CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

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第6潜水艇浮上せず

2007年04月02日 04時43分48秒 | 岩国情報
第6潜水艇は第7潜水艇とともに明治39年(1906)、川崎造船所で我が国で初めて建造された。
明治43年(1910)4月15日、山口県岩国市新港沖で訓練中、事故のため沈没した。

佐久間艦長以下14名は沈没前日の4月14日宮島から新港まで2時間30分にわたる潜航をして
第6潜水艇は新港に停泊し岩国の錦帯橋周辺の散策を楽しんだらしい。

潜水艦は水上では内燃機関(当時はガソリン)、水中では蓄電池で行動する。
水中では蓄電池の電力で小さい為3ノット程度で3時間で電池が無くなり
航行不能となる。

6号艇はガソリン潜航の訓練をしていた。半潜航しながら通風筒から空気をとり
機関を動かすことで高速(水上と同じ8ノット)を得ようとするもの。
しかし、深度が難しく、潜りすぎると水が浸入し危険である。

6号艇の場合も通風筒から海水が入った。佐久間艇長はいろいろアクションを
とったが、大量の水が艇内に入り艇は沈下した。


佐久間艇長はメインタンク排水を命じたが、侵入した水の方がタンク内の
水より多く、浮上しなかった。
乗員は代わるがわる手動ポンプで復旧に努めたが浮上することはなかった

このような状況下で佐久間勉艦長は下記の遺書を書いた。


艇長の遺書 
小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス、誠ニ申シ訳ナシ、
サレド艇員一同、死ニ至ルマデ皆ヨクソノ職ヲ守リ沈着ニ事ヲショセリ
 
我レ等ハ国家ノ為メニ斃(倒)レシト雖(いえど)モ唯唯(ただただ)

遺憾トスル所ハ 天下ノ士ハ之(これ)ヲ誤リ以(もっ)テ将来潜水艇

ノ発展ニ 打撃ヲ与フルニを至ラザルヤヲ憂フルニアリ希(願)クハ
諸君益々勉励以テ比(こ)ノ誤解ナク将来潜水艇ノ発展研究ニ全力ヲ

盡(尽)クサレン事ヲ サスレバ我等一モ 遺憾トスルトコロナシ

上記の他に 沈没の原因とその対策。今後艇の改善を要する諸点などが
記されている。12時40分との記載で終わっている。
下の図は第6艇の沈没場所である。


慰霊碑(下の写真)


原文はこちら
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