毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「いつまでも元気でね!ヨーコ&ポール」 2012年11月14日(水)No.504

2012-11-14 19:40:02 | 日記
かれこれ50年近く前、
中学一年生だった私の周りの友人達の圧倒的アイドルは、
The Beatles だった。同級生の女の子たちは、
「ポール、ステキ~!」
「ええ?なんだよ、あんなタレ目。やっぱジョンだよね。頭良いし~。」
「一番ハンサムはジョージだからね。ゆっとくけど。」
と、北海道の知床斜里という「地の果て」でもこんな会話で盛り上がっていた。
1965年頃の話だ。

思えばその頃、中国ではあの文化大革命が始まろうとしていたのだ。
それを想うたびに胸が痛い。

私たちが呑気に「ジョンだ」「ポールだ」
「フッ、君たち、まだまだねえ。
音楽的にはローリングストーンズが上だから~。」
などと卵焼きの弁当を食べながら口角泡を飛ばしていた頃、
同年代の中国の子供たちの多くは、とんでもなく酷い目に遭っていたのだ。

福建省出身の帰国者、山下タカコさんは私よりひとつ年上だが、
過酷な運命に遭遇した一人である。
当時、中国庶民の多くが、意味も分からずに暴力の濁流に身を任せ、
つまり、愚民となり果てて、
ターゲットを見つけては密告したり、市中引き回しをして、
殴ったりけったりしていたそうだ。
この時期に殺害されたり、自殺を余儀なくされた、
「中国の宝物」と呼ぶに値する人々の数は千人や二千人ではないという。
彼女の両親は、父が日本人、母は中国人だがその妻だという「罪」で、
札を首にかけられて市中引き回しに遭い、
しまいに紅衛兵に連れ去られて、何ヶ月も帰ってこなかった。
14歳か15歳の少女は、幼い4人の弟妹の世話をするのに、
その日食べるものもなく途方に暮れていたと言う。
山下さんの話を聞いたとき、自分とのあまりの環境のギャップに言葉が出なかった。

そんな思い出のポール=マッカートニーとオノ=ヨーコの最近の写真を見つけた。
二人とも歳は取っても元気そうで、私は嬉しい。


ビートルズが解散したとき、
「ヨーコのせいで、ジョンが変になっちゃったんだ。」
と世界中で強烈なオノ=ヨーコへのバッシングがあった。
私の同級生にもヨーコを憎んでいる子が何人もいた。
イギリスから遥か遠い日本の「地の果て」にいて、
本当のことなんか分かるはずもないのに。
ああ、踊らされる庶民。昔から、どこの国でもそうなんだ・・・。
この愚かさを如何にせん。

先日、ポールが「ビートルズはヨーコによってバラバラにされたんじゃない。
我々は自分たちでバラバラになったのだ。」
と発言して、ヨーコを感激させたと言う。
(ヨーコさん、ずうっとバッシングを受けっぱなしだったのか)
とその記事を読んで思った。
世界中から何十年もグチャグチャ言われ続けてきても、
いつもまっすぐ堂々と生きてきたヨーコ。
ここにもいい先輩がいる。
ポールだって、
「死んだジョンができない分、自分が人権活動をする。」
と言って頑張っている。
最近もロシアの女性パンクバンド釈放を願うメッセージを出していたよね。

どうしたら踊らされる愚か者でなく、いられるのか。
それは、人の言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えるしかない。
コメント
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