもね、資金がいるのです。今働いているのは、いやこれまでベンチャーを作って働いてきたのもみな、その資金を得るためだったのです。
   奄美大島で余生を送った田中一村のように、全てを捨てて、お金なぞなくてもボロ家にすんで、絵を描き続けて死ねばいいという、そこまではとても考えるとこが出来ません。これからわずか10年もないのに、すべてを捨てて、陶芸あるいは絵を始めても、すべてを捨てた意味を見出せるかどうか全く分からない。才能があっても、なくてもさまになる一芸に達するまで、10年なんてとっても足りる年数ではありません。
  そんなわけで、どうやって資金を作るかというまったくの世俗行為と、どこでどうやって世俗を捨てるかの模索を並行してやっているのが現状なのです。アホかといわれても、当分この双方を追いかけるでしょう。なんとなく、それでいいと上賀茂神社の神さまが言っているような気がするのです。答えは自然と表れるでしょう。
  多治見の駅前ホテルで一泊して、市之倉地区の幸兵衛(コウベイ)窯に向かいます。<1804年、初代加藤幸兵衛が開窯して、江戸城本丸、西御丸へ染付食器をおさめる御用窯となった。六代目加藤卓男は人間国宝となり、七代目加藤幸兵衛と次代の加藤亮太郎が現在活躍中である。幸兵衛窯はミシュラングリーンガイドの二つ星に認定されている>とパンフレットに書いてあります(ものすごくはしょりました)。

結論をいうとここはとってもいい所だ。なぜかというと全て撮影OKであるから。この3人の焼物もとてもいい。沖縄のやちむんの旅から日をおかずにまったく毛色の違った加藤一派の焼物を見て、これだけ焼物を頭に叩き込こんだら、何かが生まれなければウソだ。











人間国宝、加藤卓男さんの作品を少しのせました。この説明と続きは明日。今回もリコーGXR+マウントA12+フォクトレンダーカラースコパー35mm F2.5 PII一本で全ての撮影をしています。ピントが合えば、おそろしく細密な描写をみせます。
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沖縄陶器(やちむん)の旅、リコーGXR試写レポート その9 (最終回)

2012-03-11 23:15:11 | 旅行
沖縄陶器(やちむん)の旅、リコーGXR試写レポート その9 (最終回)

リコーGXRとマウントA12について

GXRマウントA12という本を買ってしまいました。カメラごとに日本カメラから発売される、説明本です。ということはマウントA12は相当な読者がいるとふんだわけで、そのすじではマウントA12は注目されているということです。新旧Mマウントレンズが楽しめるマウントユニットと添え書きがしてあります。これまでにマウントA12でペンタックス100mm macro、ペンタックス43mm limited、ツアイスplaner 50mm F1.4, フォクトレンダーカラースコパー35mm F2.5 PII、の4本を試しています。この本にはマウントA12に取り付けられる新旧レンズがいっぱい載っていました。残念ながら、このマウントA12で使える当方の手持ちのレンスはこれだけしかありません。でも、この本を読んで、ひょっと気が付きました。数十年前の捨てないでおいたミノルタの古いレンズ50mm F1.4がAマウント用アダプターを買えばつけられるのです。そうですGXR+マウントA12の魅力はあれやこれや色々なレンズを使うことを夢想することに尽きるのです。(夢想というのは、みんなレンズが高いから、そうおいそれと買えないということです)。ニコン、ソニー、フジフィルム、ペンタックス、オリンパスその他のミラーレスにはどれも色々なレンズが付けられるはずです。アダプターがどんどんそろってきているのです。GXR+マウントA12でなければならない理由はといわれると、いまのところ当方もわからないし、専門家も本当のところ分からないのです。それほどに色々な組み合わせの可能性があって、誰も一概に結論を言えないのです。見方をかえれば、奥深く面白い世界がGXR+マウントA12にあるということです。こんど4月にロンドンに行く予定ですが、その時にどんなカメラとレンズを持ってゆくか、いろいろ悩んでいます。GXR+マウントA12で可能性が広がったので、ますます選択が難しくなりました。これから買うことを含めれば、すべてのメーカーのレンズが対象となるわけですから。
この本を読むと、当方のGXR+マウント A12を全く使いこなしていないことがわかりました。それでも、現在の状況での感想を書きます(もっとうまい設定をすると問題がどんどん解決する可能性が高いので、また再度、感想をリニューします。)
1、絞り目盛のないレンズは使えない。よってペンタックスDA limitedシリーズやDAタイプのデジタル専用ペンタックスレンズは使えない。よって、現行のペンタックスレンズで使えるものはとても限られてしまいます。使えるのはFA limited とDFAマクロレンズと一部のFA ズームだけです。たまたま、これに該当するレンズを3本もっていましたからいいようなものの、知らないでマウントA12を買ったらショックです。これはおそらくアダプターメーカーが工夫すれば問題が解決すると思うのですが、現状では絞り目盛を付加できるアダプターはごく限られたマウントだけです。アダプターメーカーさんがんばってください。マウントA12はMマウントを他のカメラより良く撮影できるということが中心軸にある。しかし、他のマウントも楽しめるという要素もとても魅力的です。将来はマウントA12を買い足して、色々なレンズをつけて、マウントA12ごとするっとレンズ交換するという使い方を考えています。
2、ネットでいわれている問題点は殆どが、解決できそうです。撮影中にズームバーをさわって露出設定が変わって困るという指摘は、当方も経験してとても困りましたが、なれれば便利だし、ダメならこのバーの機能をOFFにすれば解決です。電池が持たないという指摘は、バッテリーを買い足せばいいので、全然問題になりません。当方は予備バッテリーを2つ買い足しました。たいした値段ではありません。バッテリー1本で撮り続けて2時間もちます。6時間も撮り続けることはないでしょう。バッテリーが小さい方が、カメラの重量が軽くなっていいです。ピント合わせに苦労することは今でも解決できていません。ワンタッチで撮影画像を10倍程度に拡大できますから、撮ってから見てダメなら取り直すということをやっています。撮る時にも拡大できるのですが、めんどうくさくなって最近はただ目で見てピントを合わせています。やはりかなり外します。本にはフォーカスアシスト機能がついていると書いてありました。リコーの説明書にはフォーカスアシストの使い方が全然かいてないので、マウントA12専用の機能らしい。ネットではこの機能を絶賛しているコメントとこれが有っても広角レンズでうまくピントが合わないというコメントいろいろありました。当方はまだフォーカスアシストを使っていないのでコメントできません。この本にツアイスレンズを使った写真がでていましたが、ものすごくきれいな絵です。ちゃんとピントをあわせると、このカメラは驚くべき力をもっている(ツアイスレンズのおかげですが、つまりレンズの性能を引き出せる力をもっている)。
3、迫る写真が撮れないと文句をいっているのは、おそらくレンズのせいと、まだなれていないのでGXRの機能を引き出せないからでしょう。もう一つ考えられることは、ライブビューフィンダー(世の中ではEVF、electric view finderと申します)と一眼レフの実ファインダーと液晶画面のどれを選択するかの問題につきると思います。一眼レフの実ファインダーで撮ってきたので、自分が対象と向き合うのに、実ファインダーが一番、集中して図をつくれるのです。EVFの性能が悪いので、集中できないということです。液晶は論外です(スタジオ撮影は別かもしれませんが)。なんとかEVFをもっと改良してください。ペンタックスさんAPS-CではEVFを捨てるふりをしていますが(最近発売のAPS-C, K01は液晶のみ、EVFをすてています。 ペンタックスQもEVFなし)、フルサイズではとびきりのEVFを搭載してくると信じています。

なんやかんやいってもリコーGXR+マウントA12は面白いですよ。デジカメから発展する人には薦めませんが、一眼レフから発展する人にはいいですよ。買いです、絶対買いなさいとはいいません。ごく限られた人だけが密かに楽しむという感じがいいのです。周りじゅうみんながリコーGXR+マウントA12を持つようになったら困るのです。

1つだけリコーさんに苦言を呈します。バッテリーの持ちが悪いのは事実ですから、充電器を持ち歩くことは必須です。この充電器のコードが無骨で、かさばる。現在、ペンタックスのコードに付け替えて、問題は解決しています。それでも、なんでこんなどうでもいいことを言うかというと、このカメラについている機能は実際に使う人のことを考えて、それもプロフェッショナルな使い方にも対応できるように良く考えられていると思います。ところがなぜ充電器に気を使えないのですか? 充電器がなければカメラは動かないのです。他がどんなに良くても動きません。カメラだけ考えていてもだめなのです。以前に1Kgを切りながら高性能のソニーのGシリーズというPCを使っていました。そのACアダプターが大きくて無骨でした。ACアダプターなしで持ち歩くことは少ないのです。何のために1Kgを切ったPCを作ったのですか。重たいACアダプターと一緒では意味ないではないですか。このときソニーの衰退を予測しました。こんなことではだめだ。会社の各部署がバラバラに物を作っていて、血の通った製品が作れていない。どこまでも使う人のことを考えて、細部まで気を使うことに信頼を寄せていたのがソニーさんでした。ソニーはバラバラになってしまいました。その後、ソニーは改善の兆しが見えます。リコーさんのカメラに対しての思い入れはわかります。決して、キャノンやソニーのマネをすることはありません。しかし、全体として血の通った製品を作るようにしないと、ソニーといえども衰退してゆくのですから。こんなこと言いたくなかったのですが。ペンタックスと一緒になったのだし、期待しているのです。
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沖縄陶器(やちむん)の旅、リコーGXR試写レポート その8

2012-03-10 20:37:42 | 旅行
沖縄陶器(やちむん)の旅、リコーGXR試写レポート その8



やちむんの里には共同のおおきなのぼり窯が2つあります。2か月に1回くらいはどかっと窯を焚くらしいです。すごいですね。沖縄陶器はそんなに売れるのでしょうか?こんなに磁器でなくて陶器を作っているところは他にあるのでしょうか?ほんとすごいです。



読谷山地窯の誰の窯だか忘れましたが、窯のおくのほうに小さな小屋があって、面白そうだったのですが、誰もいなくてはいれません。たまたまいっしょにのぞいたおばさんに、誰もいませんね、きっとみんなやちむん祭りに出はらっているのでしょう。と言ったら、やちむん祭りを知らないという。今日でおしまいですよ、それは行かなくては、そちらの方が安くて面白いですよといったら、いくいくといって飛んでいきましたが、どうやってゆくのだろう、マイカーがないと簡単にはいかれません。



このドアの取っ手がほしいな。自分で作ろう。



一番奥の北窯あたりの作業場ですが、だれもいません。日曜だからか、お祭りに行っているからか。





これは陶芸城(金城敏幸)かな。ここは一生懸命仕事中でした。



コミュニティーバスがはしる読谷村。読谷BTから北へ、この地図から外れたところに残波岬公園があってお祭りが開催されていました。南東へ行くとやちむんの里、その先の58号線を南に下れば一時間で那覇です。

泊港の前で下りて、美栄橋駅をすぎて少し行けば国際通りにぶつかります。公設市場で魚を見たかったのですが、日曜でお休みでした。



一軒だけ開いていたお魚屋さんにアカマチをみつけました。この右の赤いやつです。南の海には美味しい魚はいないのですが、このアカマチだけはとびきり美味しい。ぜひお刺身でたべてください。



市場のそばに美味しいおさかなをたべさせてくれるというお店がありました。おさ
かな厨房、海山味。しかし、メニューは一般的お魚ばかり。今日の魚というところだけ、期待できる。ジーマミという魚を選んで塩焼きにしてもらいました。ベラ系のお魚のようです。新しいから結構おいしかったですよ(魚というのは水揚げしてから3日間くらいは新しいといえるのです。我々がスーパーで普通食べているのはもっともっと時間がたっているのです)。それと島らっきょうの天ぷら、アラ汁とごはん、もちろん泡盛。



ピンボケですみません(フォクトレンダーはあんまり近づけないということです)。この魚 たしかジーマミといったと思います。



このお店にはってあった魚図鑑。



市場中央通りのいつものお菓子屋さんで、古典的琉球お菓子を買い込む。むかしのチンスコウ(真ん中の左)は丸いのですよ。左のピンクも見た目にはドギツですが美味しいですよ。
国際通りの沖縄伝統工芸館によって、ここの漆器が2つの工房から来ていること、いずれも角萬漆器より少し安いかなとおもえること(それでも十分高いです)、角萬漆器はここに出していない事から、おそらく角萬漆器は他と一線を隔して、安い漆器を売らないのではないかと思ったのです。
それから国際通りを南に下って、中央より少し出口に近い右側、レガロパロマというお土産物屋さんに向かいます。ここはセンスのいい民芸品があつまっているのです。ぐい飲みと、お湯のみを買いました。ここでぐい飲みをかうのは2度目、ここの品はいつも愛用の品になるのです。このお店の人はいいセンスしています。手頃でいい感じのものを集めて売っているのです。お店の人にここはいいセンスしていますねと褒めてしまいました。当然という感じで、しれっとしていましたが、本当はそう言われると嬉しいはずです。



月曜は仕事をして、そのまま東京に帰ります。



今回の、とてもささやかな戦利品をご紹介します。



大わけあり品、一輪挿し(900円)。何故か3月にナデシコ。楽しく食卓を飾っています。



左はレガロパロマで買ったイッチンの黒(千何百円わすれた)で、とても使い易くて愛用しています。右は育陶園で買った黒唐草の線彫りぐい飲み(わけあり品1200円)。お酒を飲むには、ファジーさ(ゆれ)がないとお酒が進まないことがわかりました。陶芸教室の先生にきいたところ、わざわざ色むら出ないようなうわぐすりを使っていると言っていました。色むらがないところが線彫りを浮き立たせてモダンなのだが、それがいい時と裏目の時があるのです。



左が去年、右が今回、レガロパロマでかったぐい飲み。(いずれも千何百円わすれた)
いずれもとても使い易くて気に入っている。微妙な緑のユレがお酒にリズムを与えます。お酒を飲むにはこのようなファジーさが必要なのです。



島袋常秀さんの<うつわ家>で、左は去年、右は今回買った湯飲み。右はお祭りで1000円にディスカウント。模様は面白いのだが、手に持った時の感覚が軽すぎて今一つしっくりこない。女性に受けるようにわざわざ軽く作っているのかもしれないが、賛成できない。あと1割重くしてください。



お祭りで買った湯飲みと小鉢(本当はこれでお酒を飲もうとおもったのです)。500円と300円。右は売り手が、わけあり品と間違って300円にしてしまったもの。これ意外と使い易く(小鉢として)、手書きで300円は大当たりです。



左は去年、博物館で買った湯飲み、まずまずの使用頻度。右は上と同じ小鉢、どうやってこのような模様を考え付くのかがとても不思議なのでまた載せました。


昔買ったぐい飲み。左は金城さん絵柄ですが、あまり使いません。やっぱりユレが乏しい。右は博物館売店で買いました。悪くは無いのですが、小さいからあまり使いません。



昔、首里城売店で買った、沖縄漆器のぐいのみ。あまり、これでお酒を飲むことがありません。漆器とお酒は相性が悪いのでしょうか。漆器でも輪島で買ったぐい飲みは、微妙なファジーさが隠されていて、ここちよいのです。
ということで、圧倒的にレガロパロマさんの眼力に軍配があがりました。



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