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姫路市 慈恩寺への訪問記 on 2022-9-21

2022年09月24日 05時53分00秒 | 姫路市

2022年9月21日、姫路市山野井町にある臨済宗の寺院である慈恩寺を訪問しましたので

写真紹介します。

訪問のきっかけは男山の麓にある水尾神社の境内に「文化財をたずねて男山周辺めぐり」

という案内掲示があり、そこに慈恩寺に地獄絵馬と旧武徳殿の門という文化財があるとの

説明掲示があったので訪問した次第である。

慈恩寺の基本情報

住所:姫路市山野井町37-3 TEL:079-296-2038

宗派:臨済宗妙心寺派 開創:応永19年(1412)たつの市新宮町で開創

 

所在地のGoo地図を添付しておきます。

 

本堂

上の写真は慈恩寺の本堂です。

慈恩寺は応永19年(1412)たつの市新宮町で開創された。赤松家の滅亡で姫路城内に移る。

池田輝政の姫路城築城で西魚町に移転。後に戦災で現在地に移転されたとのこと。

庫裡

山門

上の2枚の写真は門の外及び内から撮った山門。

山門は旧武徳殿の門。

明治後期、京都に本部を持つ大日本武徳会は武道の奨励と質実剛健の気を養うため、

各地に武徳殿の建設を進めていた。軍都姫路もこの要請を受けて明治40年(1907)、

西魚町(いまの大蔵前町児童公園)に姫路武徳殿が建てられた。

しかし、武徳殿は昭和20年(1945)の戦災で全焼したが武徳殿の門だけが残り

慈恩寺のものとなった。

武徳殿は濠も埋められており当時の面影は全くとどめていない。

明治28年(1895年)に設立された大日本武徳会の本部道場は、
かつて京都御所大内裏にあった武徳殿に因んで「武徳殿」と名付けられた。

全国各地の武徳会の支部道場も、本部に倣って「武徳殿」と名付けられた。

神戸諏訪山の「武徳殿」もその一つで明治42年(1909)10月30日
建てられました。

総坪数162坪 なかには中央に祭壇があり道場の東半分が剣道、西半分が
畳敷きの柔道場であった。
さらに西北隅には弓道場もあった。




上の写真はかって神戸の諏訪山にあった武徳殿です。
出典:荒尾親成 著 「明治・大正神戸のおもかげ集 第2集 」Page39


上の写真は明治末?の地図で武徳殿の設置位置が確認できます。

上の写真は明治14年(1881)の地図でこの時点では武徳殿の場所は井垣池
であったことが判ります。
上記の荒尾親成氏は笊が池と書かれています。

地獄絵馬

墓地の入り口に小さなお堂があり、その中に古い額(地獄絵馬)と一緒に無色界 色界 欲界

の三つの世界(三界)の魂を供養する仏像がありました。(下の2枚の写真)

 

墓地

 

上の写真は明治34年(1901)から明治42年(1909)の8年間、姫路市長を務めた

大塚武臣さんの墓碑。

墓碑は庫裡の横(東側)の墓地の奥の方にあります。

墓地内には勤皇の志士「萩原虎六」の墓もあるようですが確認できず。

上の写真は水尾神社境内、男山登り口から撮った慈恩寺の墓地 撮影:2019年10月8日


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