萩の散策とグルメシリーズの第20回となります。
本日は山口県立萩美術館・浦上記念館を写真紹介します。
山口県立萩美術館・浦上記念館は浮世絵・東洋陶磁・陶芸の3つのジャンルを
専門とする美術館。萩市出身の実業家浦上敏朗が収集した浮世絵・東洋陶磁など
を山口県に寄贈したことを契機に、平成8年(1996)10月14日に開館した。
平成22年(2010)には、400年の歴史を有する萩焼をはじめとする陶芸の振興を
目的に、新たに陶芸館を増築・開館した。
山口県立萩美術館・浦上記念館の基本情報
住所:萩市 平安古586-1 TEL:0838-24-2400
公式HP:http://www.hum.pref.yamaguchi.lg.jp/
公式Facebook:https://ja-jp.facebook.com/hagi.uragami.museum
休館日:月曜、年末年始、展示替え期間
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
指定管理者:サントリーパブリシティサービス株式会社
上の写真は山口県立萩美術館・浦上記念館の建物外観。
Google Mapsストリートビューにて山口県立萩美術館・浦上記念館の館内・外観
を観ることが出来ます。
本館の設計は丹下健三/丹下都市建築設計
開館は平成8年(1996)10月14日
上の写真は本館より庭を観たもの。
旅行ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド」では2つ星の観光施設
だそうで、大変綺麗な施設です。
上の写真は入り口のチケット売り場付近のもので当日浮世絵の企画展があった。
上の写真は浮世絵の常設展示。
上の写真は主な浮世絵作家の生没年を記載したパネル展示。
上の2枚の写真は浮世絵の絵付けの過程説明パネルとその道具。
過去19回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉
第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅
第16回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その16 旧山村家住宅
第17回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その17 すし喜でのランチ
第18回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その18 田町・御成道
第19回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その19 旧益田家物見矢倉
本日は旧益田家物見矢倉を写真紹介します。
武器を収納する倉を矢倉といい、天井が高く見張り台も兼ねたものは物見矢倉と
呼ばれ高い石垣の上に長さ約11m、奥行き約5mの平屋建て。
北の総門からの人の出入りを見張る“隠密対策”としての機能があったとの事
現在は個人の住宅で見学不可。
上の写真が旧益田家物見矢倉です。
益田家は萩藩永代家老(12,062石余)の家柄で阿武郡須佐に領地を所有していた。
幕末の当主、増田親施は藩主毛利敬親のとき国家老などの要職にあり藩政改革
に努め貢献したが元治元年(1864)禁門の変の責任者として徳山藩へ御預けと
なり切腹させられた。 享年32歳
過去18回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉
第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅
第16回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その16 旧山村家住宅
第17回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その17 すし喜でのランチ
第18回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その18 田町・御成道
本日は田町・御成道についてです。
上の写真は田町商店街でアーケードになっています。
人通りは少ないようでしたが地元では萩の方言を書いた黄色の幟を作成しその
裏側にはその意味を書くなど様々な取り組みをされているようです。
上の写真は萩往還の説明板です。
田町商店街の道は御成道とも言われ萩藩主が参勤交代の際に利用された街道でも
あります。
上の写真は田町郵便局とその前に掲示の田町・御成町の説明板。
上の写真は萩が生んだ切り絵作家、上田豊治さんの作品と紹介です。
上田 豊治(うえだ とよはる)氏の略歴
1969年4月28日、山口県萩市に生まれる。
1972年3歳のとき、自閉症と診断される。
1985年山口県立宇部養護学校高等部入学。
1990年「切り絵」に取り組む。「ザビエル記念聖堂」
1991年山口県障害者希望芸術文化展奨励賞受賞。「おしくらごうその1」
1992年萩市美術展市教育委員会教育長賞受賞。「白魚とり」
1992年山口県障害者希望芸術文化展特別賞受賞。「おしくらごうその2」
1993年山口県障害者希望芸術文化展特別賞受賞。「ホルンフェルス」
1994年萩市美術展市教育委員会教育委員長賞受賞。「青海島」
1994年山口県障害者希望芸術文化展最優秀賞受賞。「ふれあいのとき」
1995年萩市美術展奨励賞受賞。「鍵曲り」
1995年第一回山口県障害者芸術文化展優秀賞受賞。「人力車」
1996年第二回山口県障害者芸術文化展優秀賞受賞。「西円寺」
1997年第三回山口県障害者芸術文化展優秀賞受賞。「一の坂川」
1998年第四回山口県障害者芸術文化展最優秀賞受賞(県知事賞)。「横浜中華街の夜」
1999年萩市美術展市教育委員会教育委員長賞受賞。「魚きらめく」
2001年萩市美術展(第50回)特別賞受賞
こんなくつろげるスペースも用意されています。
過去17回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉
第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅
第16回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その16 旧山村家住宅
第17回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その17 すし喜でのランチ
萩の散策とグルメシリーズの第17回となります。
久しぶりに筆を再開します。
今回は2014年10月5日に食べた「すし喜」でのランチを紹介します。
すし喜の基本情報
住所:萩市東田町西区146 TEL:0838-22-0745
料理ジャンル:寿司
営業時間: 11:30〜13:30/17:00〜22:00
定休日:水曜日
Goo地図はこちら
バスを使用しての移動なので久しぶりに昼からのお酒。
何かしあわせを感じます。
上の写真のにぎりを頂きました。 大満足です。
上の写真はお店の外観です。
過去16回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉
第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅
第16回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その16 旧山村家住宅
本日は浜崎地区伝統的建造物である旧山村家住宅を写真紹介します。
旧山村家住宅の基本情報
住所:萩市浜崎町77 TEL:0838-22-0133 (浜崎しっちょる会)
水曜と年末年始以外は9:00~17:00 見学可
上の写真は旧山村家住宅です。
旧山村家住宅は江戸時代後期の町屋で、平成17年(2005)に所有者山村氏から
浜崎地区の伝統建築物地区のまちづくりにと萩市に寄付されました。
萩市は2009年4月萩まち博の初めてのサテライト拠点施設として、
2棟の主屋、2棟の土蔵、離屋の約382㎡の敷地を持つ浜崎町並み交流館
(旧山村家住宅)として開館しました。
旧山村家住宅も浜崎地区内の130数棟の町家や土蔵などとともに伝統的建造物に
指定されています。
浜崎重要伝統的建造物群保存地区は 指定:平成13年(2001)11月14日で
全国では60番目の指定だそうです。
上の写真は旧萩藩 御船倉の説明板の説明版の一部です。
上の写真は同じく御船倉の説明板で紹介されている旧山村家住宅です。
浜崎サテライト拠点施設には前回紹介した梅屋(山本)七兵衛旧宅、今後紹介
予定の旧山中家住宅があります。
過去15回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉
第15回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その15 梅屋(山本)七兵衛旧宅
本日は浜崎地区にある梅屋(山本)七兵衛旧宅を写真紹介します。
梅屋(山本)七兵衛(1822-1883)について簡単に紹介します。
梅屋(山本)七兵衛は 文政5年(1822)代々萩の浜崎町で北国問屋を営む家に
生まれました。七兵衛の代には酒造業を始め、萩藩毛利忠正公の武具方の用達も
行うようになっていました。
慶応元年(1865)4月、梅屋七兵衛は鉄砲1,000丁購入の密命を受け長崎へ行きます。
この時、梅屋七兵衛は伊藤博文たちと相談して萩藩の商人という身分をかくすため
隣の広島藩の商人という偽の通行手形を作ったそうです。
その偽の手形が現存しており萩博物館に保存されているようです。
梅屋七兵衛は外国人の商人と交渉を重ねますが、言い値が高く、交渉を中止。
あらためて別のイギリス商人ガールと交渉したところ話がまとまり、自分で
調達した3,000両の契約金を渡しました。
ところが、先に商談を受けていた商人はこれを恨んで長崎奉行に密告。
梅屋七兵衛は拘束されてしまいます。
しかし、梅屋七兵衛はいったん宿に帰された際に監視の目を盗んで、契約相手の
イギリス商人ガールと上海へ逃亡。イギリス商人ガールは鉄砲を調達しに
イギリスへ帰り、梅屋七兵衛は一人、上海で待ちます。
そして1年後の慶応2年(1866)10月、鉄砲1,000丁を運んで迎えに来たイギリス商人
ガールの船で現在の長門市仙崎へ帰着。地元では、異国船が来たと大騒ぎになったが、
梅屋七兵衛が下船し事情を説明。鉄砲は無事に長州藩へと引き渡されました。
この功績で長州藩から永代名字を名乗ることと帯刀が許されたのでした。
ここでめでたく山本七兵衛となります。
やがて、この鉄砲は戊辰戦争で使われ、長州藩の属する新政府軍を勝利に導きました。
山本七兵衛は晩年、萩の浜崎町で京都から持ち帰った小堀遠州流の武家茶道を
教えながら静かに暮らしたといわれています。
上の写真は梅屋七兵衛旧宅の案内板です。
上の写真梅屋七兵衛の旧宅です。明治10年代に建造されたものです。
上の写真は邸内の庭。
梅屋七兵衛旧宅は公開されており家の中も観ることができるようであるが、当日は
早朝訪問のため見学はできませんでした。次の機会に再訪したいと思う。
上の写真は旧萩藩 御船倉の案内板で紹介されていた梅屋七兵衛旧宅の説明書き
過去14回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
第14回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その14 旧萩藩 御船倉
本日は浜崎地区にある旧萩藩 御船倉を写真紹介します。
旧萩藩 御船倉の基本情報
所在地住所:萩市大字東浜崎町125
お問い合わせは「浜崎しっちょる会」まで TEL:0838-22-0133
アクセス:萩駅より萩循環まぁーるバス東回り「御船倉入口」下車、徒歩約3分
料金100円
Goo地図はこちら
上の2枚の写真は旧萩藩 御船倉です。
屋根を葺いた旧藩時代の船倉としては全国唯一の遺構で、昭和11年(1936)に
国の史跡に指定され、昭和60年(1985)に追加指定された。
上の写真は現地の説明版です。
御船蔵は萩藩の御座船を格納した場所である。
慶長13年(1608)に萩城築城後、まもなく建てられたと思われる。
構造は両側と奥に玄武岩で壁を築き、上部に瓦屋根を葺き、
前面は木製扉を有している。大きさは桁行き26.9m、梁間8.8m、
高さ8.8m、石壁の厚さは6mである。
現在大船倉が1棟残っているが、享保年間(1716~35)作成の
萩城下町絵図には3棟、天保年間(1830~43)作の
「八江萩名所図画」には4棟の船倉が描かれている。
明治初年に北側の1棟、昭和37年に南側の
1棟が取り壊された。
現在は明治以降の埋め立てのため川岸から離れた所になったが、
往時は松本川に面して船が自由に出入りできる場所であった。
上の写真は同じく現地の説明版からで 「八江萩名所図画」に4棟の船倉が描かれて
いることがよく判る。
上の写真は元文年間(1736-41)の萩藩 御船倉周辺の萩城下町絵図
上の写真は現在の旧萩藩 御船倉周辺の地図(現地説明板より)
上の写真は浜崎の重要伝統的建造物群保存地区(2001年指定)内で見つけた
道案内表示。訪問者には助かる表示です。
過去13回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
第13回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その13 住吉神社
本日は浜崎地区にある住吉神社を写真紹介します。
住吉神社の基本情報
住所:山口県萩市浜崎町240 TEL:0838-22-0849
御祭神:住吉三神=底筒男命(そこづつのおのみこと)
中筒男命(なかづつのおのみこと)
表筒男命(うわづつのおのみこと)
創立:明暦元年(1655)3月 堺の住吉神社から勧請
境内社:恵比寿神社、稲荷神社、栗島神社
公式Facebook:https://www.facebook.com/hagisumiyoshi
Goo地図はこちら
写真は早朝に訪問した為、暗く写っています(修整なしとしました)
メインの通りから入って鳥居が見えてきたところです。
上の3枚の写真は境内風景。
上の2枚の写真は住吉神社付近の地図
上の写真は住吉神社付近の情緒のある建物。
上の写真は江戸時代の住吉神社(旧萩藩 御船蔵の説明版より)
上の写真は毎年8月1日から3日の3日間行われる夏祭りで行われる「御船謡」
(旧萩藩 御船蔵の説明版より)
上の写真は御船謡の説明 (旧萩藩 御船蔵の説明版より)
住吉神社には毛利の殿様が参勤交代で使っていた御座船の絵があるようです。
http://panorama.photo-web.cc/tiiki/saikib/gozasen.html
御座船とは慶長14年(1609)に徳川幕府が、これまで諸大名の水軍の主力をなしていた
安宅船の所有、建造を禁止した後、 500石積以下の関船が、諸大名の水軍の中心的存在
となった。その中でも、九州や四国・中国筋の西国大名が、 参勤交代のため領国と
大坂間の海路を往来するのに使用した関船を海御座船(御召関船)と呼んでいます。
この海御座船は、 櫓数が70挺立前後と大型で、船体は1本水押の二階または三階造りで、
上部を総矢倉で囲い、中に屋形が設けられています。
船体、屋形とも朱または黒の総漆塗りで金銅金具が施され、さらに屋形の上段の間は
格天井や四季山水の壁画、 襖絵などで美しく装飾された豪華な船でした。
その他、将軍や大名が、川で用いる御座船を川御座船といいます。 水軍の主力艦を
あてる海御座船と違って、川御座船には軍船としての機能はなく、豪華な装飾が施され
特に、幕府や、中国・四国・九州地方の大名が大坂に置いた川御座船は、朝鮮通信使や
琉球使節の送り迎えにも使われたため、船体・屋形ともにとりわけ豪華でした。
過去12回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
第1回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
第2回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
第3回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
第4回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
第5回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
第6回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
第7回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
第8回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
第9回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
第10回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
第11回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
第12回 城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その12 野山獄跡、岩倉獄跡
昨日のNHKテレビ大河ドラマ「花燃ゆ」では安政元年(1854年)、伊豆下田港にて、
再航したペリー艦隊に金子重之輔と二人で赴き、密航を訴えるが拒否される。
密航が失敗に終わった後、そのことを直ちに幕府に自首し、長州藩へ檻送され
野山獄に幽囚される。(金子重之輔は岩倉獄へ)
上記に刺激され本日は萩市の野山獄と岩倉獄について綴っていきます。
を写真で紹介していきます。
過去11回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その11 萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
まず、野山獄・岩倉獄跡の所在地について紹介していきます。
上の写真は現地にあった説明板に書かれているものです。萩市今古萩町にあります
Goo地図はこちら
野山獄・岩倉獄跡は萩藩の牢獄跡で、武士が野山獄、町人や農民は岩倉獄に入れられました。
吉田松陰は野山獄、従者の金子重之輔は岩倉獄に投獄されました。
上の写真は野山獄跡の遠景です。
上の写真は入り口右手の「野山獄址」と書かれた石碑
上の写真は現地説明版です。
野山獄跡
正保2年(1645)9月17日夜、藩士岩倉孫兵衛(大組・禄高200石)は酒に酔って道を
隔てた西隣の藩士野山六右衛門(大組・禄高200石)の家に切り込み、家族を殺傷した。
この事件のため、岩倉は死刑となり、両家とも取りつぶされ、屋敷は藩の獄になった。
野山獄は上牢として士分の者の収容を、岩倉獄は下牢として庶民を収容した。
なお、現在の指定地は獄の一部分である。
幕末、吉田松陰は海外渡航に失敗したのち野山獄に、その従者金子重之助(重輔)
は岩倉獄に投ぜられた。松陰はここで仲間の囚人を教化するという前例のない
教育活動を行っている。
野山獄はまた、維新前夜の藩内抗争の中で、正義派(革新派)・俗論派(保守派)
双方の藩士が投ぜられ、処刑された場所でもある。
萩市
上の写真は野山獄・岩倉獄の配置図(現地説明板より)
上の写真は野山獄十有一烈士之碑
大正13年(1924)に建立された碑で上部には毛利元昭の篆額で「野山獄十有弌烈士
之碑」と書かれ、元治元年(1864)12月19日正義派の11名が禁門の変の責任を
責められ、俗論派によって処刑された追悼碑として11名の功績が原田貞男の撰、
安藤紀一の書によって刻されています。
碑文の全文は下記のとおり
(碑文)
正二位勲二等公爵毛利元昭篆額
贈正四位前田孫右衛門君、諱ハ利済、性廉直才ヲ愛シ衆ヲ容ル、藩主忠正公父子勤王ノ業ヲ翼ケテ功多シ、元治元年京師ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年四十七
贈正四位宍戸左馬之助君、諱ハ真澂、性沈黙重厚ナリ、公父子ノ勤王ノ業ヲ翼ケテ日夜懈ルコトナシ、元治ノ変ニ因リ十一月十二日野山獄ニ於テ斬ラル、享年六十一
右ノ二士ハ明治二十四年四月八日特旨贈位ノ典アリ
贈正四位毛利登人君、諱ハ武、性重厚母ニ事ヘテ孝ニ文武並ニ長シ公父子勤王ノ業ヲ翼ク、元治ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年四十四
贈正四位山田亦介君、諱ハ公章、性明敏兵事ニ通シ藩ノ兵制改革ニ与リテ力アリ、元治ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年五十五
贈正四位竹内正兵衛君、諱ハ勝愛、性沈毅果決武芸ニ長ズ、公ノ王事ニ勤メラルルヤ国費殆支ヘズ、君拮据シテ金穀ヲ調発シ絶乏ノ憂ナカラシム、元治ノ変ニ因リ十一月十二日野山獄ニ於テ斬ラル、享年四十六
贈正四位中村九郎君、諱ハ清旭、人ト為リ雄偉気ヲ負ヒ夙ニ盛名アリ、公父子勤王ノ業ヲ翼ク、元治ノ変ニ因リ十一月十二日野山獄ニ於テ斬ラル、享年三十七
贈正四位佐久間佐兵衛君、諱ハ義済、状貌秀偉鋒快利胆気アリ、尊王ノ大義ヲ唱ヘテ一藩ヲ風励シ、公父子ヲ佐ケテ国事ニ力ム、元治ノ変ニ因リ十一月十二日野山獄ニ於テ斬ラル、享年三十二
贈正四位大和国之助君、諱ハ直利、性温厚克ク尊攘ノ事ニ奔走ス、元治ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年三十
贈正四位楢崎弥八郎君、諱ハ清義、性謹厳志操アリ克ク尊攘ノ事ニ奔走ス、元治ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年二十八
贈正四位渡辺内蔵太君、諱ハ暢、躯幹壮偉剣技ニ長シ克ク尊攘ノ事ニ奔走ス、元治ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年二十九
贈正四位松島剛蔵君、諱ハ久誠、性豪爽縄墨ニ拘ラス夙ニ蘭学ヲ修メ海軍ノ興隆ヲ以テ自任ス、元治ノ変ニ因リ十二月十九日野山獄ニ於テ斬ラル、享年四十
右ノ九士ハ明治二十四年十二月十七日特旨贈位ノ典アリ
大正十三年十二月 原田貞雄 撰
従六位勲六等 安藤紀一 書
上の写真は吉田松陰先生筆蹟の文字を組み合わせて作られた「合霊碑」の石碑。
昭和49年(1974)11月に、今古萩町町内会によって建立(左手奥)
上の写真は右手奥にある十一烈士絶命之處と書かれた石碑
動画も添付しておきます。
次に岩倉獄跡の話題に移ります。
上の写真は岩倉獄跡の左手の「合霊碑」と書かれた石碑(大正13年(1924)9月建立)
上の写真は「金子重輔君絶命之處」の碑 揮毫は萩出身の首相 田中義一。
大正13年(1924)9月、吉田潤一氏が建立
上の写真は吉田松陰詩碑 「獄中聞渋木生赴」
昭和8年(1933)8月、吉田潤一氏が建立
本日は萩八景遊覧船めぐり発着場近くにある萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
を写真で紹介していきます。
過去10回の萩の散策とグルメシリーズの記事内容は以下のとおりです。
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その1 旧湯川家屋敷
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その2 萩市指定史跡 桂太郎旧宅
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その3 松下村塾と松陰神社
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その4 松浦松洞誕生地
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その5 厚東 常吉(ことう つねきち)翁像 in 松陰神社
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その6 「薩長土連合密議之処」の石碑 in 松陰神社
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その7 割烹「千代」でのランチ
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その8 唐樋高札場跡
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その9 井上剣花坊の川柳碑
城下町萩の散策とグルメ on 2014-10-4~10-6 その10 萩八景 遊覧船めぐり
上の写真が萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)の遠景です。中まで入らなかったので
毛利輝元と夫人および殉死者長井治郎左衛門の五輪塔の写真はありません。
上の写真は萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)の位置を示したものです。
所在地は萩市大字堀内・天樹院
Goo地図でも所在地を示しました
上の写真は毛利輝元卿墓所の石碑
上の写真は説明版です。(下記の内容)
萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)
天樹院墓所は毛利輝元の墓所で、輝元と夫人および殉死者長井治郎左衛門の墓石3基である。これらの墓は花崗岩製の五輪塔形である。
なかでも輝元のものは高さ2.1m、夫人のものは1.8mといずれも大型である。また墓の周囲には玄武岩製の玉垣、鳥居、石燈籠、長さ64mの参道の敷石、唐門などがあり、環境も良好である。
ここは以前輝元の隠居所、四本松邸のあった所で、彼の死後に天樹院(輝元の法号)が菩提寺としてたてられたが、1869(明治2)年に廃寺になり墓所のみが残った。
上の写真は毛利輝元を中心とした系図です。(天樹院説明板より)
ここでWikipedia(一部加筆)より毛利輝元について引用記載しておきます。
天文22年(1553年)1月22日、毛利隆元の嫡男として吉田郡山城(安芸高田市)
で生まれる
永禄8年(1565年)2月、元服に際し、室町幕府将軍足利義輝の諱一字を賜り、
輝元と名乗り、屋形号を許される。
永禄13年(1570年)3月13日、右衛門督に任官。それ以前は、少輔太郎を称す。
時に、従五位下にも叙位か。
天正2年(1574年)2月9日、右馬頭に遷任。
天正16年(1588年)7月25日、豊臣輝元として従四位下に昇叙し、侍従に任官。
同日、参議に転任。また、清華家の家格に列す。
安芸宰相、あるいは羽柴安芸宰相と称せられる。
天正19年(1591)五箇村(現在の広島市)の広島城が完成(黒田官兵衛が設計)
天正19年(1591)3月、秀吉より知行目録を与えられ112万石の所領を安堵
文禄元年(1592年)から始まる秀吉の2度の朝鮮出兵にも、主力軍として兵3万を派遣
文禄4年(1595年)1月6日、従三位に昇叙し、権中納言に転任。安芸中納言、
また、羽柴安芸中納言と称される。この年、豊家五大老の一員となる。
慶長3年(1598年)4月18日、権中納言辞任。
慶長3年(1598年)8月 五大老の1人として豊臣秀頼を補佐
慶長5年(1600年)9月15日、関ヶ原本戦においては自らは出陣せず西の総大将で敗北
慶長5年(1600年)10月、輝元は剃髪して幻庵宗瑞と称し嫡男の毛利秀就に家督を譲る
慶長8年(1603年)、毛利輝元が江戸に出向き謝罪
慶長9年(1604年)、長門国萩城を築城を開始し、居城とする
慶長19年(1614年)からの大坂の役で出陣
元和9年(1623年)、正式に隠居
寛永2年(1625年)4月27日、萩の四本松邸で死去
戒名:天樹院巌宗瑞
上の写真は入り口の右手の毛利輝元火葬場跡。
石囲いにかこまれており真ん中に石塔がある。
以上萩藩主毛利家墓所(天樹院墓所)について書いてきました。
萩藩主毛利家墓所には天樹院墓所以外に下記の3つの墓所があります。
(1)大照院墓所
初代藩主毛利秀就(ひでなり)以下、2代綱広(つなひろ)から12代斉広(なりひろ)までの偶数代の7藩主夫妻の墓がある。
(2)東光寺墓所
3代藩主毛利吉就(よしなり)から11代斉元(なりもと)までの奇数代の5藩主夫妻の墓がある。
(3)香山墓所
山口市の香山公園内にあり、13代藩主毛利敬親のほか元徳・元昭及びそれぞれの夫人の墓がある。
上記の東光寺の墓所、旧天樹院の輝元墓所、香山墓所の4ヵ所が、萩藩主毛利家墓所として1981年(昭和56)5月2日に国の史跡に指定された。