御庄小学校の歴史は大変古く明治5年10月に設置翌年の
明治6年(1873)3月に開校しているから133年の歴史がある。
開校当時の設置場所は字市であった。
明治5年(1871)学制が制定されると同年の10月には御庄の
他に錦見、今津村、渋前村(美和町)、玖珂村、由宇村
柳井津町(柳井市)に小学校が設置された。
旧藩主の吉川経健は明治6年に東京に住まいを移したが
その時300円余りを小学校の維持・発展の為寄付している。
このことからも岩国は教育に非常に熱心であった。
明治12年(1878)国の教育令の改正で玖珂郡内には37の
学区に分けられ御庄小学校は第7学区となりました。
校区は関戸、多田、阿品、御庄、大谷、持国、田原、叶木
柱野の9カ村で人口は5290人でした。夫々の村に御庄小学校
の分校又は支校が存在していました。
現在の校舎は平成5年(1993)9月に建てられた。
写真は2006-4-30撮影。
明治6年(1873)3月に開校しているから133年の歴史がある。
開校当時の設置場所は字市であった。
明治5年(1871)学制が制定されると同年の10月には御庄の
他に錦見、今津村、渋前村(美和町)、玖珂村、由宇村
柳井津町(柳井市)に小学校が設置された。
旧藩主の吉川経健は明治6年に東京に住まいを移したが
その時300円余りを小学校の維持・発展の為寄付している。
このことからも岩国は教育に非常に熱心であった。
明治12年(1878)国の教育令の改正で玖珂郡内には37の
学区に分けられ御庄小学校は第7学区となりました。
校区は関戸、多田、阿品、御庄、大谷、持国、田原、叶木
柱野の9カ村で人口は5290人でした。夫々の村に御庄小学校
の分校又は支校が存在していました。
現在の校舎は平成5年(1993)9月に建てられた。
写真は2006-4-30撮影。