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源氏物語 宇治十帖の古跡への訪問記 on 2024-12-1&12-2 その1 橋姫

2024年12月04日 05時17分39秒 | 京都情報
2024年12月1日及び12月2日に源氏物語 宇治十帖の古跡を訪問しました。
10回に分けてシリーズとして紹介していきます。
源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)は紫式部が41歳の寛弘7年(1010) に執筆が開始されました。
源氏物語は寛弘9年(1012)に全巻、完成しています。
宇治十帖は第45帖の橋姫に始まり第54帖の夢浮橋で終わる下記の10帖を指します。
 第45帖   橋姫(はしひめ)
 第46帖   椎本(しいがもと)
 第47帖   総角(あげまき)
 第48帖   早蕨(さわらび)
 第49帖   宿木(やどりぎ)
 第50帖   東屋(あずまや)
 第51帖   浮舟(うきふね)
 第52帖   蜻蛉(かげろう)
 第53帖   手習(てならい)
 第54帖   夢浮橋(ゆめのうきはし) 異名:法の師
宇治十帖は光源氏が亡くなった後の話で、主役は光源氏の子供である薫と孫の匂宮です。

第1回は第45帖の橋姫です。
宇治市は私の生まれ故郷で小学校5年生の2学期まで11年間を過ごしました。

上の写真は宇治川のたもとにある紫式部像 撮影日時:2024年12月1日
紫式部は宮中では藤式部と呼ばれていました。

紫式部の生没年については諸説があり確定されていないがここでは天禄元年(970)に出生
長元4年(1031)没として纏めることにしました。

天禄元年(970)0歳 この頃生まれる 父は藤原為時、母は藤原為信の娘
         生誕年には973年他、諸説あり
長徳2年(996)27歳 父・藤原為時の越前守赴任に伴い、越前へ
長徳3年(997)28歳 藤原宣孝との結婚に向けて単身で帰京
長徳4年(998)29歳 藤原宣孝と結婚
長保元年(999)30歳 この頃、宣孝との娘・藤原賢子を出産
長保3年(1001)32歳 夫の藤原宣孝が死去
   この後、1年ほどを経て「源氏物語」の執筆を開始
   「源氏物語」の構想は大津市の石山寺で琵琶湖に映る月を観て発想
   「源氏物語」は全部で54帖に及ぶ長編小説。主人公・光源氏とその息子
   薫の恋愛模様を軸に貴族社会のさまざまな人間模様を描く
寛弘3年(1006)37歳 中宮・彰子(藤原道長の娘)のもとに宮仕えを開始
      (宮仕え開始は1004年説もあり)
    翌年5月まで自宅にひきこもる
寛弘5年(1008)39歳 この頃「源氏物語」の途中まで完成
     「紫式部日記」が書かれ始める(~1010年)
     紫式部日記には中宮・彰子の出産について記録したもので皇子の誕生を
     待ちわびる道長や彰子、女官らの宮中の様子の他に清少納言や和泉式部など
     同僚女房らの批評が書かれています。
     66代一条天皇(980-1011)が「源氏物語」を読み評価
     彰子に中国の詩文集「白氏文集」の「新楽府(しんがふ)」を進講
寛弘6年(1009)40歳 父・藤原為時が左少弁に昇進
寛弘7年(1010)41歳 この頃、源氏物語の「宇治十帖(45帖~54帖)」の執筆開始
寛弘8年(1011)42歳 弟・藤原惟規 (のぶのり)が死去
長和2年(1013)44歳 歌集「紫式部集」を編む
   紫式部自身が詠んだ和歌130首を収めた歌集。少女時代から晩年頃までの生涯を
   たどるようにまとめられ、当時の紫式部の内面が伺える。
長和3年(1014)45歳 父・藤原為時が越前守を辞して帰京。
           藤原為時は翌年(1015年)に三井寺に出家
   紫式部がこの頃、死去したの説(この他1016年、1018年説)もあります。
寛仁2年(1018)49歳 摂政・藤原頼通邸の屏風に詩を献じる
寛仁3年(1019)50歳 この年まで中宮・彰子に宮仕えしたとの説もあり
長元4年(1031)62歳 死去

上の地図は宇治十帖の古跡の位置を示すものです。
出典:宇治川歴史散歩 Page104 

前置きが長くなりましたが橋姫の古跡を紹介していきます。
橋姫の古跡の所在地住所は宇治市宇治蓮華47 橋姫神社




上の2枚の写真は橋姫神社の祠です。撮影:2024年12月2日
左手には瀬織津比咩(せおりつひめ)が祀られています。
右手は水の神である住吉神社 。下記の3神が祀られています。
表筒男命(うわつつおのみこと)、中筒男命(なかつつおのみこと)、底筒男命(そこつつおのみこと) 

上の写真は宇治市文化財愛護協会が作成した現地説明板 撮影:2024年12月2日
上の写真は橋姫神社マスコットキャラクター「橋姫ちゃん」バッチ等の販売品
撮影:2024年12月2日
上の写真は社務所

橋姫の概略あらすじ
自分の出生に不安を覚える薫君は、光源氏の異母弟で仏道に帰依する八宮の宇治山荘に
足繁く通うようになります。八宮が不在の折に2人の姫君の合奏を垣間見た薫君は、
姉大君に心ひかれ、2人は文を交わす間柄になりました。
八宮の山荘の女房から、自分が光源氏の本当の子供ではないと知らされた薫君は、
驚きうちひしがれてしまいます。ある時、薫君は宇治での話を匂宮に聞かせ、姫君への
あこがれをいだかさせてしまうのでした。

上の写真は源氏物語ミュージアムの橋姫の展示 撮影:2024年12月1日

橋姫の名前の由来
光源氏の息子である薫が下記の歌を八条の宮に贈った。
「橋姫の心を汲みて高瀬さす棹の雫に袖ぞ濡れぬる」
”宇治川のほとりに暮らす姫君の気持ちを思い、浅瀬を漕ぐ舟の雫に濡れるように、私は、涙で袖を濡らしております。”
これが橋姫の巻名の由来である。

橋姫は宇治川にかかる宇治橋の守神です。

源氏物語絵巻


上の2枚の写真は愛知 徳川美術館蔵の源氏物語絵巻「橋姫」
昭和27年(1952)3月29日に国宝に指定されているものです 全15巻
12世紀前半 絹本着色・墨書
物語を綴った文書の後に絵が続きます。

関連サイト



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