岩国市錦見にあった亀尾城主(大内時代)で代々
岩国市の白崎八幡宮の大宮司を務めた。
大内氏の家臣で陶(すえ)氏の武将としても活躍した。
陶氏が津和野城主吉見正頼を攻める時(1554)
毛利元就に出陣を求めましたが元就は吉見側につき
厳島で毛利元就は陶氏の大軍を破りました。
その時弘中隆兼は毛利軍と壮絶に戦い、戦死。
墓が岩国市通津の尊徳寺境内にあります。(写真)
尊徳寺の概略位置はこちらを参照
岩国市の白崎八幡宮の大宮司を務めた。
大内氏の家臣で陶(すえ)氏の武将としても活躍した。
陶氏が津和野城主吉見正頼を攻める時(1554)
毛利元就に出陣を求めましたが元就は吉見側につき
厳島で毛利元就は陶氏の大軍を破りました。
その時弘中隆兼は毛利軍と壮絶に戦い、戦死。
墓が岩国市通津の尊徳寺境内にあります。(写真)
尊徳寺の概略位置はこちらを参照