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東京赤坂地区における勝海舟邸跡

2018年01月04日 06時56分49秒 | 東京情報
昨年末の12月29日、NHKテレビBSプレミアムで江戸城無血開城に関する
番組を視聴しました。

番組の内容については下記サイトを参照してください。
 https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3303/3016029/index.html

番組では、慶応4年(1868)3月13日&14日に陸軍総督の勝安芳(海舟)46歳と
官軍参謀の西郷隆盛42歳が薩摩藩の江戸屋敷(会見の場所は蔵屋敷)において
が会見し江戸城無血開城に導いたものだがその陰に山岡鉄舟の他にイギリス人の
通訳官アーネストサトウが大きいと解説されていました。
徳川家側の大久保一翁(忠寛)も忘れてはならない。

会見の様子を記したモニュメントがJR田町駅の近所15号線沿いの都営地下鉄
浅草線三田駅の上あたりにあり、下記のブログで紹介しています。

勝・西郷の会見の地と江戸城無血開城

上述の番組に触発され東京赤坂地区における勝海舟邸について調べてみました。


上の写真は東京都港区赤坂6丁目10-12にあった勝麟太郎邸跡
出典:Googleのストリートビューの写真
マンションの1階は「EXCELLENT BAR THE GABY」というバーになっています。
久2年(1863)12月、坂本龍馬が訪れ、海舟に弟子入りした場所でもあります。


石碑と説明板が設置されています。
この地に勝海舟は1860年(37歳)から1869年(46歳)まで住んでいた場所
西郷隆盛と会見し、江戸城無血開城を決定した時もこの地に住んでいました。

近くには氷川神社が在り、勝海舟もよく参拝されていたようです。
赤坂氷川神社の境内には勝海舟が命名したと伝わる四合(しあわせ)稲荷神社があります。



上の写真は江戸の古地図で12の位置に勝麟太郎と書かれた場所を確認できます。
出典:もち歩き 江戸東京散歩 人文社 (2006)Page44
場所の目安は赤坂氷川神社の西側


上の写真はアーネスト・サトウが撮った勝海舟の写真
出典:NHKテレビ BSプレミアム 2017-12-29放送 
    ザ・プレミアム 時空超越ドキュメンタリードラマ「江戸城無血開城」


上の写真は現在の地図で勝安房邸跡の位置を示しています。
場所の目安は赤坂氷川神社の北側にあります。
現在の住所は東京都港区赤坂6丁目6−14で特別養護老人ホーム サン・サン赤坂
が建っています。平成5年までは氷川小学校の敷地でした。
勝海舟が明治5年(1872年49歳)から死去した明治32年(1899年)1月19日
まで住んでいた場所です。

勝海舟の最期の言葉は「これでおしまい」だったそうです。


上の写真はその地に建つ石碑と現地説明板。
出典:坂本龍馬と勝海舟 一水社(2010)Page188

石碑には 「勝安房邸趾」 勝海舟伯終焉ノ地ナリ昭和五年十二月 東京府  
と書かれています。

勝海舟と坂本龍馬の師弟像が2016年9月10日に完成除幕されたことを
毎日新聞が報道していますのでリンクさせていただきました。
 https://mainichi.jp/articles/20160910/k00/00e/040/237000c




コメント (4)
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