2021年2月17日、神戸市営地下鉄三宮駅構内に展示の「摂州神戸海岸繁栄之図」の
写真を撮ってきましたので紹介します。
上の写真は摂州神戸海岸繁栄之図」 明治4年(1871)長谷川小信すなわち二代目の
長谷川貞信の作品で開港当時の神戸港の風景を描いたものです。神戸市立博物館蔵
外輪の蒸気船、西洋館、ガス燈、人力車、洋装の人物など当時の風物が描かれ、
文明開化に対する人々の関心の間とや、反応を伺い知ることができる。
国旗では日の丸の他に英国とフランスの国旗を確認できます。
海岸通の奥にある「伝信機」と書かれた洋館は、明治3年(1870)に神戸-大阪間に
創設された電信仮局です。
2代目の長谷川貞信を襲名したのは明治8年(1875)であるのでこの作品を制作したのは
長谷川小信と称していた時のものである。
この絵の原版は3枚の錦絵でそれらを合成したものである。
合成前の3枚の状態については下記サイトで確認できます。
作品詳細 | 摂州神戸海岸繁栄之図三枚続 | イメージアーカイブ - DNPアートコミュニケーションズ (dnpartcom.jp)
左側の下部の赤色で囲った部分には長谷川小信の名前の他に版元の
神戸東札場前 柴屋久四良、大坂新町東口 八尾屋善助板の名前を確認できます。
上の写真は展示場所に掲示の説明板。
上の写真は展示の遠景です。神戸市営地下鉄三宮駅にて 撮影:2021-2-17
寄贈者は三井住友銀行
2代目 長谷川貞信についてWikipediaより引用させていただきます。
二代 長谷川 貞信(にだい はせがわ さだのぶ、嘉永元年(1848年) - 昭和15年
(1940年)6月21日)は、明治時代から昭和時代にかけての大坂の浮世絵師。
初代長谷川貞信の長男。本名は徳太郎。初め小信(このぶ)と称した。
慶応元年(1865年)頃から小信の号で描き、明治8年(1875年)に父から貞信の
名を譲り受け、2代目長谷川貞信と称した。
初代貞信は役者絵や「浪花百景」などの風景版画の分野を得意として、幕末から
明治初年にかけて上方浮世絵界で活躍したが、2代貞信もその伝統を受け継いで
役者絵を主に描いている。その他に神戸名所、浪花名所、浪花十二景などの風景画、
玩具絵、武者絵、美人画、『日々新聞』の挿絵や銅版画を手がけている。
小信を名乗っている頃には、「播州神戸海岸繁栄之図」を初めとして
神戸・大阪(川口)の居留地などを舞台に、鉄道、鉄橋、西洋館など明治初年の
文明開化の風俗をよく描いた。
小信時代に描かれた神戸を題材にした開化絵は、開港当時の風俗や居留地の
景観を知る数少ない資料として貴重である。また、貞信を継いだ後は、錦絵新聞や
西南戦争に題材を求めた錦絵を多く手がけた。
銅版画や石版画が普及し、浮世絵の需要が衰えた明治10年(1877年)以降には、
商店の引き札(広告)や輸出茶の商標、芝居絵の番付なども描いている。
享年93。墓所は初代と同じ天鷲寺。法名は明徳院貞信遍照居士。
関連サイト:
日本財団図書館(電子図書館) 描かれた神戸物語-源平合戦から港街・異人館まで-図録 (zaidan.info)
神戸競馬発祥の地 神戸「旧居留地」と「東門街」 : 散策とグルメの記録 (exblog.jp)
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