CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

高畑誠一の軌跡を辿る~カイザー(皇帝)と呼ばれた男~内子自治センター開館15周年記念特別企画展

2019年11月23日 06時10分43秒 | バーチャル探訪

内子自治センター開館15周年記念特別企画展「高畑誠一の軌跡を辿る~カイザー(皇帝)と

呼ばれた男~」が11月1日より12月8日まで愛媛県の内子自治センター、内子町ビジターセンター、

内子町立歴史民俗資料館で開催されています。

観覧する予定は無いが神戸に所縁の鈴木商店のロンドン支店長として活躍した「高畑誠一」

を顕彰する特別企画展であるので内容を理解するために記事としました。

 

上記のPDFファイルへリンクしておきます。

  https://www.town.uchiko.ehime.jp/uploaded/life/123138_197691_misc.pdf

 高畑誠一について簡単に紹介します。

明治20(1887)年、愛媛県内子町生まれ。父・宗次郎、母・タキセの長男。

没年は 昭和53(1978)年。生家は内子町ではかなり古い家系で、高畑誠一で14代目になる。

呉服、食料品、日用雑貨までなんでも扱う小売店をやっていた。

旧制西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て神戸高等商業学校

(現神戸大学)を経て鈴木商店に入社。高畑誠一は25歳で鈴木商店のロンドン支店長に抜擢

され第一次世界大戦のヨーロッパにおいて三国間貿易を導入するなど手腕を振るった。

ロンドン支店長時代に金子直吉から天下三分の宣誓書を受領したことでも知られる。

 天下三分の宣言書(宣誓書)」は鈴木商店の大番頭の金子直吉がロンドン支店長の
高畑誠一(後に日商(現在の双日)を創立)に宛てた巻物にした書簡で、高畑を補佐
させるため金子がロンドン行きを命じた小川実三郎が神戸出立の朝、挨拶のため須磨
一の谷の金子直吉邸を訪れた時に書かれたものである。小川実三郎はシベリア鉄道で
ロシアからスェーデン、ノルウェー経由でロンドンに入りこの書簡を高畑に手渡した。

鈴木商店の関係者の間で後年 、その内容から「天下三分の宣誓書」と呼ばれた手紙は、
金子直吉が鈴木商店全員に発した大号令であった。 「三井、三菱と天下を三分しよう」
という金子の溢れるばかりの気迫と自信に満ちた手紙を受け取った高畑誠一は、後に
日経新聞の「私の履歴書」経済人15(1981)の中で「当時の鈴木の社員は、この金子さんの
大号令に、まるで魔術でもかかったように勇気づけられて突撃した。」と述懐している。

この書簡は長らく高畑家が所蔵していたが太陽鉱工に寄贈され、現在は神戸市立博物館に
寄託されています。

高畑誠一の妻は鈴木よね(お家さん)の孫娘の千代子さん。

以下はWikipediaよりの引用
昭和2年(1927)に鈴木商店の経営が破綻すると、昭和3年(1928)高畑は、台湾銀行の

森広蔵頭取や三菱財閥の各務鎌吉などの支援を得て、永井幸太郎とともに、鈴木商店の子会社

だった日本商業会社を日商株式会社と改め再出発を図り、同社を日本でも屈指の総合商社に育て上げる。

昭和20年(1945)には日商の代表取締役会長に就任した(~1963年)。

その間1957年には日本火災海上保険(現・損害保険ジャパン日本興亜)の社長に就任している。

またロンドン時代に始めたというゴルフとの関係も深く、1926年に発足した関西ゴルフユニオン

(後の関西ゴルフ連盟)の設立に関与したほか、当時公式な日本語版ルールブックが存在しなかった

ことから1934年には独自に日本語に翻訳したルールブックを出版するなど、日本における

ゴルフの普及に大きく貢献した。ゴルフクラブのヘッドカバーの考案者でもある。


神戸新聞が巨大商社・鈴木商店が残したもの「遥かな海路」のシリーズNo.19(2016-10-9)で

高畑誠一について詳細に紹介しています。

上述した内容に書かれていないことを記載しておきます。

「高畑のロンドン駐在は、鈴木の経営が悪化して呼び戻される大正15年(1926)まで約15年

に及んだ。当時の華やかな生活ぶりを写した一枚が、愛媛ゆかりの偉人を紹介する「愛媛人物

博物館」(松山市)に残る。正装した男女約20人が納まる。ロンドン郊外の高級住宅地

ハムステッドの自宅で開いたパーティの記念写真だ。高畑は日本郵船の客船のコックだった

日本人を雇い、自宅にたびたび客を招いた。日銀総裁や大蔵大臣を務めた井上準之助、明治

から昭和の実業家藤山雷太・・・・・大正11年(1922)に結婚した鈴木の店主鈴木よねの

孫、千代子も温かくもてなした。

川崎造船所の初代社長、松方幸次郎が訪英した際には、鈴木の支店の一室を貸し、英国船舶省

に川崎の貨物船12隻の売買契約を結ぶサポートをした。松方が収集した絵画などの美術品

「松方コレクション」にも資金面などで協力した。

健康のためにと始めたゴルフにはとくに熱が入った。大正10年(1921)、皇太子だった

昭和天皇のロンドン訪問時に4人の一流選手を招いた試合を企画した。

大正15年(1926)に帰国後は三木市の広野ゴルフ倶楽部の設立に尽力し、日本初の

ルールブックを作った。

孫の高畑次郎さん(当時81歳)と親類の久保栄子さん(当時82歳)が高畑誠一の

在りし日の暮らしや人柄を語っています。

「おじいさんは努力家、勉強好き食後は書斎にこもっていた」

「簡単に話しかけられる雰囲気ではなかった」

 

鈴木商店関連のブログ:

  玉岡かおる講演会 on 2018-9-8

   このブログで過去に書いた鈴木商店関係のブログにリンクさせています。

  兵庫県劇団協議会の発足50周年記念「大正7年の長い夏」の上演案内

  

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兵庫県池田古墳出土品が重要文化財に答申 on 2019-3-18

2019年04月06日 06時07分51秒 | バーチャル探訪
国の文化審議会が2019年3月18日開かれ、キトラ古墳が異例のスピードで重文から
国宝になったことが大きく報じられました。
 報道例1(NHK) https://www.nhk.or.jp/d-navi/science/news/news_190318_3/

 報道例2(時事ドットコム)https://www.jiji.com/jc/article?k=2019031800879&g=soc


美術工芸品の部門で新規指定件数41件、登録有形文化財(美術工芸品)で2件が
答申されています。

詳細文化庁の公式サイトから
ホーム > 広報・報道・お知らせ > 報道発表 > 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財
(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~で御確認下さい

国宝・重要文化財の美術工芸品の部門で兵庫県からは兵庫県朝来市にある古墳由来の
「兵庫県池田古墳出土品」と加東市の朝光寺(ちょうこうじ)に安置されている
「木造千手観音立像」を国の重要文化財に指定するよう、文部科学相に答申されました。


関連サイト:http://www.hyogo-c.ed.jp/~board-bo/kisya30/3103/310318bunkazai1.pdf
 

本ブログでは池田古墳が重要文化財に指定するよう答申されたことから池田古墳の
発掘調査の結果を要約して纏めてみました。
使用した写真で特記していないものはすべて兵庫県教育委員会が平成27年(2015)3月に
纏めた報告書によります。

尚、朝光寺については加東市選出の県議の藤本百男さんがブログを作成されていますので
リンクさせていただきました。
 朝光寺の千手観音立像が国の重要文化財に


池田古墳の概要
兵庫県池田古墳は朝来市和田山町にある。県教委によると、全長は約135mで、
但馬地域では最大規模を誇る前方後円墳です。兵庫県内で4番目に大きい古墳です。
1907年(明治40年)頃の山陰本線敷設の際に墳丘が削平されているほか、古墳域は
宅地化し、墳丘中央には国道9号(和田山バイパス)が横断したため、旧状は大きく
損なわれている。昭和30年代後半に初めて学術的に認識され、1971年(昭和46年)
から現在まで十数度の調査が行われている。
墳形は前方後円形で、前方部を北東に向ける。墳丘は3段築成。築造は
焦点の水鳥形埴輪は、日本神話でヤマトタケルノミコトが死んで白鳥になったように
死者の旅立ちや復活を願い埋葬されたと考えられる。
水鳥は他界を象徴する存在だったとも言われており、死者の魂を運ぶ役や水先案内人の役
として古墳に置かれた可能性があるという。5世紀前半に造られたとされ、
水鳥形埴輪が全国最多の24体以上出土していることでも知られる。


発掘調査
兵庫県立考古博物館による発掘調査
平成20年(2008)10月26日~平成23年(2011)12月22日
担当者:山田清朝、吉識雅仁、山上雅弘、渡辺昇

報告書
調査の成果について平成27年(2015)3月にまとめられています。(兵庫県教育委員会)
詳細は奈良文化財研究所の全国遺跡総覧のサイトからダウンロードできます。


但馬の王墓の変遷

但馬地方の王墓とみられる古墳を編年順に整理してみました。

築造年代   古墳名             規模形式
4世紀    <若水(わかす)古墳A11号墳>   40mφ円墳
4世紀    <城ノ山古墳>          35mφ円墳
5世紀    <池田古墳>           135m前方後円墳
5世紀    <茶すり山古墳>         90mφ円墳
5世紀    <船宮古墳>           91m前方後円墳
             

出土品

上の写真は池田古墳から出土された出土品の一部(代表的なもの)
埴輪、小型土器、小型土製品、木製品、鉄製品です。


上の写真は出土遺物を整理したものです。




上の2枚の写真は水鳥形埴輪の一部と完全な形で出土した状況


上の写真は家形埴輪


所在地

池田古墳の場所の住所は朝来市和田山町平野字花段です


上の写真は地図に池田古墳の位置を入れたものです。


上の写真は池田古墳の遠景


上の写真は池田古墳の近景
出典:兵庫県立考古博物館編 ひょうごの遺跡 71号 (2009.3)

過去の発掘調査

上の写真は発掘調査された時期と場所を纏めたものです。

発掘調査の現場 
 
                                                               
 





上の3枚の写真は発掘現場の様子です。
                                                                    出典:兵庫県立考古博物館編 ひょうごの遺跡 71号 (2009.3)


上の写真も発掘現場
出典:兵庫県立考古博物館編 ひょうごの遺跡 78号 (2011.3)

以下Wikipediaより引用
墳丘表面は葺石で覆われ、円筒埴輪列・形象埴輪(水鳥形・家形・盾形・壺形・
蓋形埴輪等)が認められるほか、左右くびれ部には造出を有する。
墳丘周囲には盾形の周濠も巡らされており、埴輪・葺石・周濠を備えた古墳は但馬地方では
池田古墳と船宮古墳(朝来市桑市)のみになる。
 

墳丘の構造

上の写真は墳丘の模式図です。
出典:平成20年度現地説明会資料 平成20年12月23日実施
                                                                                                                           
過去のブログ
 ジョセフ・ヒコ(Joseph Heco)の生まれ故郷 播磨町散策記 その8(最終回) 
   現地調査報告会2010(池田古墳他)


祝重文答申の展示
兵庫県立博物館では池田古墳が重要文化財に答申されたこと記念してメインホールで
展示が行われています。期間:2019年03月19日(火) ~ 05月12日(日)
 詳細は下記サイト:
   http://www.hyogo-koukohaku.jp/events/

現地説明会資料
池田古墳発掘調査の現地説明会資料(朝来市教育委員会・朝来市埋蔵文化財センター)
平成18年度 (PDF) :http://www.city.asago.hyogo.jp/cmsfiles/contents/0000000/286/H18.pdf
平成19年度 (PDF) :http://www.city.asago.hyogo.jp/cmsfiles/contents/0000000/286/H19.pdf
平成20年度 (PDF) :http://www.city.asago.hyogo.jp/cmsfiles/contents/0000000/286/H20.pdf
平成21年度 (PDF) :http://www.city.asago.hyogo.jp/cmsfiles/contents/0000000/286/H21.pdf
平成22年度 (PDF) :http://www.city.asago.hyogo.jp/cmsfiles/contents/0000000/286/H22.pdf
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放亀山1号墳バーチャル探訪記

2019年03月11日 04時56分10秒 | バーチャル探訪
2019年3月6日(水)、赤穂市立有年考古館を訪問した時に2018年3月3日に行われた
放亀山(ほうきやま)1号墳発掘調査現地説明会の資料を入手できました。

この資料と実際に現地説明会に参加された方のサイトを参考に放亀山1号墳の
バーチャル探訪記を書くことにしましたので紹介します。
(実際に現地を訪問した訳ではありません)

放亀山1号墳は従前は円墳とされあまり注目されていませんでしたが、平成26年(2014)に
実施された分布調査でこの古墳が前方後円墳である可能性が出てきた為、発掘調査が実施され
2018年3月1日、赤穂市教育委員会は放亀山1号墳が前方後円墳であることを確認したと
公表されました。赤穂市で初の前方後円墳となります。

放亀山古墳群は大鷹山(標高201m)から東へ続く尾根が千種川西岸に達するあたりにあり、
昭和40年代の調査で尾根上に4基、南斜面中腹に1基の計5基が確認されていた。

放亀山1号墳の基本情報

形式:前方後円墳 全長:38m 後円部直径:23m 高さ:4.5m 
前方部:2段 後円部:2段築成
建設時期:古墳時代前期前半(1,700年前) 4世紀前半
発掘調査担当は赤穂市教育委員会


報道機関の報道例
 神戸新聞NEXT(2018-3-2)

 赤穂民報(2018-2-28)

所在地と周辺の遺跡

上の写真は放亀山1号墳の位置図と周辺の遺跡地図 出典:現地説明会資料


上の写真は大鷹山(標高201m)の遠景 撮影:2019-3-6


上の写真は掲示地図に放亀山1号墳の位置を示したもの(赤字で表示

墳丘測量図と復原図

上の写真は墳丘測量図と復原図でトレンチが明示されています。出典:現地説明会資料


上の写真は古墳の想定復元図  出典:現地説明会資料

発掘調査説明図

上の写真は各調査区(トレンチ)の発掘結果概要をまとめたもの 出典:現地説明会資料

埋葬施設の変化

上の写真は埋葬施設の変化を推定復元した図です。 出典:現地説明会資料

葺石の断面図 

出典:現地説明会資料
しっかりと石材が残されており、古墳の築造過程を理解できる

現地説明会の様子
現地説明会は2018年3月3日に行われました。
 https://uminohakata.at.webry.info/201803/article_1.html

実際に現地に行かれた方のサイト
 http://blog.livedoor.jp/geibi/archives/53900943.html


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