2020年7月2日、大聖寺の明石空襲慰霊碑の写真を撮ってきましたので
紹介します。
上の写真は明石市と川崎重工が戦後に建立した慰霊碑
上の写真は明石市が昭和21年(1946)に建立した慰霊碑
上の写真は太平洋戦争明石空襲犠牲者無縁者の慰霊塔
大聖寺境内に川崎航空機の従業員寮があった縁で、大聖寺は引き取り手のない遺骨を
預かり、毎年6月9日に慰霊祭を実施されています。
2020年もコロナ禍ではありますが実施されたようです。
その様子について神戸新聞の記事にリンクさせていただきました。
神戸新聞NEXT|明石|明石空襲の記憶つなぐ 大聖寺で感染対策し慰霊祭 (kobe-np.co.jp)
神戸空襲を記録する会編 神戸大空襲のPage146からPage170に
明石の空襲について記述されています。
昭和20年1月19日川崎航空機明石機体工場の爆撃の惨状と6月9日の上ノ丸
の惨状について記述されています。(要約したものを下に添付)
昭和20年(1945)1月19日 3時51分 米軍8機による川崎航空機工場への
空襲があり263人の死者が出たこと、明石公園で同年6月9日9時54分
米軍9機による空襲があり269人の死者が出たこと、同年7月7日 0時15分と
1時35分 の空襲で市街地の63%が消失し355人の犠牲者が出たことなど
合計1,496人が空襲の犠牲になったことが記載されています。
明石公園内の明石空襲の碑については小生の下記のBlogを参照してください。
明石空襲の碑
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