立秋や川辺に夕日差しきたる
二十四節気の一つで、八月七日頃に当たる。
今年は八月八日。
暦の上ではこの日から秋に入るが、実際にはまだ暑さが厳しい。
だが、ふとしたときに秋の気配を感じ取ることができる。
立秋の今日は曇っていたが、夕方に川堤を歩いていると雲間から日が差してきた。
立秋の日照雨(そばへ)となりし川面かな
立秋や川辺に夕日差しきたる
二十四節気の一つで、八月七日頃に当たる。
今年は八月八日。
暦の上ではこの日から秋に入るが、実際にはまだ暑さが厳しい。
だが、ふとしたときに秋の気配を感じ取ることができる。
立秋の今日は曇っていたが、夕方に川堤を歩いていると雲間から日が差してきた。
立秋の日照雨(そばへ)となりし川面かな
秋櫻子の赤き色紙や冬隣
立冬を目前にした頃をいう。
秋も終わりに近づくと、日差しも弱くなり、冬の到来が間近であることを感じさせる。
「冬隣」は寒く厳しい冬に対して身構えるような緊張感がある。
俳人協会が俳句文学館において、創立六十周年記念事業として「俳人協会所蔵名品展」(無料)を11月30日(水)まで開催している。
芭蕉の書簡や蕪村の自画賛などの近世俳諧の名品のほか、俳人協会歴代会長八名の色紙・短冊なども展示されている。
その中の水原秋櫻子の色紙が真っ赤で、冬隣を感じた。
冬近しすぐに暮れゆく川堤
日比谷公園
宝塚宙組を観て秋の暮
日比谷見附跡(江戸城外郭城門の一つ)
秋の一日の夕暮れをいう。
清少納言の『枕草子』には「秋は夕ぐれ」とある。
秋のしみじみとした情緒は、夕暮れにこそあるという。
『新古今集』には有名な「三夕」の歌がある。
〈さびしさはその色としもなかりけり真木立つ山の秋の夕暮 寂蓮〉
〈心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮 西行〉
〈見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮 藤原定家〉
いずれも寂しい夕暮れの風景を詠んでおり、ここから「もののあわれ」の極みという「秋の暮」の本意が定まった。
東京宝塚劇場で昼の部の宙組の公演を観てきた。
公演後、日比谷公園と皇居のお濠端を歩くと、東京の秋の夕暮となっていた。
濠の面に映るビルの灯秋の暮
誰もゐぬ秋日の草地歩きけり
秋の一日にも、秋の太陽にもいう。
秋の太陽は空気が澄んでいて、なおかつ照り方がはげしい。
秋の一日は釣瓶落しといわれるように、あわただしく暮れる。
人影のない草地に、秋の日があまねく差していた。
そこを歩いて行った。
振り向けば川に映れり秋没日(あきいりひ)
武蔵野に二百十日の雲黒し
立春から数えて二百十日目で、九月一日頃にあたる。
稲の開花期で、台風の襲来しやすい時期でもあるので、農家では「厄日」として警戒する。
今年の二百十日は、夕方、集中豪雨となり、文字通り厄日となった。
武蔵野に黒雲が垂れこめていた。
今日は、二百十日であった。
散策の豪雨となりし厄日かな