「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」
などと言って、前回のブログで意気込んでは見たものの、
実は私、
「影響力のなさ」、「目立たなさ」、「巻き込む力のなさ」では、
本気で悩んでいたりする。
twitterの本垢は、始めてから11年目だが、
フォロワーは4000もいかない。
同じ気象予報士(キャスターではなくテレビに出ていない男性)で、
6桁のフォロワーをもつ人もいるのに……嗚呼、情けない。
そこで、メンタリストDaiGo氏の『超影響力』を読んでみた。
SNSでバズったことも、数えられるほどしかない。
「いいね」なんて2桁もらえればよい方。
見方を変えれば、些か過激な発言をしても炎上すらしない。
もちろん炎上なんてしないに越したことはないのだけれど、
「嵐を起こす力」も皆無だと思い知らされて悲しい。
『超影響力』にを読んだ後で、思い当たることがあった。
「伝統的な考え(社会的証明)に真正面から立ち向かっている」
ことが原因ではなかろうか。
「人生なんて舐めきっていいのだ」
「仕事なんてテキトーでいい」
「社会に貢献なんてしなてもいいよ」
「こんな社会、崩壊させて一から作り直した方がいい」
「履歴書から年齢欄をなくせ」
「かなり過激な政策を取ってでも満員電車をなくせ」
「街を昆虫と雑草だらけにしよう♪」
等々…………
「社会的証明」に喧嘩を売るような発言もかなりしてきた自覚はある。
だが、腑に落ちないのは、
反発を招いてそっぽを向かれることがあったとしても、
罵詈雑言を拡散されたり、炎上したりことも決してないことだ。
つまりは「猛烈に影響力がない」、「異様に目立たない」ということに尽きる。
これまでの人生を思い起こすと、
幼稚園~小学校中学年の頃までは、影響力はあった方だと思う。
オリジナルの遊びを考えて、みんなをよく巻き込んだりしていた。
小学校低学年の頃には、空き地に穴を掘る遊びに大勢を誘い込み、
けっこう大きな池を作ってしまったことがある。
その池は、空き地に家が立つまで、近所で存在感を保ち続けたのでした。
(あの時代だったからよかったものの、すみません、
今考えると、けっこうな迷惑行為だった?)
それが、いつのまにか……。
人は大人になっていろいろなものを失うと言われるけれど、
私のケースでは、影響力、巻き込む力だったのだ。
そして「異常な目立たなさ」の正体は何だろう。
本を出版している物書きの端くれとしては、
致命的な欠点と言える。
嗚呼、喉から手が出るほど影響力が欲しい。
総理大臣や一流芸能人並みとまでは言わないから、
せめてSNSの発言がニュースで取り上げられるくらいの
「一廉の人物」になりたいものだ。
年齢を重ねるごとに、世の中に残したいメッセージは増えていく。
でも、影響力のなさに、やりきれなさばかりが募る。
またしても、愚痴日記になってしまい、失礼いたしました。
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