〈その1:オウム真理教と石原慎太郎の関係をきちんと把握しましょう〉
10月25日、東京都知事の石原慎太郎が全く突然、知事を辞任すると発表した。
理由は「国政に復帰して、仲間と一緒にやっていく」というものだった。
ぽか~ん。
病気とか止むに止まれぬ理由ならともかく、
自分から都知事選に立候補して都知事になったくせに、
気分が変わったからといって途中で放り出すなどと、
余りに我が儘勝手で無責任ではなかろか?
(ははあ、尖閣問題で日本中を引っ掻き回したり、あんまりいろいろしたものだから、
ついに都民から白い目で見られだしたかな?)
なんて思ってあれこれ調べていたら、
にわかには信じられないような大ごとが浮かび上がってきたのだ!
(て言うか、知らなかったの私だけかも・・・)
以下、知り得たことを整理してみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
石原慎太郎の突然の辞任劇は今回だけではない。
1995年、1月16日阪神淡路大震災、
同年3月20日、オウム真理教の地下鉄サリン事件と、
立て続けにとんでもない事件が日本を揺るがして、
当時日本社会党の村山富市首相は窮地に立たされた。
そのサリン事件直後の4月14日に、石原は突然、衆議院議員を辞職している。
それはオウム真理教と石原慎太郎がつながっていたため、
その責任を取らされて、唐突に辞任する結果になったということなのだ。
オウム真理教と石原慎太郎の関係は、日本の人々全員が知っておくべきだろう。
それは決して単なるゴシップにとどまらないからだ。
オウム真理教が1989年、それまで認められていなかった「宗教法人」の認可を受けた。
その背景には当時運輸大臣だった石原慎太郎の力があったとされる。
なぜか?
その2年前亡くなった弟の石原裕次郎は、何度も慶應病院で手術を受けた。
執刀医は心臓外科医の林郁夫だった。
あの地下鉄サリン事件でサリンを撒いた林郁夫だ。
その後の裁判で、サリンを散布した電車内で死者が出ていない横山が死刑で、
死者を複数出した林郁夫が死刑を免れるという最高裁の判決があった。
参考:「なぜ、横山が死刑で、林郁夫は死刑回避なのだ?」
http://www.tomabechi.jp/archives/50355710.html
これは私の憶測だが、影の力が働いたのだ。誰の力だろう・・・。
オウムとのつながりはそれにとどまらない。
宗教学者の中沢新一の証言によると、
石原慎太郎の四男の画家、石原延啓はオウム真理教の幹部であったとされる。
麻原彰晃が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は四男延啓の作である。
浜田幸一は自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、
石原が、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判している。
検察当局との「司法取引」により、公職即ち国会議員を辞職することで、
この話は闇に葬り去られた。
また、石原の四男、延啓はオウムの準幹部(官房長官副秘書官)だったが、
第7サティアンで"救出"され、保護、その後暫くの間、
高尾病院に強制入院させられていたことも初めて明らかにされた。
参考:①「オウムと石原の意外な関係」http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/691.html
②「石原慎太郎とカルト宗教(オウム)と暴力団(住吉会)」逝きし世の面影
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/61b1a52b8d1f18b77ec6459b1eee73f2#comment-list
オウム真理教は単なる呑気な宗教団体ではない。何の落ち度もない普通の生活者に多大な害を与えた。戦争と同じだ。その団体は「宗教法人」として認可されたことによって、社会に自由に放たれてしまった。
認可した者には非常に重い責任がある。刑務所に入らなあかんのじゃないか、と思う。
ましてや国政に出るなど、空いた口がふさがらない。
決して石原を当選させてはならない。
日本人の良心にかけて。
10月25日、東京都知事の石原慎太郎が全く突然、知事を辞任すると発表した。
理由は「国政に復帰して、仲間と一緒にやっていく」というものだった。
ぽか~ん。
病気とか止むに止まれぬ理由ならともかく、
自分から都知事選に立候補して都知事になったくせに、
気分が変わったからといって途中で放り出すなどと、
余りに我が儘勝手で無責任ではなかろか?
(ははあ、尖閣問題で日本中を引っ掻き回したり、あんまりいろいろしたものだから、
ついに都民から白い目で見られだしたかな?)
なんて思ってあれこれ調べていたら、
にわかには信じられないような大ごとが浮かび上がってきたのだ!
(て言うか、知らなかったの私だけかも・・・)
以下、知り得たことを整理してみた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
石原慎太郎の突然の辞任劇は今回だけではない。
1995年、1月16日阪神淡路大震災、
同年3月20日、オウム真理教の地下鉄サリン事件と、
立て続けにとんでもない事件が日本を揺るがして、
当時日本社会党の村山富市首相は窮地に立たされた。
そのサリン事件直後の4月14日に、石原は突然、衆議院議員を辞職している。
それはオウム真理教と石原慎太郎がつながっていたため、
その責任を取らされて、唐突に辞任する結果になったということなのだ。
オウム真理教と石原慎太郎の関係は、日本の人々全員が知っておくべきだろう。
それは決して単なるゴシップにとどまらないからだ。
オウム真理教が1989年、それまで認められていなかった「宗教法人」の認可を受けた。
その背景には当時運輸大臣だった石原慎太郎の力があったとされる。
なぜか?
その2年前亡くなった弟の石原裕次郎は、何度も慶應病院で手術を受けた。
執刀医は心臓外科医の林郁夫だった。
あの地下鉄サリン事件でサリンを撒いた林郁夫だ。
その後の裁判で、サリンを散布した電車内で死者が出ていない横山が死刑で、
死者を複数出した林郁夫が死刑を免れるという最高裁の判決があった。
参考:「なぜ、横山が死刑で、林郁夫は死刑回避なのだ?」
http://www.tomabechi.jp/archives/50355710.html
これは私の憶測だが、影の力が働いたのだ。誰の力だろう・・・。
オウムとのつながりはそれにとどまらない。
宗教学者の中沢新一の証言によると、
石原慎太郎の四男の画家、石原延啓はオウム真理教の幹部であったとされる。
麻原彰晃が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は四男延啓の作である。
浜田幸一は自著『ハマコーの非常事態宣言』の中で、
石原が、山口敏夫と共にオウム真理教への資金提供を行っていたと名指しで批判している。
検察当局との「司法取引」により、公職即ち国会議員を辞職することで、
この話は闇に葬り去られた。
また、石原の四男、延啓はオウムの準幹部(官房長官副秘書官)だったが、
第7サティアンで"救出"され、保護、その後暫くの間、
高尾病院に強制入院させられていたことも初めて明らかにされた。
参考:①「オウムと石原の意外な関係」http://www.asyura2.com/12/senkyo130/msg/691.html
②「石原慎太郎とカルト宗教(オウム)と暴力団(住吉会)」逝きし世の面影
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/61b1a52b8d1f18b77ec6459b1eee73f2#comment-list
オウム真理教は単なる呑気な宗教団体ではない。何の落ち度もない普通の生活者に多大な害を与えた。戦争と同じだ。その団体は「宗教法人」として認可されたことによって、社会に自由に放たれてしまった。
認可した者には非常に重い責任がある。刑務所に入らなあかんのじゃないか、と思う。
ましてや国政に出るなど、空いた口がふさがらない。
決して石原を当選させてはならない。
日本人の良心にかけて。