2013年4月21日、三木市岩宮町の岩壺神社を訪問し写真を撮りましたので紹介します。
岩壺神社の基本情報
住所:三木市岩宮町391 旧住所表記では三木市岩宮字渕ノ上
TEL:0794-82-0914
御祭神:中座 - 大日孁尊(おおひるめのむちのかみ)=天照大神の別名
誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇の別名
左座 - 上筒男之命(うわつつおのみこと)=住吉三神の一神で海の神・航海の神
天手力男神(たじからおのみこと)
=天岩屋戸に隠れた天照大神が外の様子を見ようと岩戸を少し開けた時、
その岩戸を引き開けた神。
右座 - 国狭槌尊(くにさつちのみこと)=天地開闢の頃の神で草茂る丘や低い山を守る神
天児屋根命(あまのこやねのみこと)
=岩戸隠れの時前で祝詞を読み上げたり、天孫降臨では中心的な役割を果たした神
境内社:八坂神社
由緒:天武天皇の時代白鳳二年(674年)2月11日に創建されたという古いいい伝えのあるが不詳


上の写真は岩壺神社の表参道の鳥居と参道で遠く拝殿を臨む。
鳥居は昭和14年(1939)10月に東洋電波株式会社と三木精工株式会社と北村昌一さんと八木元冶郎さんらが寄進

上の写真は岩壺神社正面の拝殿。

上の写真は拝殿の前の舞殿。

上の写真は本殿。
岩壺神社の名前の由来は神社裏を流れる大川(志染川)の中に靭(うつぼ)の形をした岩があり、 磐靫(いわつぼ)
をもって神社の名前としたと伝えられている。
またこの川の岩に大淵があり、その渕を壺と称したことから岩壺神社と伝えられたとも言われる。
享保年間に社殿を焼失し今の本殿が長屋村の産土大神として再建された。
明治6年(1873)10月に社務所を全焼したため古文書類が無くなり、古いことはあまり分かっていません。

上の写真は境内社。
三木市岩壺神社秋祭り
10月の第2土曜日・日曜日に行われる例祭は、三木の秋祭りとして盛大に行われる。
是非今後この時期に訪問したいと考えています。
岩壺神社の基本情報
住所:三木市岩宮町391 旧住所表記では三木市岩宮字渕ノ上
TEL:0794-82-0914
御祭神:中座 - 大日孁尊(おおひるめのむちのかみ)=天照大神の別名
誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇の別名
左座 - 上筒男之命(うわつつおのみこと)=住吉三神の一神で海の神・航海の神
天手力男神(たじからおのみこと)
=天岩屋戸に隠れた天照大神が外の様子を見ようと岩戸を少し開けた時、
その岩戸を引き開けた神。
右座 - 国狭槌尊(くにさつちのみこと)=天地開闢の頃の神で草茂る丘や低い山を守る神
天児屋根命(あまのこやねのみこと)
=岩戸隠れの時前で祝詞を読み上げたり、天孫降臨では中心的な役割を果たした神
境内社:八坂神社
由緒:天武天皇の時代白鳳二年(674年)2月11日に創建されたという古いいい伝えのあるが不詳


上の写真は岩壺神社の表参道の鳥居と参道で遠く拝殿を臨む。
鳥居は昭和14年(1939)10月に東洋電波株式会社と三木精工株式会社と北村昌一さんと八木元冶郎さんらが寄進

上の写真は岩壺神社正面の拝殿。

上の写真は拝殿の前の舞殿。

上の写真は本殿。
岩壺神社の名前の由来は神社裏を流れる大川(志染川)の中に靭(うつぼ)の形をした岩があり、 磐靫(いわつぼ)
をもって神社の名前としたと伝えられている。
またこの川の岩に大淵があり、その渕を壺と称したことから岩壺神社と伝えられたとも言われる。
享保年間に社殿を焼失し今の本殿が長屋村の産土大神として再建された。
明治6年(1873)10月に社務所を全焼したため古文書類が無くなり、古いことはあまり分かっていません。

上の写真は境内社。
三木市岩壺神社秋祭り
10月の第2土曜日・日曜日に行われる例祭は、三木の秋祭りとして盛大に行われる。
是非今後この時期に訪問したいと考えています。