本日は東海5ヵ国時代の 徳川四天王(酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政)を
テーマに書いていきます。
まず、今年のNHK総合テレビ大河ドラマ「どうする家康」で徳川四天王を演じたキャストを
紹介したYoutube動画がありましたのでGooで共有させていただきました。
【どうする家康】~虎の巻9~ 徳川四天王 | 大河ドラマ[どうする家康] | NHK
徳川家康が「海道一の弓取り」と呼ばれる武将に成長できたのは配下の勇猛果敢な四天王の
存在が欠かせない。戦闘で家康が最も頼りにしたのが本多忠勝「蜻蛉切」の名槍を操り、
生涯57回の出陣で傷ひとつ負わなかった。
酒井忠次は家康の人質時代からの守役で、信長との同盟を根回しした。
甲斐の武田家滅亡後、その家臣団を傘化に収め「井伊の赤備え」軍団として
最強を誇ったのが井伊直政。
榊原康政は合戦のたびに戦功をあげ、家康から名前に「康」の1字を与えられる。
小牧・長久手の戦いでは首に10万石の懸賞がかけられたが生還し武名をはせたといわれる。
参考:徳川家康(1542年-1616年)
1610年、62歳で死去。
墓所は 浄土寺(三重県桑名市)、圓教寺(兵庫県姫路市)、良玄寺(千葉県夷隅郡大多喜町)
墓所は 浄土寺(三重県桑名市)、圓教寺(兵庫県姫路市)、良玄寺(千葉県夷隅郡大多喜町)
上の写真は圓教寺(姫路市)にある本多家の墓所です。
中央部が本多忠勝公の廟屋です。戒名は西岸院殿長誉良信大居士。
慶長15年(1610)10月18日 享年63歳。
その左手には、廟屋に入っていないが、本多忠刻公(本多忠政の長男で千姫の婿殿
である)と忠刻公と千姫長男 幸千代君(享年 3歳)の五輪塔があります。
本多忠刻公の戒名は 円泰院殿黄山蒼雄大居士。 寛永3年(1626)5月7日 享年31歳。
忠刻の伴には宮本三木之助=宮本武蔵の養子、宮田角兵衛(三木之助の伴)、
岩原牛之助(忠刻の伴)の切腹殉死者の墓碑がある。
慶長15年(1610)10月18日 享年63歳。
その左手には、廟屋に入っていないが、本多忠刻公(本多忠政の長男で千姫の婿殿
である)と忠刻公と千姫長男 幸千代君(享年 3歳)の五輪塔があります。
本多忠刻公の戒名は 円泰院殿黄山蒼雄大居士。 寛永3年(1626)5月7日 享年31歳。
忠刻の伴には宮本三木之助=宮本武蔵の養子、宮田角兵衛(三木之助の伴)、
岩原牛之助(忠刻の伴)の切腹殉死者の墓碑がある。
1600年(52歳)年寄に任ぜられる。1606年(58歳)で死去。
墓所は群馬県館林市の楠町善導寺、和歌山県高野町の高野山奥の院、
新潟県上越市の榊神社
井伊直政(1561年 - 1602年)
井伊直政(1561年 - 1602年)
井伊直政は1575年(14歳)家康に仕える。1576年(15歳)で初陣。1602年(41歳)で死去。
墓所は滋賀県彦根市 祥壽山清凉寺、彦根市 長松院、群馬県高崎市 竜広寺、
静岡県浜松市 龍潭寺