いきなりですが、下の写真は明治中期の第一波止場の様子です瀬戸内海写真帖 神戸市立博物館所蔵
出典:田井玲子さん著書「外国人居留地と神戸」(2013)Page47
出典:田井玲子さん著書「外国人居留地と神戸」(2013)Page47
1月13日、14日に行われた神戸海軍操練所跡 発掘調査の現地説明会の資料
としても添付されていたもので右側に信号灯が写っています。
信号灯は灯竿 (とうろん)とも呼ばれています。
灯竿は航路標識の一つで桟橋・防波堤などの端に設置し夜間に港の位置を示す小型の灯台である。
Aはコーベ・クラブ
Bは122番 デラカンプ商会
Cは東運上所(神戸税関)
Dは12番 イリス商会
本ブログでは上の写真の右手に写っている第一波止場の信号灯(灯竿)が
いつ設置されいつまで存在したかをテーマに調査しましたので紹介します。
尚、第一波止場は資料により「外人居留地東波止場」「東運上所前波止場」「東防波堤」
などと表記されていますが同義語です。
参照文献
1)神戸開港百年史 建設編 神戸開港百年史編集委員会 編 神戸市 1970.4
上記ブログで神戸港のあゆみ(変遷)を簡略化して纏めています。
神戸市が神戸港開港150年を記念して上記資料を作成されています
いつ設置されたか?
第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ設置されたか?
信号灯は発掘調査で八角形の基礎を持つ古いタイプ、以下「旧」と呼ぶと
丸型の基礎を持つ新しいタイプ、以下「新」の2つが検出されています
「旧」は明治10年(1877)8月15日に設置されたアーク燈(ガス燈)で白色灯
「新」は明治23年(1890)から明治35年(1902)までに設置された電気式の緑色燈
上述した明治中期の信号灯の写真は「新」
結論:「旧」は明治10年(1877)8月15日
「新」は明治23年(1890)から明治35年(1902)
「旧」は「和田岬燈台に続いて、明治10年8月15日、外人居留地東波止場の先端に、
光達距離24㎞の白色竿燈が設けられた」
出典:文献1)Page68~69 (1)和田岬公園
(参考)・・・和田岬灯台について
和田岬燈台は日本の灯台の父と呼ばれるイギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの
指導で、明治4年(1871)和田岬砲台の横に作られました。当初は木製で8角形の灯台
でしたが明治17年(1984)現在の鉄骨造の灯台に建替えられました。
指導で、明治4年(1871)和田岬砲台の横に作られました。当初は木製で8角形の灯台
でしたが明治17年(1984)現在の鉄骨造の灯台に建替えられました。
出典:須磨海岸の赤灯台(旧和田岬灯台) の現地説明板
いつまで存在したか?
第一波止場の信号灯(灯竿)はいつ迄存在したか?
結論:旧については新が建設された明治23年(1890)
から明治35年(1902)に廃絶した
新についてははっきりとした年月日までは判明せず不明
神戸港第1期修築工事着工した明治40年(1907)9月16日から
大正11年(1922)5月16日の完成の間に廃止されたか?
昭和39年(1964)内海の埋め立て開始頃まで存在していたか?
上の写真は大正12年(1923)頃の神戸港(神戸港第1期修築工事完了後)
出典:開港100年記念誌 Page23より 2)
出典:開港100年記念誌 Page23より 2)
神戸港第1期修築工事の内容は下記のとおりです 出典:3)
・第1~第4突堤の建設
・上屋18棟
・防波堤 1,149m
・鉄道 20,378m
神戸港のうつりかわり
神戸市埋蔵文化財センターの展示より「神戸港のうつりかわり」を紹介します
上の写真は神戸港の移り変わりの全体写真です。拡大版を下に添付。
神戸海軍操練所跡発掘調査の現地説明会
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