CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

きょうは何の日 6月1日

2022年06月01日 17時03分27秒 | Weblog

NHKラジオの「きょうは何の日 6月1日」を聴取しましたので内容を紹介します。

6月1日は気象記念日です。明治17年(1884)に初めて天気予報が始まったことで

東京気象台(現在の気象庁)によって制定されました。

当時は警察署と派出所に天気予報が掲示されたそうです。

放送では下に添付の4つの項目が紹介されていました。

・明治4年(1875)気象と地震観測をする東京気象台が設置されました。

・明治44年(1911)平塚らいちょうらが青鞜社の発起人会を開く

   平塚らいてうらが文芸雑誌『青鞜』を創刊したのは同年の9月1日。
   創刊号には「元始、女性は太陽であつた」という平塚の宣言が載せられた。

・昭和61年(1986)パンダのファンファンに赤ちゃんの「とんとん」が生まれる

        日本で初めての人工授精による出産であった。

・平成28年(2016)世界で最長のトンネル(約57.1Km)、コッダルドベーストトンネルの

        開通式が行われた スイスのアルプス山脈を横断するトンネル

        それまでの最長トンネルは青函トンネルであった。

 

番外として1円玉が昭和30年(1955)6月1日に発効開始し、2022年(令和4年)現在も

発行中である。 純アルミニウム製であり、日本の現在発行中の6種類の通常硬貨の中で

素材に銅が含まれない唯一の硬貨である。

 

気象関係についてもう少し突っ込んで記載して行きます。


上の写真は後の中央気象台の略図ですが、この場所で観測が始まった。

出典:2018年6月28日の20:00からNHKのBSプレミアム「英雄たちの選択
「昭和の選択▽戦争の時代 天気予報は誰のものか?日本気象学の父・岡田武松の葛藤」

明治8年(1875)神戸港長の英人J.マーシャルが港務所で気象観測

明治8年(1875)6月御雇外人ジョイネルが一人で担当して1日3回の気象観測を実施

明治16年(1883)ドイツ人船員のクニッピングが日本で最初の天気図

明治17年(1884)6月1日 東京気象台で毎日3回全国の天気予報を発表(天気予報の開始)

 

関連ブログ

 神戸海洋気象台の設置と日本気象学の父・岡田武松 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

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ラー麺ずんどう屋 姫路安室店でのランチ on 2022-5-25

2022年06月01日 05時30分51秒 | 姫路市

2022年5月25日、豚骨ラーメンを売りとしている「ラー麺ずんどう屋」の姫路安室店で

ランチをいただきましたので写真紹介します。初訪問のお店です。  

「ラー麺ずんどう屋」は2002年4月4日兵庫県姫路市で誕生しました。

じっくり炊き出したとんこつだしをベースに背脂を加えた濃厚スープが特徴。 

ラー麺ずんどう屋  姫路安室店の基本情報

住所:姫路市田寺東2丁目25−10 TEL:79-260-6558

営業時間:11:00~21:00  定休日:不定休

オープン日: 2022年2月11日
 
 
所在地のGoo地図を添付しておきます。
 
 
当日はランチメニューのAランチ(ハーフの炒飯と元味ラーメンのセット)
 
上の2枚の写真が当日いただいたAランチ 1,000円(税込)です。
 
上の写真はランチメニュー表です
上の4枚の写真はランチメニュー以外のメニュー表
 
上の写真はお店の外観
 
 
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播磨国刀匠顕彰碑 in 手柄山中央公園 on 2021-12-9

2022年06月01日 04時12分12秒 | 姫路市

2021年12月9日、姫路市手柄山中央公園にある播磨国刀匠顕彰碑の写真を撮ってきました

ので紹介します。

上の写真は播磨国刀匠顕彰碑の表面

上の2枚の写真は播磨国刀匠顕彰碑の裏面

上の写真は判読できた文字を上書きしたもの

文章の主旨としては「播磨国は昔から良質の鉄の産地として知られ古くから日本刀が

生産されていました。初祖は大和大掾氏重。

姫路藩の藩主、酒井家各代の方々は自ら焼刃し、現存する刀もある。

江戸時代中期における姫路藩の刀匠の双璧は手柄山氏繁と鈴木宗栄

昭和48年(1973)秋に播磨の刀匠を顕彰するためにこの碑がつくられた。

 

「手柄山氏繁」は、播磨国の手柄山で活躍した刀工です。手柄山(てがらやま)という銘から、

縁起が良いとされ、人気が高かったと言われています。

手柄山氏繁の初祖は「氏重」で、大和大掾を受領して3代まで続きましたが、藩命により

「氏繁」と改名。その後、4代氏繁(正繁)は別家を樹立しました。その4代氏繁(正繁)

の作刀は、新撰組「永倉新八」の愛刀として有名ですが、「池田屋事件」の際に鋒/切先が

折れたと言われ、残念ながら現存はしていません。

「氏繁」は、姫路市にある手柄山の麓に住んだことから「手柄山」を称するようになりました。

1788年(天明8年)、陸奥白河藩(福島県白河市)第3代藩主「松平定信」に知行500石で

お抱え鍛冶となり、江戸にて鍛刀するようになります。時に氏繁30歳、江戸に出た氏繁は

名を手柄山正繁と改めた。そののち、1803年(享和3年)に

甲斐守を受領。定信より寵愛を受けた正繁は晩年に「神妙」の2字を賜り、自身が納得のいく

でき映えとなった作品の銘に切っていたとされています。

正繁は手柄山四代氏繁の子、兄五代氏繁を助けて、大阪に出て鍛刀し自ら六代氏繁を名乗った。


福島県白河市指定文化財の脇指し「神妙 手柄山甲斐守正繁」の作者
 脇差 銘 「神妙 手柄山甲斐守正繁」【わきざし めい「しんみょう てがらやまかいのかみまさしげ」】 | 白河市公式ホームページ (city.shirakawa.fukushima.jp)

大和大掾氏重は播磨国姫路の刀工で、名を三木新兵衛といい、明暦元年(1655)に

大和大掾を受領している。京と大坂に近い姫路藩は西国外様大名の監視上の要地で、

本多、榊原、酒井等有力諸侯が歴代藩主を拝命した。氏重は重責を担う播磨武士の

需に応えて鎚を振るい、廣峯神社天王宝殿、播磨総社伊和大明神、寛文二年(1662)

正月には松原山八幡宮への奉納刀を打つなど声望は殊に高い。その優れた技術と感性は

血脈と共に代々引き継がれ、五代孫の朝七が寛政の改革で有名な老中松平定信に仕え、

津田助廣張りの華麗な濤瀾乱刃で一世を風靡した、あの手柄山正繁である。


広峯神社に氏重作の刀が残っている。姫路市広嶺山52(姫路市立美術館)に寄託
 広峯神社氏重刀 | 姫路市 (himeji.lg.jp)

碑に書かれている鈴木宗栄の正式名は鈴木五郎右衛門宗栄(?~1708)、通称:鈴木右作宗栄

姫路藩からのちに備前岡山池田家のお抱え刀匠となっています。

初代の時、姫路城主池田家に招かれました。のち備前藩では池田家重宝の左文字(さもんじ)

を写したところ、本物の左文字より出来がよいと「左(さ)」の「右」にでるものという

ほめ言葉を与えられ、通称「右作(うさく)」と称したとされますが、その作刀は残っておらず不明です。

 

最後に、播磨国刀匠顕彰碑の設置場所の地図を添付して筆を置きます。

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