毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

ある学生からメールが来た    2011年3月1日(火) No.76

2011-03-01 19:32:14 | 中国事情

 う~む、寒い。土日が20℃以上だったのに、月曜日から手のひらを返したようなこの寒さ。現在7℃(体感温度5℃)。でも「三寒四温、三寒四温。」とつぶやき、心のゆとりをキープしている。

 さっきメールボックスを開けると、ある学生から時候の挨拶状が来ていた。その学生とはこのブログの12月24日で紹介した陳○○さんだ。
彼は、日本在住20年の原口さんが、我が大学の学生に宛てた手紙の中で
「自分の父親の世代は、日本に対するマイナス宣伝ばかりの時代だったので、中国人の自分が日本人と結婚するのに猛反対した。」
と書いたことについて、次のような返事を書いた子だ。

「日本は中国を侵略し、無残なことをしていました。原口さんは(中国)東北人としてよく知っているはずです。もし、日本がドイツのように自国の犯した罪を深刻に認めれば、中日の交流は一層発展することができるでしょう。」

 この文はおそらく、言いたくても言えない多くの日本語学科の学生の気持ちを代表するものだったと思う。文面は私に失礼なことのないように気兼ねして書いたことが分かる控えめなものだった。

 それに対して私は、wikipediaで「歴代閣僚の戦争謝罪リスト」みたいなものを検索して資料として渡し、
・1985年の村山総理談話は、日本がアジア諸国に対して正式に謝罪したものであること。
・しかし、現在の日本の状況は様々な考えがあり、村山談話の内容が全国民の心を表しているとは言い難いこと。
・それでも今、たくさんの日本の人々が、庶民の立場から日中両国の関係をより良いものにする努力をしていること。
・自分も日本人の一個人として、親の世代が中国はじめアジアの国々の人々に為した非道な殺戮により、いまだに人々の心に禍根を残していることをお詫びすること。
などを付記した。

それへの返事が来た、と思った。下記がそのメール文である。

 Subject: 春寒のご挨拶を申し上げます
Sent :Tuesday, March 01, 2011 3:51PM 

 春寒の候、先生にはご清栄のこととお慶び申し上げます。先学期は大変お世話になって、心より感謝しております。
 他でもございませんが、冬休み、私は妹尾河童が書いた『少年H』という本を読みました。
この本を通じて、私は中日戦争の間の、日本の普通の市民たちの生活状況を、Hという少年の目で少しずつ分かりました。
 先学期のある作文の宿題に、私は中日戦争について、激しい言葉を先生に読ませました。
その後先生は、日本の戦争謝罪についての資料を私にくれました。今顧みると、あの時の私は本当に失礼でした。戦争は両国にも深い被害を与えました。自分はただ中国一方のことを考えて、日本を指摘するのは、考えの浅いことだったと、私はそう思っています。
 今学期もよろしくお願い申し上げます。冬の名残がまだ去りやらぬ時候、先生のご健康をお祈りいたします。
                                     陳○○
                    


日本のみなさ~ん!
澄んだ目で見えるものを確かめ、聞こえる声に耳を澄ます、思慮深い若者たちがここ南昌にはた~くさんいるんですよ~~。 

コメント
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