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姫路城外堀跡(姫路城城下町跡(姫路城跡第480次))の現地説明会 on 2023-7-22

2023年08月05日 04時36分47秒 | 姫路市
2023年7月22日、姫路市福中町52番 で発掘調査を進めていた姫路城外堀跡の発掘成果を
公表する現地説明会が行われるとのニュースを神戸新聞の記事(7/19の朝刊)で知った。
記事の見出しは「姫路城外堀に治水担う石垣 地面より高く城下町への越水防ぐ」
現地説明会には出席できなかったが発掘状況を纏めてみようとブログを作成することにした。

写真は特記の無いものは姫路市埋蔵文化財の現地説明会資料によります。
上の写真は今回の現地説明会で説明される姫路城外堀の堀跡
・堀の規模は、幅約10m、深さ約1.7~2.6m、南北延長約30mにわたって調査。
・堀の東・西面の石垣が見つかり、東面石垣は、高さ約1.7mで7段分の石積み、西面の石垣は、高さ約2.6mで9段分が残っていました。堀底は、東側から西側へ緩やかに傾斜しており、東面石垣と西面石垣の根石の比高差は約0.6mあります。


上の写真は姫路城跡第480次の調査場所 上の図の青色に着色された場所が現地説明された。
船場川と並行して普請が行われた城下町西側部分の外堀が、川の堤と一体的に調査された
のは初めてで、「城下町への越水を防ぐために外堀の両側に石を積み上げ堤防
としていた」
ことが確認されました。

 上の写真は今回の調査地点の北側にある埋門(うずみもん)かっての姿をスケッチしたものです。
外堀(中央)と中掘(右手)及び船場川(左手)のイメージがよく判る図なので添付しました。 
出典:埋門の現地説明板
上の写真は姫路の城下町の堀と城門、町割り、船場川などを記した広域図
埋門の位置を理解するために添付しました。
出典:姫路市立城郭研究室編 姫路城絵図集(2017)Page69

上の写真は外堀の石垣の断面を示したものです。
この外堀の構造は堀が増水すると川へ、川に水があふれると堀へ流していたとみられる。 


奈良文化財研究所が纏めた全国遺跡総覧より調査の概要を添付しておきます。
1.調査概要
・調査場所 兵庫県姫路市福中町52番他
・調査面積 542㎡

2.調査成果
・堀の規模は、幅約10m、深さ約1.7~2.6m、南北延長約30mにわたって調査。
・堀の東・西面の石垣が見つかり、東面石垣は、高さ約1.7mで7段分の石積み、西面の石垣は、高さ約2.6mで9段分が残っていました。堀底は、東側から西側へ緩やかに傾斜しており、東面石垣と西面石垣の根石の比高差は約0.6mあります。
・これまで調査例が少なかった姫路城外曲輪西端の堀を広い範囲で調査し、城下町と城外の境界部分を一体的に把握することができました。
・東面石垣は、船場川の東岸を削り込んで石積みをしているのに対し、船場川と接していた西面石垣は、堤状の石積みにより堀と分けられていました。これにより両面の石垣は、軍事的な防御機能に留まらず、度々水害をもたらした船場川から、城や町を守るための治水や利水の役割も担っていたと考えられます。
・堀の構築時期については、東面下部の石垣が、姫路城築城段階(江戸時代初頭)にさかのぼる可能性が指摘されています。調査地南側の備前門跡の調査(平成29(2017)年)では、江戸時代初期の特徴を示す門南面の堀の石垣を確認しており、今回の調査地で確認された石垣と比較的近い時期に造られた可能性があることがわかりました。
・今回の発掘調査によって、姫路城では、築城段階(江戸時代初頭)から、船場川を利用することにより外堀に防御と治水・利水の機能を兼備させるという、合理的な発想と巧みな技が採り入れられていたことがわかりました。

報道例





現地説明会参加者のサイト

現地説明会資料
 131947_1_姫路城城下町跡480次現地説明会資料.pdf 



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