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平等山 本性寺
住所:新宿区須賀町13 宗派:日蓮宗
山門の掲示より要約引用
下総国小金宿平賀の本土寺(千葉県松戸市)の末寺。
設立の縁起は徳川家康江戸入府に従ってきた三河の郷士
三田佐兵衛尉守綱が麹町9丁目辺りに営んでいた隠居所を
寛永18年(1641)観智院日泳上人に譲渡し、三田氏の没後、
寛文10年(1670)その菩提を弔う為、創設された。
山門と毘沙門堂は、戦災で焼け残った四谷では数少ない
貴重な建築物である。
毘沙門堂に安置されている毘沙門天像は江戸城本丸に
あったもので、太田道灌時代から伝わっているとされ
五代将軍綱吉の側室、春麗院殿の発願により堂とともに
本寺に寄進された。
この像は別名「北向毘沙門天」といわれ、家康が仙台
伊達氏が謀反を起こさぬ様、北方の守護神、毘沙門天を
北向きに安置して祈願したという伝説がある。
塙保己一の師で国学者の萩原宗固の墓もあります。
荻原宗固(1703-1784)は江戸時代中期の国文者で
市谷本村町の生まれ塙保己一の他に寛政の改革を
断行した白河藩主松平定信など著名な人物を養成した。
宗固は四谷左門町荒木町に居住しており新宿とは
つながりの深い学者である。