東華理工大学のムラオカ先生に、「我が宿舎ベランダ前に咲き誇る桜を見に来て下さい」とメールを送ったところ、午前中、学生を連れて訪れてくださった。理工大は一番ご近所様なので両校合同の「日本語コーナー」(日本語サークルっぽいもの)をする相談もできた。
それは、いよいよ今週金曜日からスタートする。初回は「しりとり遊び」と「紙相撲大会」だ。ちょっと幼稚くさいが仕方がない。しかし、「紙相撲」は夜、自分一人で力士2人を闘わせて遊んだりしてかなり心が和んだ経験がある。決して学生が楽しめないことはないはずだ。
ムラオカ先生と杜君(学生)に、さんざん地震災害のことをしゃべくりまくり、先週からこっち緊張していた気分がかなりほぐれた。(聞いている方は逆だったかも…。)
お土産のおかきをいただきながら喋っていると、桜の木やベランダの手すりに、鳥たちが餌をついばみに来た。少しずつ慣れてきているんだなあ。久しぶりにほっこりとした一時だった。
夜は財経大キャンパスの教室を借りて運営している日本語塾みたいなところから、地震・津波・原子力発電所事故の三重災害についての話を依頼されて、しゃべりに行った。
日本語塾の学生は、日本語学科以外の財大の学生たちだ。彼らの専門は会計であったり、金融であったりするが、同時に日本語を学ぶために自分でお金を払って、この夜の塾みたいなところに通っている。
40分しか与えられていなかったので、次の内容に絞った。日本語学科3年生の楼さんが通訳をしてくれた。日本語学科の学生が実力を発揮するのは見ていて嬉しいものだった。
*この災害で、人生が全く変えられてしまった家族や人が何十万人もいること。
一例として、死んだ夫の荷物の中からホワイト=デイのプレゼントの指輪を見つけた妻の話をウエブ=ニュースから紹介した。学生にとって、ホワイト=デイはとても身近なものだ。14日に男性からプレゼントをもらった女性も少なくない。この話は、中国の学生に、(日本人も中国人と同じなんだ)という感じてもらう良い例だと思った。
ものすごい共感オーラが返ってきた。目頭を押さえる子も何人もいた。
泣かせようとして、この話を選んだ訳ではない。中国人と日本人を隔てている壁の一つに、『お互いに相手がどんな人たちなのか分からない』ということがあると思い、その垣根を取り払うために日本の普通の若い夫婦の例を選んだのだった。
*今回の災害避難時に多くの日本人が示した行動について。
何故、今回世界中で(もちろん中国国内でも)評価されたような『他に類を見ない秩序ある冷静な行動』ができたのか。
常日頃の災害学習、情報公開、広報ネットワーク。そして日本人が何百年も続けてきた行動表現様式がその根拠になっていること。「ぐっとこらえる」「どうぞお先にと譲る」「自分を目立たせない」…。これは代々、親が子に躾けてきたことで、今回の被災者が大声で泣き叫んだりする姿が非常に少ないのは、この日本的行動様式が端的に表現されたものである。表面は冷静でショックを受けていないように見えるので、(こんな大変な事態に、よくこんなに冷静でいられるものだ)と中国人は思うかも知れないが、心の中は、もうメチャクチャ傷ついており、冷静なんかでは決してない。ただ、表面に出せないのだ。だから、「そんなに傷ついていない」「地震に慣れているので平気なんだ」とは思わないで欲しい。
*ワーワー大騒ぎできない日本人だが、世界中からの援助や励ましに、どれほど勇気づけられ、心強い思いをしているか。
日本からのメールに「今日午後、中国からの救助隊が日本に到着しました。感謝の気持ちを中国の人たちに伝えて下さい。」と書いてあったことを述べた。
すると、先日1年生の教室で見たのと全く同じ反応が返ってきた。私の話を聞いている学生たちの顔が、なんて言うか、ビカ~ッ!と輝くのだ。(中国が困っている日本の人の役に立って、純粋に嬉しい!)という感じが伝わってくる。
通訳の楼さんは、私が言ってもいないことまで解説して話すので、長くなるのなんの。
最後の原発事故の処理情況と放射能もれの影響は、ささっと5分で終えた。
昨日、放水に成功したことで冷却効果が現れだしたことと電源が外部とつながったことを報告できたのは、本当に良かった。まだまだ予断を許さないものの、明るい兆しがあることを言えるのは、本当に嬉しかった~。
それは、いよいよ今週金曜日からスタートする。初回は「しりとり遊び」と「紙相撲大会」だ。ちょっと幼稚くさいが仕方がない。しかし、「紙相撲」は夜、自分一人で力士2人を闘わせて遊んだりしてかなり心が和んだ経験がある。決して学生が楽しめないことはないはずだ。
ムラオカ先生と杜君(学生)に、さんざん地震災害のことをしゃべくりまくり、先週からこっち緊張していた気分がかなりほぐれた。(聞いている方は逆だったかも…。)
お土産のおかきをいただきながら喋っていると、桜の木やベランダの手すりに、鳥たちが餌をついばみに来た。少しずつ慣れてきているんだなあ。久しぶりにほっこりとした一時だった。
夜は財経大キャンパスの教室を借りて運営している日本語塾みたいなところから、地震・津波・原子力発電所事故の三重災害についての話を依頼されて、しゃべりに行った。
日本語塾の学生は、日本語学科以外の財大の学生たちだ。彼らの専門は会計であったり、金融であったりするが、同時に日本語を学ぶために自分でお金を払って、この夜の塾みたいなところに通っている。
40分しか与えられていなかったので、次の内容に絞った。日本語学科3年生の楼さんが通訳をしてくれた。日本語学科の学生が実力を発揮するのは見ていて嬉しいものだった。
*この災害で、人生が全く変えられてしまった家族や人が何十万人もいること。
一例として、死んだ夫の荷物の中からホワイト=デイのプレゼントの指輪を見つけた妻の話をウエブ=ニュースから紹介した。学生にとって、ホワイト=デイはとても身近なものだ。14日に男性からプレゼントをもらった女性も少なくない。この話は、中国の学生に、(日本人も中国人と同じなんだ)という感じてもらう良い例だと思った。
ものすごい共感オーラが返ってきた。目頭を押さえる子も何人もいた。
泣かせようとして、この話を選んだ訳ではない。中国人と日本人を隔てている壁の一つに、『お互いに相手がどんな人たちなのか分からない』ということがあると思い、その垣根を取り払うために日本の普通の若い夫婦の例を選んだのだった。
*今回の災害避難時に多くの日本人が示した行動について。
何故、今回世界中で(もちろん中国国内でも)評価されたような『他に類を見ない秩序ある冷静な行動』ができたのか。
常日頃の災害学習、情報公開、広報ネットワーク。そして日本人が何百年も続けてきた行動表現様式がその根拠になっていること。「ぐっとこらえる」「どうぞお先にと譲る」「自分を目立たせない」…。これは代々、親が子に躾けてきたことで、今回の被災者が大声で泣き叫んだりする姿が非常に少ないのは、この日本的行動様式が端的に表現されたものである。表面は冷静でショックを受けていないように見えるので、(こんな大変な事態に、よくこんなに冷静でいられるものだ)と中国人は思うかも知れないが、心の中は、もうメチャクチャ傷ついており、冷静なんかでは決してない。ただ、表面に出せないのだ。だから、「そんなに傷ついていない」「地震に慣れているので平気なんだ」とは思わないで欲しい。
*ワーワー大騒ぎできない日本人だが、世界中からの援助や励ましに、どれほど勇気づけられ、心強い思いをしているか。
日本からのメールに「今日午後、中国からの救助隊が日本に到着しました。感謝の気持ちを中国の人たちに伝えて下さい。」と書いてあったことを述べた。
すると、先日1年生の教室で見たのと全く同じ反応が返ってきた。私の話を聞いている学生たちの顔が、なんて言うか、ビカ~ッ!と輝くのだ。(中国が困っている日本の人の役に立って、純粋に嬉しい!)という感じが伝わってくる。
通訳の楼さんは、私が言ってもいないことまで解説して話すので、長くなるのなんの。
最後の原発事故の処理情況と放射能もれの影響は、ささっと5分で終えた。
昨日、放水に成功したことで冷却効果が現れだしたことと電源が外部とつながったことを報告できたのは、本当に良かった。まだまだ予断を許さないものの、明るい兆しがあることを言えるのは、本当に嬉しかった~。