神戸市立博物館は令和元年(2019)11月2日にリニューアルされオープンしました。
無料観覧エリアの展示で兵庫津の鍛冶屋町と宮前町の復元模型が新たに登場しました。
2020年6月12日に訪問した際に復元模型の写真を撮ってきましたので紹介します。
上の3枚の写真は神戸市立博物館の兵庫津 鍛冶屋町と宮前町の復元模型の展示
上の写真は現地の説明パネルです。
読み難いのでそのまま転記します。
兵庫港のにぎわい
江戸時代後期の北浜鍛冶屋町、宮前町付近の推定復元模型です。
兵庫一の豪商北風家をはじめ大店が建ち並んでいました。1770年代に
行われた海岸部の大規模な開発と港湾機能の整備により、以前に
増して諸国の商船が集散するようになります。宮前には魚市があり、
生魚問屋など、魚介を扱う商人たちが拠点にしていました。
上の写真は元禄9年(1696)の摂州八部郡福原庄兵庫津絵図をベースとした神戸市史
の参考図で鍛冶屋町と宮前町の位置を図示したものです。
神戸史談 301号で郷土史家の故前田章賀さんが「江戸時代の兵庫津、神戸村人名録」
と題して詳しい調査データを報告されています。
この中から鍛冶屋町と宮前町に関する記述をピックアップしてみました。
鍛冶屋町
家屋数62 人口258(男136,女122) 寛政9年(1796)
宮前町
家屋数97 人口346(男172,女174) 寛政9年(1796)
住人
宮前町については寛政10年(1798)に刊行された「摂津名所絵図」で魚市として
紹介されています。「・・・・、毎朝諸魚の市あり、ここより又京都・大坂へ早船にて
運送し、市に商う。」と記載されています。
宮前町水帳絵図(天保9年(1838))によって上述の名前が出てきています。
但し、所有者の名前で住人であるかどうかは判らない。
有力な生魚問屋としては貝屋市左衛門が有名。
生魚組合の行司として蛤屋佐右衛門、貝屋甚左衛門の名がみられる。
鍛冶屋町は北浜11町の中心にあり、自治行政を行った北浜惣会所があった。
兵庫津有数の商家である北風家の本拠地でもあった。
「どりゃ、北風はんで振舞われよか」これが兵庫津の船着き場で一日の仕事を終えた
沖仲仕たちの合言葉だった。兵庫津鍛治屋町の北風荘右衛門家は代々「荷主船頭の
気っぷを大切に」という家訓に従って北国、北海道から荷を運んできた船乗り達の
宿料は一切無料で大広間には少ない時でも100人を超える船乗り達が提供される
一汁三菜と酒で夜更けまで楽しんだ。
店頭には運ばれてきた北国米やニシンに仲買人たちが群がった
出典:夜明けの人々 Page 60-62
北風荘右衛貞幹(1736-1802)は蝦夷地交易の利に着目し、淡路出身の高田屋嘉兵衛を
後援し、ニシンしめかす(干鰯)の大量移入をはかり、この肥料によって西日本の
農業生産は急速に増大したという。貞幹のあと三代にわたって北風家は兵庫津十二浜の
問屋、倉庫街を支配し、豪富を誇った。
幕末、維新期に家を継いだ北風正造と貞忠は尊王の志が厚く、家財を傾け、同時に
兵庫津の発展に貢献した。しかしこの家は明治20年代に没落し、その跡は失われた。
少し内容が難くなったので神戸市兵庫区役所が作成した兵庫津のPR動画を添付して
筆を置きます。
ようこそ兵庫津へ
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