NHKテレビの朝ドラ「花子とアン」も最終章に近づいています。
視聴率も23%前後をキープして常時トップに近い順位を確保し好調です。
そんな中、昨日(2014-9-5)原作の村岡恵理著「アンのゆりかご」を購入した。
表紙を下に添付しておきます。
村岡恵理 『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』 新潮社〈新潮文庫〉、
2011年(原著2008年)。ISBN 978-4-10-135721-8
また以前に購入していてた東京都大田区郷土博物館発行の『馬込文士村』のPage68-69に
著名な作家に並び紹介されています。(表紙を添付)
上記の本とインターネットの情報を基礎に翻訳家・児童文学者「
村岡花子」についてまとめてみました。
まずWikipediaより村岡花子(1893-1968)の略年表を引用紹介します。(一部加筆及び修正)
1893年(明治26年)0歳 山梨県甲府市に生まれ東京に育つ。
父 安中逸平(葉茶屋) 母 てつ 花子5歳の時に一家で甲府から上京
1903年(明治36年)10歳 カナダ系メソジスト派の東洋英和女学校へ編入学。
10年間、寄宿舎で暮らす
1914年(大正3年)21歳 東洋英和女学校高等科を卒業。英語教師として山梨英和女学校に赴任。
同年、友人と共に歌集『さくら貝』を刊行。
植村正久牧師主宰の「福音新報」に寄稿
1917年(大正6年)24歳『爐邉』(ろへん)を日本基督教興文協会から処女出版。
1919年(大正8年)26歳 甲府の英語教師を辞職して東京の日本基督教興文協会
(関東大震災後、教文館と合併)に女性向け・子供向け雑誌編集者として勤務
同年、」福音印刷社長でクリスチャンの村岡儆三と築地教会で結婚。大森新井宿に新居。
1920年(大正9年)27歳 、長男・道雄誕生。
1923年(大正12年)30歳 関東大震災で、夫の印刷会社が倒産して多額の負債を抱える。
1926年(大正15年)33歳 自宅に出版兼印刷会社、青蘭社を設立。5歳の長男道雄を疫痢で喪う。
1927年(昭和2年)34歳 マーク・トウェインの"Prince and Pauper"を翻訳し邦題『王子と乞食』として公刊(平凡社)。
1932年(昭和7年)39歳から1942年(昭和17年)49歳までJOAK (NHK東京放送局) のラジオ番組の『コドモの新聞』コーナーに出演、
「ラジオのおばさん」として人気を博す[14]。妹・梅子に長女みどり誕生(後に養女とする)
1939年(昭和14年)46歳 宣教師のミス・ショーが世界情勢の悪化からカナダに帰国。
モンゴメリの"Anne of Green Gables" を贈られる。1941年(昭和16年)太平洋戦争勃発。1945年(昭和20年)52歳に訳了。
1952年(昭和27年)59歳日本初の家庭図書館である道雄文庫ライブラリーを自宅に開館。
同年、モンゴメリの"Anne of Green Gables" を翻訳し邦題『赤毛のアン』として公刊(三笠書房)
1954年(昭和29年)ウィーダの『フランダースの犬』を翻訳出版(新潮文庫)
1955年(昭和30年)62歳 『ストウ夫人』翻訳出版。5月、ヘレン・ケラー来日時に通訳。
1960年(昭和36年)67歳 児童文学に対する貢献によって藍綬褒章受賞。孫・美枝誕生。
1963年(昭和38年)70歳 夫(村岡 儆三)を喪う。
村岡 儆三=1887年〈明治20年〉~ 1963年〈昭和38年〉2月6日 享年76歳
母方の従姉妹に社会運動家の賀川ハル(同じく社会運動家の賀川豊彦の妻)がいる。
1967年(昭和42年)74歳 アメリカ合衆国を訪問[15]。孫・恵理誕生。
1968年(昭和43年)10月25日75歳 脳血栓で死去。
葬儀は大森めぐみ教会で10月29日に行われた。
墓所は横浜市西区の久保山霊園
村岡花子を中心とした系図は下記サイトで見れます。
http://kingendaikeizu.net/bungaku/muraokahanako.htm
系図の中に書かれていますように養女の村岡みどりは書家の坂田巖と花子の妹梅子(ドラマでは桃)
の長女で1932年(昭和7年)9月13日生まれで1994年(平成6年)に逝去されました。
この村岡みどりさんが東京の花子宅の書斎を「
赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」として
開放することを提案。1991年(平成3年)に開館し花子の著作物や蔵書の保存、
同時代の児童書の保存の場となったその後みどりの長女の村岡美枝(英文学者、翻訳家)
と次女の村岡恵理(作家)によって現在も
赤毛のアン記念館・村岡花子文庫は運営
されています。
話題をNHKテレビの朝ドラ変えて話を展開します。
23週 137話 9月4日(木)で昭和14年(1939)
宣教師のミス・ショー(ドラマでは修和女学校時代の恩師スコット先生)が世界情勢の悪化からカナダに帰国。
友情の証としてモンゴメリの"Anne of Green Gables" を贈られる場面がありました。
(下の写真)
Yahooテレビより本日(20114-9-6)以降の番組展開を記載しておきます。
24週は
「生きている証」
9月6日(土)
1941年(昭和16年)12月8日。ラジオから流れる日米開戦のニュースに花子(吉高由里子)と英治(鈴木亮平)はがく然とする。旭(金井勇太)、もも(土屋太鳳)や近所の人が大勢村岡家へつめかけ、ラジオの前で次のニュースを待つ。やがて「緒戦は日本大勝利」とのニュースが流れ、人々は歓喜に沸くが、『コドモの新聞』の放送を心配する花子はラジオ局へと向かう。ラジオ局はいつになく殺気立った雰囲気に包まれていた…
9月8日(月)
美里(三木理紗子)から、なぜラジオの仕事を辞めたのかと聞かれた花子(吉高由里子)は、敵方の国には大切な友人たちがいるから、戦争のニュースを子どもたちに伝えることはできないと話す。開戦直後は日本軍の連戦連勝が伝えられ、人々は高揚していた。ある日、花子は道ばたで、割ぽう着にたすきをかけた女性たちの集団に出くわす。その中にかよ(黒木華)の姿が。雪乃(壇蜜)に誘われ、婦人会の活動に加わっていたのだ…
9月9日(火)
村岡家に石が投げ込まれるという事件が起きた。犯人がまだ年端も行かない子どもだったことに驚きを隠せない花子(吉高由里子)。カフェーでかよ(黒木華)にその件を話すと、かよは意外にも、花子たちにも責任があるのでは、と言う。花子はもも(土屋太鳳)から、旭(金井勇太)が花子の仕事のことで近所の人からなじられた話を聞き、ショックを受ける。その頃、吉太郎(賀来賢人)が村岡家に英治(鈴木亮平)を訪ねて来る…
9月10日(水)
シンガポールから帰国し、花子(吉高由里子)を訪れた醍醐(高梨臨)は以前の明るさを失っており、戦争はむごいものだと言ったきり黙りこんでしまう。聡文堂の休業を報告に来た梶原(藤本隆宏)から、醍醐が帰国する船上で米国の魚雷攻撃に遭い、恐ろしい体験をしたという話を聞いた花子は、初めて戦争の悲惨さを身近に感じるのだった。そんなある日、吉平(伊原剛志)が村岡家を訪れる。花子たちに疎開を勧めに来たのだ…
9月11日(木)
二学期が始まり、甲府に疎開してきた美里(三木理紗子)と直子(志村美空)は学校に通い始める。だが美里は新しい環境になじめない様子。吉平(伊原剛志)は孫たちにカタコトの英語を交えて話して花子(吉高由里子)にいさめられるが、吉平は家の中くらい自由にさせろと言って聞かず、ふじ(室井滋)やリン(松本明子)をあきれさせるのだった。花子は美里を心配しながら東京へ戻るが、その晩、原因不明の高熱が花子を襲う…
9月12日(金)
防空ごうから出てきた花子(吉高由里子)ともも(土屋太鳳)は、帰って来た英治(鈴木亮平)や旭(金井勇太)と互いの無事を喜び合う。いつ死んでもおかしくないということを痛感した花子は、その夜英治に、もし明日までの命だったとしたら何をするかと尋ねる。英治の答えに感じ入り、自分なら何をするだろうと考えた花子は、スコット(ハンナ・グレース)から託された『アン・オブ・グリン・ゲイブルズ』の原書を手にとる…
9月13日(土)陸軍に入って訓練を受けていた純平(大和田健介)が、特別休暇をもらって1年ぶりに宮本家へ帰って来た。息子の帰宅を手放しで喜ぶ蓮子(仲間由紀恵)だが、出征の日が近いことを察し、純平のために夕食の材料を調達しに出かける。一方純平は、村岡家へ向かう。突然訪ねて来た純平に、花子(吉高由里子)は驚き、再会を喜ぶ。話すうちに、花子は純平に、蓮子とはずっと会っていないことを打ち明ける。それを聞いた純平は…
9月15日からの25週タイトルは
「どんな朝でも美しい」
詳細な内容は下記サイトで見ることが出来ます。
http://花子ネタバレ.blog.so-net.ne.jp/2014-09-05-9