毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

貧富の差は日記にも…  2011年3月7日(月) No.82

2011-03-07 21:02:13 | 中国事情
 一昨日(3月5日)のブログに、1800元もお年玉をもらった学生の日記を紹介した。
この2年生のクラスでは他に数人が、お年玉をもらったと書いていた。
それ以外の文では、
・高校の同窓会に参加したことや友人と恩師の家に遊びに行ったこと。
・親戚が来てパーティーをしたこと。
・友だちと出かけたり、家族旅行をしたこと。
などが楽しげに書かれていた。
 (ああ、よかったなあ。家でゆっくりできたんだ)と読んでいる私もほっとする日記が多い中に、生活の厳しさを垣間見せるものもあった。

 ○順泉(男性)
 新年の前夜、父は12時ごろ家に帰ってきた。その時私はもう寝ていた。
すぐに私は両親の大きな声が騒がしくて目を覚ました。(何が起きたのか?)すぐに起きて母の部屋に入った。
 事の顛末を聞いてちょっと心を痛めた。実は、父はまた賭博をした。また300元負けた。父は大分お酒を飲んだ。瞼はまだちょっと赤い。私を見て両親は言い争いを止めた。母の目にまた涙があった。父もよく反省しているようだった。
 父は賭博を止めなければならない。私は両親と契約書を書くことを思いついた。本日から、母が許可しない限り父は賭け事をしない。もしそれに背いたら、父は家族全員にそれを公開して謝る。家のためだ。全員賛成した。
 その後、私は自分のベッドに戻った。窓から水の流れる音がはっきり聞こえた。美しい夜だったんだなあ。


*順泉さんの文を読むと、自分の子どもの頃のあの場面、この場面がフラッシュバックしてくる。私の両親はお盆だと言っちゃあ喧嘩、正月が来るっちゃあ喧嘩。またその烈しさたるや、近所のどこの家でもあんなに激しい闘いは見たことがないだろう。両親は年取ったらとても仲良くなり、私たち子どもが抱えるトラウマなど、どこ吹く風みたいな態度だったが、まあ、もう二人とも死んでしまったんだから文句を言ってもしょうがないか。



 方○○(女性)
 新年の前、他の家のみんなはとっても楽しそうに、家族や友だちと遊びに出かけていた。みんな一緒に餃子を作って、対聯を貼って、掃除をして、夕ご飯を食べていた。(うらやましかったな。)
 新年になった。街のあちこちで爆竹がバンバン鳴ったり、花火が上がったりしてとても賑やかだ。新年の雰囲気は楽しかったが、私は気持ちが暗くて寂しいと思った。私は毎日家にいたが、どこへも行かなかった。
 新年2日目、友人の謝さんからメールをもらった。
「方さん、どうして君は私たちに連絡しないんですか。何か悪いことがあったんですか。」
「謝君、何でもない。期末の成績が良くなくて、生活に自信がないんです。家族がずっと家にいません。気持ちがふさいで、どこへも行かなかった。ごめんね、みんな。」
「そうなの。2月10日、劉さんと周さんと一緒に俺の家に来ればいいんじゃないの?今俺の家は子どもが多くてにぎやかだよ。とても面白いよ。」
次の日、劉さん、周さんは私に連絡してくれた。でも私は用事があって行けなかった…。
 2月11日の朝、私は一人、厨房で朝ご飯を準備していた。
急に「方さん、おーはーよう!」と声がした。
驚いて見ると、謝さんだ。
「どうしてここにいるの?」
「しょうがないわ。方さん、君が俺の家に来ないから他の友だちも来なかったんだ。全部君のせいだ。そうだろう。」
「そうそう。じゃ、みんな私の家でご飯を食べよう。私がご飯を作ります。どうですか。」
ということで、午前中、他の友だちみんな、本当に私の家に来た。とってもうれしかったなあ!
 みんな、私のことを気にしてくれていた。私は一人じゃなくて、いつも友だちや家族が私のことを思ってくれているんだ。みんな、ずっと傍にいるね。本当に貴重な一日だったなあ!みんな、ありがとう!


*方さんは昨秋、家から突然電話があって急いで帰った。その後、彼女と彼女の家族の苦闘が続いている。具体的なことは何も言わず、いつも明るく振る舞っているが、日記を読むと、やっぱり…。
コメント
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