毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

中国CCTV『日本人の態度に感銘』   2011年3月13日(日) No.86

2011-03-13 18:53:02 | 中国事情
 実は、昨日から今日にかけ、CCTV(中国国営テレビ)英語チャンネルを観ては茫茫と泣いていた。
行方不明の子どもを案ずるお母さんがひっそりと涙を拭くその姿を見ては泣き、船に小さい子たちを乗せて、それを守るように立つ若い女性が、(大丈夫!)と微笑んで、取材者に対して拳をぐっと握り、いかに自分たちがへこたれていないかを健気に見せるその姿を見ては泣き、とにかくこんな遠くにいてただテレビを観ながら打ちのめされて泣いていた。

 しかし、日本のフミちゃん始め数人から何度もていねいな情況説明のメールが届き、3Fのカナダ人ビクトリアさんが、同情の挨拶に来てカードを渡してくれ、学生が宿題のへたくそな時候の挨拶メールをどんどん送ってくるので、(しっかりしなければ!)と自分に言い聞かせた。
ここに居てできることは何か、それを考えることに集中しようと決めた。

 こういう時のBGMはやっぱ「美しき五月のパリ」でスタートだ。お登紀さんはジャンヌ=ダルクみたいだなあ。さらにウルフルズも保存してあったので「ガッツだぜ!」から「明日がある」「大阪ストラット」「借金大王」「ワンダフルワールド」とか手当たり次第にガンガンかけた。大阪人アホアホパワーがこんなにまで気分を上向きにしてくれるとは。最後はううあの童謡シリーズだ。まっすぐで心に沁みる歌声。今日は日本の音楽に助けてもらった。

 中国国営TVのイングリッシュ=プログラムの報道は、日本の被災者に対して100%完璧に同情的な姿勢だった。
解説者(もちろん全員中国人)が何度も何度も、日本人の冷静で整然とした避難ぶり、すぐさま組織的にスタートした救助活動が強く印象に残ったことを語っていた。さらに[People are trying to show how much they are safe even though they are on the resque boats!] と感動を隠そうともしなかった。これは、若い女性が拳をぐっと握ったのも言っていたと思う。
映像では、救助された老父と抱き合い、喜びの涙を拭きながら、「嬉しいです。でもまだ救助を待っている人がたくさんいるので、完全には喜べません。」と言う40代ぐらいの女性の姿もあった。3、4歳の子が黙って人差し指で涙を拭う場面も何回も映った。これらのほとんど(いや、全て?)はNHKワールドの提供映像だ。
 
 解説者は、世界がいまかつて経験したことのないこの未曾有の災害に対して、日本の人々がまったくパニックになる気配を見せず、粛々と避難行動を展開しているのは学ぶべきであり、なぜ日本人はこうした行動を取れるのかについて、
①日常的に彼らが地震対策の教育・訓練を徹底して受けていること、
②政府が地震が起きた場合の準備を常日頃からぬかりなくしてきたこと、
③もう一つはNHKなどの情報活動が徹底しており、人々に今何が起きていて、何をしなければならないかが迅速に伝えられたこと
などのためであると説明した。
 私はこれらについてその通りだと思う。しかし、それだけではないと確信する。これは日本人の表現の仕方なのだ。特に東北地方の人々は辛抱我慢する姿勢が生きるスタイルであると思う。(大阪の人は、…ちょっと分かりません
 阪神淡路大震災のときにも、諸外国から同様の驚きの声を聞いた。「なぜ日本人はあんなにたいへんな情況の中でパニックにもならず、淡々とした態度ができるのか!?」と。我慢するのが美徳というか自然なスタイルなんだから、しかたがない。
 芥川龍之介だったかの小説で、『息子を亡くした母親が息子の先生に対して、全く動揺せず、笑顔まで見せて話をしていたが、テーブルの下の彼女の手はハンカチをこれ以上強く握りしめることができないほど固く握り、その手はブルブル震えていた。』という一節があった。こういうスタイルはかなり崩れてきている気がしていたが、そうではなかったのか。

 中国から救助隊を派遣することについては、昨日「四川省地震のときには世話になった。日本人は恩は返すのが礼儀という考えを持っている。中国は恩義を返す必要がある。」というのを聞いた。今日も「四川省の地震では本当に良くやってもらった。今度は我々が助けるべきだ。」と本当に涙が出るような言葉が次々と聞かれた。
 また、「どんな国であろうとも、このような酷い災害を一国だけで解決することは不可能だ。世界の国々が協力して援助すべきだ。」とアンカーが述べ、あのこの間まで領土問題でもめていたロシアもプーチン首相がエネルギー支援を申し出たこと、アメリカは海軍の船を福島沖に向かわせていること、イギリス63人、ドイツ40人、オーストラリア?人と援助国と人数の紹介をし、「中国もあと10人後から送る」みたいなことを言っていた。

 前半は被災者のレスキューについて、後のテーマは完全に「福島原発原子炉の爆発問題」に集中していた。それはまた明日に。
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南昌テレビがインタビューに来た   2011年3月12日(土) No.85

2011-03-12 16:13:59 | 中国事情
 昨夜発表の死者数39人は、今朝、行方不明者を含め1300人以上に膨れあがっていた。
「日本が未だ経験したことのない大地震」の結果がこれから明らかになってくる。しかしまだ災害は現在進行形なのだ。日本国内では、全力を尽くして生きている人の救出に当たっていることだろう。本当に阪神淡路大震災の恐怖が甦る。
あの時、みんな一生懸命、何をなすべきかを考えた。
「あんなに全神経使って人の役に立とうとしたことはなかった。」
という人たちも多いと思う。
あれから、20年も経っていないのに更にそれを越える規模の地震が来るとは…。

 宮城県仙台市には甥と義姉が住んでいる。何時間も生死が確認できなかったが、昨夜9時半ごろ連絡が取れたとメールが入った。生きていることが分かるまで何度も亡き父母に祈った。『ワラにもすがる思い』と言うが、いくら死んでいるとは言え、ワラより父母の方が念力を発揮してくれそうな気がした。
 昨日、誤報で「東京が大地震」と聞いたときは、息子がとんでもないことになっている姿を想像して、冷静ではいられなかった。そんな思いをたくさんの人々が今もしているんだ…。

 昼前に、地元南昌テレビのスタッフが宿舎にインタビューに来た。
「災害直後、日本の人々は即座に、そしてとても冷静に避難・救援活動を始めた。これは普段から災害訓練など教育活動をしているためか?」
と聞かれたので、
「教育のせいもある。そして日本民族は露骨に感情を表現しない習慣が身についているからでもあると思う。」と答えた。
「日本人には、2、3年前の四川大地震のときにお世話になった。日本の人たちのために我々ができることがあったら言ってくれ。」
と言われて、本当に嬉しかった。
「どうか、日本の地震被害者に対する関心をキープして欲しい。そして昨夜から何人もの学生が心配して励ましのE-メールをくれた。どれほど勇気づけられたか分からない。親切な中国の人々に感謝する。」
としか言えなかったが。

 真夜中のメールで気がつかなかったが、
「先生の日本にいるご家族は大丈夫ですか。オンラインビデオを通して見た日本の震災地は本当にメチャクチャになりましたね。私たちは今、祈ることしかできません。先生もどうか心穏やかでありますように。」とか
「「どうか日本にいるみなさんが無事でありますように願ってやみません。」
「大驚きです。大阪は大丈夫ですか。日本の方々のご無事をお祈りいたします。」

など、ネットニュースで知って何人かがメールをくれていた。

 今日、インターネットはちょっと繫がりにくくなっている。twitterやfacebookなどは普段から全く無理なのだが、今朝からmixiもエラーばかり出て書き込めない。でもE-メールは交換できるのが何よりだ。日本から詳しい情報をメールでもらえるのは本当にありがたい。連絡の手段が断ち切られることほど、孤立感を味わうことはない。

 

 
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東北地方地震、中国のTVも報道   2011年3月11日(金) No.84

2011-03-11 20:32:41 | 中国事情
 今日は花金だった。日本語学科のある麦廬園キャンパスで3時過ぎのスクールバスに乗ると、先客は一人しかいなかった。その人は途中の風林校園で降りたので唯一の乗客となった私は、バスが宿舎横を通ったときにわがまま言って降ろしてもらった。こういう要求をしたのは初めてだが、私が一番好きな運転手さんだったので厚かましくお願いしたところ、ニコニコしてバスを止めてくれた。ほらね~

 部屋に戻って、YAHOO!Japanの画面を出すと、いつも右横にある今日の運勢は「天秤座91点」との表示である。
(ああ、どうりで。今日は気分いいはずだわ~。ラッキー!)と、ますます解放的になり、コーヒーを飲みながら学生の宿題メールをチェックしていたら携帯電話のコール音がした。

 新平老師だ。深刻な声で、
「今ニュースで言っていました。東京で地震があったそうです。ものすごく大きい地震だそうです。マグニチュード8.8と言っていました。」
それを聞いて、我が息子の顔がさっと頭をよぎった。礼を言ってすぐに切り、息子の携帯にメールを送っている途中で、もう一度電話が鳴った。
「ああ、東京じゃなくて、東北地方だそうです。百年以上なかったほどの大地震だそうです。」と。
再び礼を言って切り、ほっとしたのも束の間、今度は甥や親しい人が仙台に住んでいることに気づいた。
息子自身の安否から甥の安否の確認を問うメール文に切り替えて送った。

 一息つく間もなく、次は2年生の席さんという女の子から次のようなメールが入った。
「さっきのニュースを聞いて、日本の北東部の宮城県は8.9マグニチュードの地震がありましたが、大丈夫ですか。。
すごい心配なので。日本の国民はとても悲しいですが、困難に遭っても、もっともっと強くなるんじゃないか。みんなが気持ちを一つにし、力を合わせて努力して、困難を乗り越えて下さい。頑張って下さい!」

これは、日本に住む全ての人へ宛てたものだと思い、ここに転載することにした。(こんなところに載せるだけでは、ブログを読んでくださっている50人ぐらいの皆さんが見るだけのことなのだが、私のできるベストだ)

 夕方6時ごろ、(さっき二人とも「ニュースで知った」ということだったな。ひょっとしてテレビでもやっているかも)と思いついた。いつも全然テレビを見ないので、気がつくのが非常に遅い。
中国国営放送CCTVのニュースがたまたまやっていて、さらにたまたまちょうど日本の地震・津波ニュースの最中だった。映像は津波が海岸を総なめしているところを空から撮影している動画だった。1分ほどでそのニュースは終わり、次の国内ニュースに移った。
 他のチャンネルを探していると、CCTVの英語チャンネルでそのニュースをしていた。その番組はかなり長時間、特集のように日本からの電話中継であれこれ質問していたが、何人も交代で出てくるわりに、話は似たり寄ったりで、JRがストップしたの、自衛隊が派遣されたの、津波の被害はひどいのと、情報は画一的だった。
その番組のアンカーの女性は、この日本の地震津波被害を世界の地震津波災害と同列に並べ、国連の援助などに言及しているのが、印象的だった。国内向けと外国人?向けでは報道の仕方が全然違うと感じた。

39人(夕方7時現在)が亡くなったという。行方不明者は何百人もいるとのこと。本当に不運で気の毒だ。この中に「天秤座91点」の人もいたんだろうな。地震津波は、可愛いさざ波のような占いの幸運・不運なんかあっという間に飲み尽くし意味なきモノにしてしまう。

 東京練馬区の息子から「一応無事だが、屋根瓦が落ちて自分の車ボコボコ、鏡ガラス割れ、都内10万人が立ち往生」とさっきメールがあった。
 
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廬山(ろざん)は江西省一の山   2011年3月8日(火) No.83

2011-03-08 20:08:38 | 中国事情

 昨年8月末に江西省南昌市に来て以来、観光地に行ったことはたとえ日帰りであろうと一度もない。せいぜい南昌市内の八一公園ぐらいだ。それも日本語コーナーがあるからしかたなく行くのだ。そんな私を見かねたのか、例の3年生の若者たちが廬山行きに誘ってくれた。ここ江西省に来て、廬山に行かないのはダメだ、と言う。
まだまだ先のゴールデンウークの話だが、(どんなところかなあ)と今から心配と不安が交錯している。そんな私にピッタリの廬山観光案内のような日記文に出会った。

 羅○(男性)
 世界中で一番素晴らしい景色は、もちろん自然風景だと思います。
ご周知の通り、中国にはたくさんの風光明媚なところがあります。例えば、万里の長城や黄山や峨眉山や廬山などです。
 去年の冬休みに、私は現在3年の陳先輩と肖先輩と一緒に、期末試験の後、廬山に行きました。これは私の生まれて初めての旅でした。
 廬山は江西省の九江にあって、高さは1600メートルぐらいです。江西省で一番有名な山です。
私たちは朝の9時に廬山行きのバスに乗って昼の12時30分に廬山の山頂に辿り着きました。山底から山頂までの道は蛇のように折れ曲がり、たいへんでした。
 午後2時から私たちの旅が始まりました。まず、私たちの目的地は「錦秀山谷」です。初めてこの山を見たとき、心から(壮観だ!)と感じました。とても興奮した私は、
「もったいないなあ、早く、次の未知の景色を見に行くぞ!」
と叫びました。さすが、廬山だ!それから景色はもっときれいになりました。高いところから遠くの山谷を見下ろすと、とても壮大に感じました。心を込めて、自然はすばらしいと思います。
 山頂の気温は低いから、湖上の水は氷になっていました。その厚さは人がその上に立てるぐらいですよ。私たち三人とも、その氷の上で写真を撮りました。緊張したし、楽しかったです。
 山の林を散歩すると、空気がとても新鮮だから気持ちは非常にいいです。でも山頂の朝晩はとても寒いので、口が開けられないぐらいです。私たちはスカーフを巻くし、マスクをするし、帽子をかぶるし、いろいろしましたが、それでも寒くて仕方がなかったです。
 次の日、私たちは「好漢坡」の山頂から山を下りました。その道はたいへん長くて、3時間もかかります。だが、その途中の景山は日光を浴びてたいへんすばらしいものでした。
 午後の1時にやっと山底に辿り着きました。(ああ、疲れた!)
最後に私たち3人は、「和諧号」に乗って南昌に帰りました。その列車は速かったです。
 今回の旅は、本当に行く値があったと思います。ありがたい記憶です。


  やっぱり、かなりハードそうな山じゃないですか。山頂まではバスで行けるようだけど、そこから降りてくるのがたいへんそう…。降りてくるのもバスはないのかなあ。
清少納言が気楽に「香炉峰の雪は御簾を上げて見ませんとね~。」なんて部屋の中で座ったまま喋っているのとは訳が違う雰囲気がヒシヒシと伝わってくる。15分の散歩を、明日から30分に引き延ばそうかなあ。なんだか面倒くさくなってきたなー。

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貧富の差は日記にも…  2011年3月7日(月) No.82

2011-03-07 21:02:13 | 中国事情
 一昨日(3月5日)のブログに、1800元もお年玉をもらった学生の日記を紹介した。
この2年生のクラスでは他に数人が、お年玉をもらったと書いていた。
それ以外の文では、
・高校の同窓会に参加したことや友人と恩師の家に遊びに行ったこと。
・親戚が来てパーティーをしたこと。
・友だちと出かけたり、家族旅行をしたこと。
などが楽しげに書かれていた。
 (ああ、よかったなあ。家でゆっくりできたんだ)と読んでいる私もほっとする日記が多い中に、生活の厳しさを垣間見せるものもあった。

 ○順泉(男性)
 新年の前夜、父は12時ごろ家に帰ってきた。その時私はもう寝ていた。
すぐに私は両親の大きな声が騒がしくて目を覚ました。(何が起きたのか?)すぐに起きて母の部屋に入った。
 事の顛末を聞いてちょっと心を痛めた。実は、父はまた賭博をした。また300元負けた。父は大分お酒を飲んだ。瞼はまだちょっと赤い。私を見て両親は言い争いを止めた。母の目にまた涙があった。父もよく反省しているようだった。
 父は賭博を止めなければならない。私は両親と契約書を書くことを思いついた。本日から、母が許可しない限り父は賭け事をしない。もしそれに背いたら、父は家族全員にそれを公開して謝る。家のためだ。全員賛成した。
 その後、私は自分のベッドに戻った。窓から水の流れる音がはっきり聞こえた。美しい夜だったんだなあ。


*順泉さんの文を読むと、自分の子どもの頃のあの場面、この場面がフラッシュバックしてくる。私の両親はお盆だと言っちゃあ喧嘩、正月が来るっちゃあ喧嘩。またその烈しさたるや、近所のどこの家でもあんなに激しい闘いは見たことがないだろう。両親は年取ったらとても仲良くなり、私たち子どもが抱えるトラウマなど、どこ吹く風みたいな態度だったが、まあ、もう二人とも死んでしまったんだから文句を言ってもしょうがないか。



 方○○(女性)
 新年の前、他の家のみんなはとっても楽しそうに、家族や友だちと遊びに出かけていた。みんな一緒に餃子を作って、対聯を貼って、掃除をして、夕ご飯を食べていた。(うらやましかったな。)
 新年になった。街のあちこちで爆竹がバンバン鳴ったり、花火が上がったりしてとても賑やかだ。新年の雰囲気は楽しかったが、私は気持ちが暗くて寂しいと思った。私は毎日家にいたが、どこへも行かなかった。
 新年2日目、友人の謝さんからメールをもらった。
「方さん、どうして君は私たちに連絡しないんですか。何か悪いことがあったんですか。」
「謝君、何でもない。期末の成績が良くなくて、生活に自信がないんです。家族がずっと家にいません。気持ちがふさいで、どこへも行かなかった。ごめんね、みんな。」
「そうなの。2月10日、劉さんと周さんと一緒に俺の家に来ればいいんじゃないの?今俺の家は子どもが多くてにぎやかだよ。とても面白いよ。」
次の日、劉さん、周さんは私に連絡してくれた。でも私は用事があって行けなかった…。
 2月11日の朝、私は一人、厨房で朝ご飯を準備していた。
急に「方さん、おーはーよう!」と声がした。
驚いて見ると、謝さんだ。
「どうしてここにいるの?」
「しょうがないわ。方さん、君が俺の家に来ないから他の友だちも来なかったんだ。全部君のせいだ。そうだろう。」
「そうそう。じゃ、みんな私の家でご飯を食べよう。私がご飯を作ります。どうですか。」
ということで、午前中、他の友だちみんな、本当に私の家に来た。とってもうれしかったなあ!
 みんな、私のことを気にしてくれていた。私は一人じゃなくて、いつも友だちや家族が私のことを思ってくれているんだ。みんな、ずっと傍にいるね。本当に貴重な一日だったなあ!みんな、ありがとう!


*方さんは昨秋、家から突然電話があって急いで帰った。その後、彼女と彼女の家族の苦闘が続いている。具体的なことは何も言わず、いつも明るく振る舞っているが、日記を読むと、やっぱり…。
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中国をなま温かい目で見る  2011年3月6日(日) No.81

2011-03-06 20:48:39 | 中国事情
  今日、中国国内ではどれくらいの人々がインターネットを利用しているのか知りたくなって、あれこれ見ていたら、山谷剛史(やまや たけし)さんという人のブログ「中国リアルIT事情」に行き着いた。

 彼は主に中国に住みながらアジア各国を駆け回って、ITに関わる情報を発信しているようだ。写真で見る限り、まだ30代かな?福々しい顔だから若く見えているのかも。
それはともかく、彼の書く文はまずデータをたくさん準備し、そこから言えることはこういう事じゃないか、という至極妥当な手法を使っている。

 最近の新しい話題(「中国人旅行者の日本での買い物の仕方」とか)もあるので興味のある人は見て欲しい。
今日私が読んだのは「数で知る中国人の愛国心」(中国IT小話:第41回)というタイトルのものだった。2009年3月12日だから2年前のやや古いものだ。
彼は、

 中国のネット利用者(2009年当時)…2億9800万人 (←2011年1月時点では4億5700万人)
    ネットニュースを見る人  …2億3400万人
    ネット利用者の8割強が10~30代前半の年代(チーリンホウ、バーリンホウ、ジウリンホウ)
      〃    7割強が都市育ち

と一般的なデータ提示をした後、2009年当時のホットな話題「チベット問題で聖火ランナー妨害」を挙げ、中国がとにかく正しいと署名をした人数が816万人だったという数値を示して、
早い話が、
 *ネットニュースを見た2億3400万人のうち、署名行動に立ち上がった816万人は、割合でいうと
  3.48%、100人中3人か4人であること。
 *ネット利用者2億9800万人全体から見ると、2.74%
 *中国13億人から見ると、0.6%が「怒れるコテコテの愛国中国人」であるという。
 (ネット以外の新聞などでは、チベット問題は多くのニュースの一つとしての取り上げ方がされており、直接行動に出る読者は稀だと彼は分析する。)

 周囲を見ても、生活者で愛国の憂士っぽい人は一人もいない。学生が一番それに近いかも。それでも、クラスの中を見渡して政治に関心を持つ若者はとても少ない気がする。
「コテコテの愛国中国人」は0.6%だという2年前の山谷さん情報は、ネット人口が1.5倍になった現在も、おそらく似たようなものではないだろうか。
(仮定の最大ケース:0.6%がそのまま1.5倍したとしても0.6×1.5=0.9 約1%前後)
 
彼のスタンスが「中国をなま温かく見守る立場」というので、文中、それが一番面白かった。
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中国の大学生の冬休み    2011年3月5日(土)  No.80

2011-03-05 20:52:06 | 中国事情

 学生たちが大学に戻ってきた。
冬休み前に、あれ程ワクワクと帰りたそうにしていた彼らは、故郷でどのような休みを過ごしたのだろう。2年生に「冬休みで最も印象に残った事」という作文を宿題に出したところ、せっせと書いてきた。私の受け持ちは2年では作文じゃなくて会話だが、私は彼らの生活作文を読むのがとても楽しみなのであ~る。
と言うわけで、ちょっとその楽しみのお裾分けをいたしましょう。 


 ○亜星(女性)
 中国の春節は一年の初めだ。一切が新しくてすばらしいです。
今年の春節、楽しかった。私が一番好きなものはお年玉です。除夜は家族みんな団らんの時です。
 夕飯のあと、あ~、うれしい時刻が到来した。祖父と祖母は部屋の正面のソファーに座り、私たち子どもは正面の方を向いて立った。それから私は姉と弟と一緒にお辞儀をしながら「新年快樂。」と言った。
祖父と祖母は一人にお年玉として、1300元をくれた。わあ~、楽しかった!
 次に、叔父さんと叔母さんはそばのソファーに座って、私たちはさっきと同じ礼をした。今度、私は500元をもらった。ああ、私はお金をたくさん持った。
 祖母は「あなた方は、ずっと子どもです。毎年お年玉をあげます。」と言った。
お年玉は中国の伝統の代表的なものだと思っています。確かにいいものです。


*大学生にもなって、まだお年玉をもらっているのかい!中国のお婆ちゃん・お爺ちゃんも孫には甘い…。亜星さんちは3人もいるので出費がたいへんだあ。(大卒初任給1500元の会社もあるのに…)


 ○小嬋(女性)
 この冬休みはとても速く経ったみたいでしたが、いくつかの面白いことがあったわけでした。それのうちで仲良しの友だちの結婚は一番深く印象に残っています。
 友だちはクラスメートのうちで一番きれいな女の子です。正月六日にもう3年間経って、彼女はいよいよ彼氏と結婚できました。その日に、私たちは飲んだり笑ったりしました。彼女はもう昔の彼女じゃなくて、妻になったんだと考えて、気持ちはちょっと変でした。
 その夜、私たちは新郎新婦の部屋でゲームをしました。その一つがとても面白かった。
新郎新婦はベッドの上で布団をかぶり、他の人は布団しか見えません。そして、新郎新婦は一つずつものを捨てて出さなければなりません。何でもいいです。例えば、ひとつ目、腕時計。二つ目、靴下。三つ目、めがね…。
 最後に、二人は下着も捨てて出しました。私たちはベッドを囲んで見ながら、大笑いしました。
他のゲームもいろいろあります。全部のゲームが終わったあと、私たちはみんな疲れた。
 ある女の子は「私は絶対故郷で結婚しない。怖いですね。」と言いました。


*こういうゲームは他でも聞いたことがある。本当に怖いゲームだ…。


 ○文芳(女性)
 今度のお正月に、確かに楽しいことやら面白い事やらいっぱいあったけど、一番印象に残っていることは中学校時代の同級生たちのことである。何人もが結婚したと聞いて、私はびっくりした。
 中学校時代の同級生といえば、みんな年齢はだいたい同じで、20歳から23歳にかかるくらいだろう。確かに中国の法律では、この年齢で結婚することはできるけど、どうしても今は早過ぎるでしょう。
もし一人か二人ぐらいが結婚したなら変なことではないと思いますが、何人もとは理解できない。
 同じ年齢に属する私としては、自分はまだ子どものような気がするので、何と言っても結婚とか想像できなかった。
 しかし、今結婚したみなさん、これからの生活をどうするんですか。自分の人生はまだ始まったばかりで、大人の世界について何も分からなくて、相手の人生、それに生まれた子供の人生はどうするつもりですか。考えたことがありますか。それに、結婚に伴って自由がなくなって、本当に楽しいですか。みなさんにとって一番大切なものは一体何ですか。青春を楽しむことではないですか。
 私はいくら考えても、みなの心が分からない。そういう疑問が印象に残って忘れられない。


*今も特に農村部では結婚年齢が若いそうだ。昔の村では25歳で独身の女性に『老処女=大年増』という言葉を投げかけたそうな。25歳まで結婚せず頑張る?人は孤独だったんだあ。


 ○恒斐(男性)
 2月14日はバレンタインデーという西洋の伝統的な節日だ。それはもう、独身者としてはそのロマンチックな日に寂しい気持ちが最も強くなったので、恋仲だけではなく、独身同士友だちと一緒に何か活動するのは必要なんだ。
 だから、その日はみんなと市中心部に映画を見に行くつもりだった。男性3人、女性2人。でも、当日朝、その女性2人は朝寝坊をして、元の計画は壊された。
男性3人にとってそれは寂しい気持ちが苦くて、ぜひ何か面白いことをしに出掛けたかった。
最後、男性3人は、バレンタインデーの朝に、目的もなく道を散歩することにしました。
 昼ご飯の時は、恋仲が多くいる店でカレーライスを食べました。そのカレーライスは値段が高くて、味が良くない。タナカ先生ほど全然おいしくないです。食事の後は、2時間ぐらいビリヤードをしました。その後、続けて散歩して、たいへん身が疲れて家に帰りました。
 恋人はいませんですが、恋愛より独身の時は面白いことが多いと思います。
成功のキーは、“寂しい心を我慢できるかどうか”です。


*バレンタイン=デーを『伝統的節日』と呼ぶのは少~し違うように思うが…。中国の若者は「結婚していない人」プラス「恋人がいない人」を『独身』と呼ぶようだ。日本語で正確に言うと『お一人君』?(←こ、これは懐かしい「南港ミュージックエンターテイメント」のリスナーの呼び名だ!)最後の「成功のキー」は、みんな噛み締めたいですね。



○小翠(女性)
 春節は中国の一番大切な節日です。みんな一家団欒は一番重要なことと思います。私もそう思います。
今年の春節はいつもの年と同じ、いつものように家族と一緒に過ごしました。
 みんな一緒に大掃除をしたり、餃子を作ったり、旧暦の大晦日に一家そろって食事をしたりしました。今年の春節は、変わったことが本当になかったが、家族と一緒に食事をすることが貴重で楽しかったです。
 春節の間、母は一番疲れました。毎日私たちのためにご飯を作ったり、服を洗ったりしました。親類は私の家に新年の挨拶に来たとき、みんな客間でお茶を飲んで、テレビを見て、冗談を言ったりしていました。母だけは台所で料理を作っていました。私も手伝いたかったが、私の料理はちょっとまずいので、助手を務めるしかなかったです。お母さん、本当にありがとう!  


*これを読むと「中国では男も厨房に立つ」という大雑把な言い方はできないことに気がつく。
中国は広い!これから「中国は○○…。」という言い方は、自分でも極力気をつけたい。

 

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冷凍室から甦る中老年粉ミルク   2011年3月4日(金) No.79

2011-03-04 19:56:34 | 中国事情
 日本で買いものをするときに「あ-、私は○○製に決めているから~。」などと言ったこともないし、思ったこともない。だいたいどの製品も、あるレベルに達しているのが当たり前だったから、どこのでも良かったのだ。

 日本に住んでいた人が中国に来ると、多分全員口をそろえて言うのが製品の品質の差だと思う。質の悪いものばかりではない。いいのもある。あるけど、良いものと悪いものの差が極端なのだ。

 ずっと前に、英雄(HERO)乳業粉ミルクを買ってきたが、結局一口も飲めなかったことは書いたと思う。その粉ミルクの袋には“中老年用粉ミルク”という表記があり、それが面白くて購入したのだが、開封するやプイ~ンと赤ちゃんくさい臭いがして閉口し、そのまま冷凍室に放り込んだのだ。
(この文をもし赤ちゃんが読んだらムッとするだろうが、そんな赤ちゃんはおらんだろう )

 その話をした時、3年生の範さんが即座に言った言葉は、
「英雄乳業?どこの会社ですか。ええっ!江西省南昌市~!そんなの聞いたこともないですよ。やっぱり乳製品は“蒙乳”か“伊利”ブランドじゃないと~。」
彼らの頭には、トイレットペーパーなら○○、皿なら△△、タオルなら□□…と、会社名またはブランド名がきっちりインプットされている。
これは、日本に住む人のブランド志向とは全く違う。油断して(まあ、どこの会社のも似たり寄ったりやろ)と勝手に信じて買うと、本当に「安物買いの銭失い」になるのだ。私はトイレットペーパーも、彼らが教えてくれたブランドを忘れて適当に買い、その使えないことに泣くほど苦労した。包装用ラップもそうだ。何遍「キエ~ッ!」と叫んだことか…。

 そんな飲めない英雄乳業粉ミルクを今日(おそらく半年ぶりに)、料理に使ってみた。以前、きんときさんが「スキムミルクみたいにホットケーキか何かに使ってみたら?」とアドバイスしてくれたのを思い出し、クリームシチューを作ってみたのだ。
いやいやいや、またこれが美味しいのなんの。半年間冷凍室に放置されていた疲れも見せず、赤ちゃんくさくもなく、大根・ニンジン・タマネギ・ジャガイモ・干しエビ・油揚げといったラインナップの食材をクリーミーに包み込んで、本当に美味しかった。

 この辺にはバターは売っていないし、クリームシチューの素などもちろんないので、それらしい味になったらもう舌が感動するのかも知らんが、一箱200円のクリームシチューの素より安上がりだと思う。
小麦粉+英雄乳業中老年粉ミルク+蒙乳牛乳を撹拌し、塩・胡椒を適当に入れるだけだ。
日本のみなさん、中老年粉ミルクの代わりにスキムミルクを使って一度作ってみられては?

 ちなみに、乳製品ブランドの「蒙乳」はホームページまで明記されている乳製品では中国最大企業だ。www.mengniu.com.cn (英雄乳業は住所と電話番号だけだ)
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アルジャジーラに懐かしい人が!   2011年3月3日(木) No.78

2011-03-03 19:41:24 | 中国事情
 最近のアラブ諸国のものすごい展開に、ここ中国からもできるかぎりの情報を得ようと、久しぶりでAl Jazeera(アル=ジャジーラ)のウブニュースを見た。Al Jazeeraは、ずっと「お気に入り」に入れてあるのだが、目先のことに気を取られて暮らすうちに、中東関係のニュースは「イラク平和テレビ局」(有料毎月¥500)から配信される記事や映像だけを見るにとどまっていた。しかも、その映像はこっちの血管が切れそうになる程、ブチブチに切れてまともに見ることはできない。

 Al Jazeeraはどうかと試してみた。やはり動画は全く現れない。しかし写真は出てきた。
ある写真をなにげに見ると(ちょっとイマ風の言葉遣いを真似してみました~)、髭ぼうぼう・髪ぼうぼうの年配の男性の姿が…。何となく気になって関連記事に目をやると、彼の名前はYusuf Islam(ユスフ=イスラム)という。
(ふ~ん、知らんなあ)と思ったが、次を読むと、な、なんと!formerly known as Cat Stevens,
キャット=スチーブンスだったんだ~!

 あの“Morning has broken, like the first morning~”の歌を作った人だ。その歌はAaron Neville(アーロン=ネヴィル)のCDに入っていて、ここ南昌でもしょっちゅう聴いている。
さらに言えばアメリカ映画「ハロルドとモード」の中で彼の歌が何曲も歌われている。“ If you wanna be free, be free!”のフレーズは一時、自分の名刺に拝借していたものだ。

 私にとっては伝説の人である。
ずいぶん以前にイスラム教に改宗し、人道主義活動家として暮らしていると聞いていた。ムスリム社会の教育問題に取り組んでいたそうだ。また、ブッシュ大統領時代にアメリカに入国しようとして拒否され、飛行機で引き返したという記事を何かで読んだことがある。こんな形でまたお姿を拝見しようとは…。

 彼はこの間の、アラブ世界の自由と変化を求める人々の決起に刺激されて新しい曲を発表したとのこと。“MY PEOPLE”というその曲は、1989年、ドイツ統一に道をつけたベルリンの壁崩壊の、その近所のスタジオで記録されたと書いてある。私は聞こうとしても、ここからはたどり着けない。日本の皆さんなら、動画で見たり聴いたりできるのではないかと思う。

 ニール=ヤングもすごいけど、この人もまたすごい。二人ともかなり「団塊の世代」っぽい。
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とほほ、情けなさ過ぎ・・・「氣志團SS事件」    2011年3月2日(水) No.77

2011-03-02 10:28:59 | 中国事情
  ああ、世界中が見てるのを日本は知るや知らずや…。MTV、ソニーミュージック=アーティスツに大人はおらんのかい!
…おらんかったんだな、きっと。

 2月23日のMTVテレビ番組に“人気ロックグループ”氣志團のメンバーがナチ親衛隊(SS)の制服そっくりの衣装で出演したとのこと。
どうしてこういう人権感覚まるでなし事件が現実のものとなるのか。
これは「なんだ、たかがロックグループの服じゃないか。日本は思想、信条、言論の自由、ならびに表現・服装の自由があるし~。」と済ませようとしたかも知れないが、そうはいかない。強く抗議されて当然のことだ。

 英語でHATE CRIME(へイト クライム)という犯罪がある。日本語でぴったりの言葉は…、ないのかなあ。近似するのが「脅迫」「嫌がらせ」というところか。しかし、この言葉は[人種・宗教・思想信条・性などにに対しての]という対象を特定してはいない。単に行いそのものを指すだけだ。アメリカではこのヘイト=クライムはそれ以外の一般的?脅迫や嫌がらせより罪が重いそうだ。日本は法的にも[ ]内のものごとに対する手厚い配慮がない。

 それにしても、ナチによるユダヤ人ホロコースト(大虐殺)の歴史を知らない日本人は居るまい。識字率98%だか99%の国だ。テレビ局やソニーミュージックなんかで働いているヒトたちはほとんどが大学とか出ているんじゃないの?
なのにこういう事が放置され、ストップさせられないのは、中国人が日本に対して耳にタコができるほど言っている「歴史認識が足りない」からだ。

 中国人が第二次世界大戦のとき日本軍が中国の民間人におこなった数々の残虐な行為に対して発言する度に、多くの日本人は「ああ、また言っている。いつまで大昔のことを持ち出すんや!中国はホンマにもう信じられへんわ!」と、食傷する声がよく聞かれる。

 確かに1985年、戦後50年にしてようやく、当時の社会党村山首相はきちんとアジア関係諸国に謝罪した。また日本は中国に対して最大の資金援助国でもある。中国の改革開放政策を支えたのは日本の強力なODA援助であると言っても過言ではない。小平がその政策を打ち出した当時、日本の援助額は諸外国からの援助総額の66.6%を占めたという。
それらは、戦前、戦中に日本が中国に対して行った帝国主義的侵略行為を反省してそうしたことだ。というか、心から反省し、これから良い関係を築いていくために関係を修復し補償したことだ。(経済活動するに有利、という事情があったにしても…)

 そうであるならば、その姿勢(=戦前・戦中の日本がアジア諸国に対して為したことは誤りだったという認識)は変わらず堅持しなければならない。
今の日本にはその認識がどんどん減ってきていると思う。歴史は今の生活と何の関係もないという日本人が多すぎる。もっとスゴイのは、あの東京都知事だ!(あのヒトと私の誕生日が同じだなんて…、誰のイタズラ!?

「氣志團」は東京のどっかの公園に20000人を動員するほど人気があるんだそうだ。ラジオ番組「オールナイトニッポン」にも出演したそうだ。…だけど、やっていいことと悪いことがあるんだということは社会の大人が教えなくてはならない。感受性がある(であろう、知らんけど)若者を、金を運んでくるだけの脳みそ無しロボットにしてはならないのだ。

 国際的ユダヤ人人権団体「サイモン=ヴィーゼンタール=センター」(本部ロサンゼルス:40万人家族が参加するNGO)からの抗議に対して、「ソニーミュージックアーティスツ」の代表取締役2人(原田公一、高橋章)が謝罪した文を読んだが、あまりにも形式的で誠意が全く感じられない。「再発を防ぐために一所懸命取り組む」ぐらい書けないのか。
MTVと氣志團メンバーはまだ謝罪すらしていない。(世界中から袋だたきにされたらいいんだ!)とすら思う。
人権感覚なさ過ぎの原因は、歴史から大切なことを学ばなかったためだ。学校で学ばなかったことは、社会で学ぶ。それも日本社会はできないのが現実だ。だったらもう残された道は、世界社会から教えてもらうしかないのかも…。
「モノ作り」では、そりゃ、日本は世界一かも知れないけど、人間社会の暮らしは「モノ」だけ良けりゃいいってもんではないだろう。ハア~~~~。
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ある学生からメールが来た    2011年3月1日(火) No.76

2011-03-01 19:32:14 | 中国事情

 う~む、寒い。土日が20℃以上だったのに、月曜日から手のひらを返したようなこの寒さ。現在7℃(体感温度5℃)。でも「三寒四温、三寒四温。」とつぶやき、心のゆとりをキープしている。

 さっきメールボックスを開けると、ある学生から時候の挨拶状が来ていた。その学生とはこのブログの12月24日で紹介した陳○○さんだ。
彼は、日本在住20年の原口さんが、我が大学の学生に宛てた手紙の中で
「自分の父親の世代は、日本に対するマイナス宣伝ばかりの時代だったので、中国人の自分が日本人と結婚するのに猛反対した。」
と書いたことについて、次のような返事を書いた子だ。

「日本は中国を侵略し、無残なことをしていました。原口さんは(中国)東北人としてよく知っているはずです。もし、日本がドイツのように自国の犯した罪を深刻に認めれば、中日の交流は一層発展することができるでしょう。」

 この文はおそらく、言いたくても言えない多くの日本語学科の学生の気持ちを代表するものだったと思う。文面は私に失礼なことのないように気兼ねして書いたことが分かる控えめなものだった。

 それに対して私は、wikipediaで「歴代閣僚の戦争謝罪リスト」みたいなものを検索して資料として渡し、
・1985年の村山総理談話は、日本がアジア諸国に対して正式に謝罪したものであること。
・しかし、現在の日本の状況は様々な考えがあり、村山談話の内容が全国民の心を表しているとは言い難いこと。
・それでも今、たくさんの日本の人々が、庶民の立場から日中両国の関係をより良いものにする努力をしていること。
・自分も日本人の一個人として、親の世代が中国はじめアジアの国々の人々に為した非道な殺戮により、いまだに人々の心に禍根を残していることをお詫びすること。
などを付記した。

それへの返事が来た、と思った。下記がそのメール文である。

 Subject: 春寒のご挨拶を申し上げます
Sent :Tuesday, March 01, 2011 3:51PM 

 春寒の候、先生にはご清栄のこととお慶び申し上げます。先学期は大変お世話になって、心より感謝しております。
 他でもございませんが、冬休み、私は妹尾河童が書いた『少年H』という本を読みました。
この本を通じて、私は中日戦争の間の、日本の普通の市民たちの生活状況を、Hという少年の目で少しずつ分かりました。
 先学期のある作文の宿題に、私は中日戦争について、激しい言葉を先生に読ませました。
その後先生は、日本の戦争謝罪についての資料を私にくれました。今顧みると、あの時の私は本当に失礼でした。戦争は両国にも深い被害を与えました。自分はただ中国一方のことを考えて、日本を指摘するのは、考えの浅いことだったと、私はそう思っています。
 今学期もよろしくお願い申し上げます。冬の名残がまだ去りやらぬ時候、先生のご健康をお祈りいたします。
                                     陳○○
                    


日本のみなさ~ん!
澄んだ目で見えるものを確かめ、聞こえる声に耳を澄ます、思慮深い若者たちがここ南昌にはた~くさんいるんですよ~~。 

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