本殿は(三間社流造、向拝一間、瓦棒鉄板葺)、
室町時代の建築様式で、創建年は不祥。
現存する「正徳五(1715)乙未九月吉祥目上棟周州玖珂郡瀬田八幡宮」の棟札は、
修造時のもので、本殿の建築は少なくともこれより五十年から百年以前の建築で
あることに間違いないと推定される。
よって今から400年以上前の創建と推定される。
また、瀬田八播宮は、記録によると寛永6年(1629)吉川広正公の命により当地に
再興されたとありますから、400年以上前に創建の推定はほぼ正しいと思われます。
所在の場所 和木町瀬田1番地の9
高台にあり、宮島を望める景勝の地であります。
桁行 4.06m 梁間3.97m
男山八幡宮(京都府八幡市)より勧請(かんじょう)
玖珂郡下8社の内のひとつで吉川家からの崇敬は厚かった
室町時代の建築様式で、創建年は不祥。
現存する「正徳五(1715)乙未九月吉祥目上棟周州玖珂郡瀬田八幡宮」の棟札は、
修造時のもので、本殿の建築は少なくともこれより五十年から百年以前の建築で
あることに間違いないと推定される。
よって今から400年以上前の創建と推定される。
また、瀬田八播宮は、記録によると寛永6年(1629)吉川広正公の命により当地に
再興されたとありますから、400年以上前に創建の推定はほぼ正しいと思われます。
所在の場所 和木町瀬田1番地の9
高台にあり、宮島を望める景勝の地であります。
桁行 4.06m 梁間3.97m
男山八幡宮(京都府八幡市)より勧請(かんじょう)
玖珂郡下8社の内のひとつで吉川家からの崇敬は厚かった