大河ドラマ「軍師官兵衛」が放映されていた2014年7月13日に黒田家菩提寺
心光寺(姫路市北平野台町)を訪問しています。
時間も経過して記憶は薄れていますが訪問記として写真を整理しました。
心光寺の基本情報
住所:姫路市北平野台町4−12 TEL:079-225-1598
宗派:浄土宗 山号:實貞山 御本尊:阿弥陀如来 御住職:合田義道氏
前身:佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で御着城主小寺氏の菩提寺であった
観音霊場:姫路西国三十三箇所第八番霊場
宗派:浄土宗 山号:實貞山 御本尊:阿弥陀如来 御住職:合田義道氏
前身:佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で御着城主小寺氏の菩提寺であった
観音霊場:姫路西国三十三箇所第八番霊場
實貞山・心光寺には黒田家の菩提寺で官兵衛の祖父:重隆公、重隆公妻、
官兵衛の父:職隆(もとたか)、職隆公妻、孝高公、友氏公の位牌が
黒田長政の時代に祀られたとのこと。
Goo地図を添付
上の写真は本堂
上の写真は現地説明板
浄土宗 實貞山心光寺
心光寺の前身は佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で、御着城主小寺氏の菩提寺であった。
しかし、政隆・則職が一向宗を. 信奉したことと、熱心な浄土宗信者であった職隆夫人
明石氏(官兵衛の母)の死去を契機として、職隆が梨原寺を浄土宗寺院に改宗・改築し、
黒田家の菩提寺とした。心光寺縁起(姫路考略記)には「本尊阿弥陀仏、貳尺八寸立像、
聖徳太子之作也。牛堂山国分寺塔中(塔頭)之本尊と伝へ」とある。心光寺はその後
職隆に随従して佐土村から姫路に移され、慶長13年(1608)池田輝政の町割りの際に
坂田町(今の保健所の所)へ移された。しかし、昭和初期に国道2号線が境内を貫通し
戦後の復興事業により寺地が減少したため平成2年(1990)11月現在地に移った。
以下略
心光寺の前身は佐土村(別所町佐土)の真言宗梨原寺で、御着城主小寺氏の菩提寺であった。
しかし、政隆・則職が一向宗を. 信奉したことと、熱心な浄土宗信者であった職隆夫人
明石氏(官兵衛の母)の死去を契機として、職隆が梨原寺を浄土宗寺院に改宗・改築し、
黒田家の菩提寺とした。心光寺縁起(姫路考略記)には「本尊阿弥陀仏、貳尺八寸立像、
聖徳太子之作也。牛堂山国分寺塔中(塔頭)之本尊と伝へ」とある。心光寺はその後
職隆に随従して佐土村から姫路に移され、慶長13年(1608)池田輝政の町割りの際に
坂田町(今の保健所の所)へ移された。しかし、昭和初期に国道2号線が境内を貫通し
戦後の復興事業により寺地が減少したため平成2年(1990)11月現在地に移った。
以下略
上の写真は観音堂
上の写真は心光寺の入口遠景
上の写真は正面入り口(山門)
上の写真は通用門(山門)
上の写真は庫裏
上の写真は正面の山門からみた境内の遠景
上の写真は正面の山門付近の軒瓦。黒田家の家紋が入っています。
上の写真は歴代住職の墓碑付近
上の写真は境内の稲荷社
上の写真は浄土宗の宗祖「法然」の尊像
お地蔵様 六道を解説した石碑
上の写真は以前に使用されていた瓦の保管棚
上の写真は瓦の保管棚の横に置いてある鬼瓦
2023年3月20日に追加
軒平瓦に関する一般資料
坪井利弘著 日本の瓦屋根 理工学社(1997)より軒平瓦に関する資料を添付
上の写真は平軒瓦の定義 上述の本のPage85
上の写真は軒瓦の種類 上述の本のPage85
軒瓦には平軒瓦の他に鎌軒瓦、一文字軒瓦、左軒瓦があります。
上の写真は一文字軒瓦の各部分の名称 上述の本のPage85
上の写真は屋根に使用される瓦の種類と使用箇所 上述の本のPage34
上の写真は本葺型の瓦の種類 上述の本のPage35
上の写真は平唐草の瓦当の文様 上述の本のPage39
上の写真は平唐草瓦当各部の名称 上述の本のPage38
上の写真は平唐草・二の平・敷平 上述の本のPage38
上の写真は平唐草の寸法の一例 上述の本のPage38
ここまでは2023年3月20日に追記
上の2枚の写真は釈迦如来双方(仏足石)とその解説石碑
上の写真は鐘楼の遠景
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