CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸風月堂ミュージアム on 2017-3-19

2017年05月11日 05時33分46秒 | 神戸情報
2017年3月19日、神戸風月堂ミュージアムを観覧させていただきました。

風月堂の歴史と展示品を中心に写真紹介します。

神戸風月堂ミュージアムの基本情報

住所:神戸市中央区元町通3丁目4−13 TEL:078-321-5598
開館時間:11:00~13:00 14:00~17:00 休み:不定休

公式サイト:http://fugetsudo-kobe.jp/museum/




上の2枚の写真は神戸風月堂ミュージアムの正面入り口と博物館の看板


上の写真は神戸風月堂ミュージアムの東側の庭園(ここからは入れない)


上の写真は神戸風月堂の店舗


上の写真は神戸風月堂ミュージアム入口の右手(西側)の彫刻作品「ディアナ像(月の女神、狩の女神)」
作者は Ernest Delgado Argueta(スペイン バルセロナ市在住)


上の写真は神戸風月堂ミュージアム入口左手の彫刻作品「人魚像」 作者は新谷英子
新谷英子氏は神戸女子短期大学名誉教授も勤めた著名な彫刻家で2017年2月に死去されました。





上の写真は神戸風月堂ミュージアムの展示室の遠景

松平楽翁公と神戸風月堂の由来



神戸風月堂の歩み

上の写真は神戸風月堂の歩みを示した年表です

神戸風月堂の創業者吉川家は江戸時代250年にわたり代々「吉川屋新七」を名乗り
神戸海岸通3丁目で回漕問屋と旅館業を営んでいました。


明治時代に足袋商に転じさらに洋服商に転じています
上の写真は「神兵豪商 湊の魁」という明治15年(1882)発行の商店紹介絵図で紹介の
足袋商を営んでいた時代の店の様子
神戸風月堂の創業者の吉川市三の名前が見えます。

明治26年(1893)同じ町内で写真屋を営業していた市田左右太氏の助言により、
初代吉川市三が、東京南鍋町の風月堂に徒弟奉公に入ります。
吉川市三は鋭意研鑽に励み無事に勤めを終え本店の大住様から暖簾を頂戴することになります。




上の2枚の写真は神戸風月堂の創業者「吉川市三」の胸像と写真

明治30年(1897)12月12日現在地に神戸風月堂を開店します。

上の写真は神戸風月堂の開店の告示(新聞広告)


上の写真は神戸風月堂の創業当時の建物(昭和5年に撮影のもの)


上の写真は神戸風月堂の創業に寄与した人々

昭和2年(1927)ゴーフルを発売

上の写真は神戸風月堂がゴーフルを発売した当時の事情を説明した展示パネル

昭和18年(1943)頃ゴーフルの製造が途絶えます

上の写真は神戸風月堂がゴーフルの製造を中止した当時の事情を説明した展示パネル

昭和20年(1945)ゴーフル復活に寄与した空き缶


上の写真はゴーフル復活に寄与したゴーフルの空き缶と当時の事情を説明した展示パネル

昭和26年(1951)ゴーフルの生産再開



上の2枚の写真は神戸風月堂がゴーフル生産を再開した当時の事情を記述した展示パネル


上の写真はゴーフルの誕生から復活までの苦難な道を説明した展示パネル


上の写真は昭和43年頃に使用されていたゴーフル焼き機




上の2枚の写真は和菓子などの生産に使用される道具

2017年12月6日の神戸新聞NEXTで「神戸土産の定番」ゴーフル、ルーツは東京にあり
という表題で神戸風月堂のゴーフルの起源について書かれています。
 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010794536.shtml

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有閑 さくら茶屋 須磨店でのランチ on 2017-4-26

2017年05月10日 05時17分34秒 | 神戸情報
2017年4月26日、有閑 さくら茶屋 須磨店でランチをいただきましたので写真紹介します。

有閑 さくら茶屋 須磨店 の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2-2-4 大丸須磨店 4F  TEL:078-795-3046
料理ジャンル:甘味処、そば
営業時間:11:00~20:00  休み:不定休





上の写真は奥様が選んだセット ちらし寿司にお澄まし+甘味
値段は900円台?


上の写真は私が選んだセット 茶そば、赤飯+甘味
値段は900円台?

私は満足。奥様は不満げでした。

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奈良明日香村の坂田寺跡 on 2017-1-9

2017年05月09日 05時47分59秒 | 奈良情報
2017年1月9日、奈良明日香村の坂田寺跡を訪問しています。写真紹介します。

坂田寺跡の基本情報

所在地:奈良県高市郡明日香村坂田
創建:用明天皇2年(587) By 多須奈(鞍作止利の父) 
   諸説あり不明とのことですが現地説明板に記載されていたので記載
問い合わせ先:奈良国立文化財研究所、明日香村教育委員会
   昭和47年(1972)にマラ石付近の1次発掘調査に始まり現在まで十数次の発掘調査


Googleマップへのリンク(坂田寺跡付近)
 https://www.google.com/maps/@34.463175,135.824803,17z?hl=ja-JP







上の3枚の写真は坂田金剛寺跡と書かれた石碑と現地説明板

説明書きより内容を整理すると

(1)坂田寺は持統天皇の時代大官寺、飛鳥寺、川原寺、豊浦寺と共に飛鳥五大寺であった。
  『日本書紀』朱鳥元年(686)に天武天皇の為の無遮大会を坂田寺で行った記載あり

(2)用明天皇2年(587)鞍作止利の父の多須奈が用明天皇の病気回復を祈願し坂田寺を建立
    (一説では止利が建立)

(3)坂田寺は鞍作氏の氏寺

(4)坂田寺は渡来人が建てた寺として最古の寺

(5)坂田寺は尼寺であった。

(6)発掘調査で仏堂と回廊が確認されているが飛鳥時代の伽藍配置は未解明



上の写真は現地説明板付近の平面部分
この部分は第3次発掘調査と第7次発掘調査が行われた場所で仏堂と回廊が検出




上の写真は坂田寺跡に建つ万葉歌碑と大意

「御食(みけ)向かふ 南淵山(みなふちやま)の 巌(いはほ)には
     落りしはだれが 消え残りたる」


 文献等から観た坂田寺の創建年

(1)日本書記  用明天皇2年(587)多須奈が
    「約4.85メートルの仏像と寺を建てて奉った。坂田寺の木製の仏像とけふじの菩薩」

(2)日本書記 推古14年(606)鞍作鳥(止利)が天皇から田を二十町賜り、坂田寺の造営に充てた


(3)扶桑略記 継体16年(522)に渡来した司馬達止(多須奈の父)が高市郡坂田原に草堂を営む


 坂田寺の歴史

 
 創建時(6世紀~7世紀)の仏堂は瓦葺ではなく桧皮葺(奈良国立文化財研究所の7次調査で確認)
                                    (1991)
 
 『日本書紀』朱鳥元年(686)に天武天皇の為の無遮大会を坂田寺で実施

 7世紀前半に南北10m 東西6m以上の池が存在(奈良国立文化財研究所の1次調査で確認)
                                  (1972)
 7世紀後半 瓦出土  (奈良国立文化財研究所の1次調査で確認)

 8世紀前半 建築物(SE070) (奈良国立文化財研究所の1次調査で確認)

 8世紀後半 瓦堆積(SX020) (奈良国立文化財研究所の1次調査で確認)


 坂田寺は10世紀後半に土砂崩れで伽藍は倒壊した(奈良国立文化財研究所の1次調査で確認)

 鎌倉時代(1192-1333)になると、多武峰や興福寺の末寺化していく
   多武峰略記には承安2年(1172)に多武峰の末寺になったことが記載(現在の金剛寺)

   
 
 
 主な発掘物と遺構

 飛鳥時代(571-710)の遺構
  前述の池以外に遺構が見つかっていない

 奈良時代(710-784)以降の遺構
  主要な建物には金堂・講堂、回廊、基壇建物二棟
   坂田寺の伽藍配置案については明日香村教育委員会作成の下記サイトに記載
    http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/sakata/hokoku.html

  石組溝や井戸なども検出

  鏡・金箔・絹糸・銅銭・水晶玉などが出土

 「坂田寺」「卍」「知識」「南」「金」「新」「成」「大」「和」と記された墨書土器

  瓦では単弁蓮華文軒丸瓦(8葉)、忍冬唐草文軒平瓦などが出土

  木製品では糸巻、琴柱、柄杓の柄




写真は坂田寺周辺の風景
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奈良明日香村にある日本初の寺院「豊浦寺跡・向原寺」訪問記 on 2016-12-22

2017年05月08日 04時19分24秒 | 奈良情報
2016年12月22日に訪問した向原寺(こうげんじ)の写真を紹介します。

向原寺はかって日本初の古代仏教寺院「蘇我稲目の向原邸」や豊浦宮(592-603)という宮殿、
さらに日本最古の尼寺「豊浦寺」があったところとされています。

豊浦寺は飛鳥時代には大官寺、飛鳥寺、川原寺、坂田寺と共に五大寺に列せられていました。

向原寺の基本情報

住所:奈良県高市郡明日香村豊浦630 TEL:0744-54-2512
別称:広厳寺  宗派:浄土真宗本願寺派 山号:太子山 御本尊:阿弥陀如来
開基:蘇我稲目(506?~570)552年創建 現住職:蘓我原敬浄さん


今回「向原寺」をテーマとして取り上げたのはBSプレミアムで2010年4月10日放送された
新日本風土記「飛鳥」で向原寺の住職の蘓我原敬浄さんが取り上げられていたからです。
放送であった紹介されたものも引用紹介させていただきます。




上の2枚の写真は向原寺(こうげんじ)の本堂と本堂の蟇股





上の2枚の写真は現地の説明板

ここでWikipediaより歴史を辿ってみます。(一部加筆)

『日本書紀』欽明天皇13年(552年)10月条の仏教初伝の記事によれば、この年、百済の聖王(聖明王)
から献上された仏像を、蘇我稲目が小墾田の家に安置し、その後向原の家を浄(きよ)め
捨(から)ひて寺とした。その後、国内に疫病が流行したため、排仏派の物部尾輿と
中臣鎌子はこれを外国の神である仏像を祀ったことに対する日本の神の怒りであるとして、
仏像を難波の堀江に捨て、伽藍を焼き払ってしまった。
『元興寺縁起』にも同様の話があるが、同縁起では仏教初伝を戊午年(538年)のこととし、
向原を「牟久原」と表記している。

豊浦宮(とゆらのみや)は592年、崇峻天皇が暗殺されて推古女帝が即位した時に建てられた
宮殿である。豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)は推古天皇(554-628)の和風諡号である。
推古天皇の即位年月日は崇峻天皇5年(592)12月8日(新暦換算では593年1月15日)
だが、急な即位であったため蘇我氏の邸宅の一画を間借りした程度の仮殿であったと考えられます。
その後は推古天皇の小墾田宮、舒明天皇の飛鳥岡本宮と田中宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮、斉明天皇の
飛鳥川原宮と後飛鳥岡本宮、 天武天皇・持統天皇の飛鳥浄御原宮と約100年間、飛鳥に
宮殿が建設された。
(一時期、難波宮(孝徳天皇)と大津宮(天智天皇&弘文天皇)の時代在り)
 参考:日本の首都の変遷

『元興寺縁起』によれば、乙巳年(585年)、止由良佐岐(とゆらさき、豊浦先)に刹柱(仏塔の心柱)を
建てたとあり、癸丑年(593年)に等由良(とゆら)の宮を寺として等由良寺と称したという。
ただし、『日本書紀』では推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)から小墾田宮(おはりだのみや)に
移ったのは同天皇11年(603)のこととしている。
『聖徳太子伝暦』『扶桑略記』には舒明天皇6年(634年)に豊浦寺の塔の心柱を建てたとあり、
福山敏男は豊浦寺の創建は舒明朝であるとしている。
ただし、『書紀』における「豊浦寺」の初見は舒明即位前紀(628年)で、山背大兄王が
叔父(蘇我蝦夷)の病気見舞いのために「京へ向かい豊浦寺に滞在した」(向京而居豊浦寺)
とある。



上の写真は向原寺の境内の「豊浦寺址」の石碑




上の2枚の写真は向原寺の脇にある難波池(なんばのいけ)と現地説明板
Wikipediaの説明で記載されているように蘇我氏の基礎を築いたとされる蘇我稲目は向原の地に
邸宅を持っていた。百済の聖明王が初めて我が国に仏像、仏典、仏具をもたらした時、蘇我稲目は
仏像を譲り受け、向原(むくはら)の家を寺としてこれを信奉したという。
これが後の豊浦寺の前身で我が国で最初の寺院である。だが、その直後に疫病が流行したため、
反対派の物部尾輿らに寺は焼かれてしまい、仏像は難波の堀江に捨てられた。
その難波池から江戸時代の明和9年(1772)、観音像の頭部(4.1cm)だけが発見された。
当時は百済伝来の仏像の残欠として喧伝され話題になったようだ。だが、廃仏派によって西の国へ
帰れと難波の堀江に捨てられたのは、釈迦像であって観音像ではない。
だが、日本最初の尼寺である豊浦寺で祀られていた仏像である可能性があった。
昭和49年(1974)9月上旬、寺宝として本堂の内陣に祀られていた金銅製観音菩薩立像
(上記の首を利用)が厨子と共に忽然と姿を消した。
昭和49年(1974)9月9日付けの読売新聞朝刊は「厨子ごと観音像盗難 
明日香向原寺 仏首は白鳳の作」との見出しで、この盗難事件を報じています。
盗まれた金銅製観音菩薩立像が、2010年の9月、実に36年ぶりに発見され、
無事に向原寺に戻った。(仏像は会員制のオークションにかけられていた)

現地説明版に善光寺縁起に難波池に関する記述があると書かれています。




上の2枚の写真は向原寺の遠景


上の写真は向原寺の山門




上の2枚の写真は丹比の真人国人作の歌碑(万葉集巻8-1557)と現地説明板


上の写真は薬師堂


上の写真は納骨堂?


上の写真は境内の脇の基壇


上の写真は境内脇に設置された石製の仏像2体 奈良善光講が寄進か?


上の写真は境内脇に設置の「伎楽伝来の地」の石碑 2010年7月23日設置

『日本書紀』六一二年に,百済の味摩之が歌舞劇の伎楽を日本に伝えるや、聖徳太子が桜井に
学校を設け、それを伝授させた旨がみえる。その『桜井』が,韓国の李應寿の調査 研究
(日本演劇学会紀要四七)により、新たにこの付近に比定されたので、碑を建て、韓国と日本の
演劇交流の始原を記憶するものとする。
    二〇一〇年七月二三日
      韓国文学を憶う会


さらに詳細は下記サイト:http://hamadayori.com/hass-col/art0/Gigaku.html




上の2枚の写真は境内に掲示されていた新聞の切り抜き
昭和60年(1985)4月25日毎日新聞(朝刊&夕刊)
産経新聞 平成26年(2014)3月29日 産経新聞

これらの記事より一部を引用紹介します

「向原寺は元善光寺とも呼ばれる。欽明朝に百済よりもたらされた仏像は、蘇我氏によって
向原の寺で祀られていたが、廃仏派の手により「難波の堀江」に棄てられた。それを信濃国の
本田善光が拾い上げ信濃に持ち帰ったのが長野の善光寺だそうだ」


これからは、BSプレミアムで2010年4月10日放送された新日本風土記「飛鳥」で紹介の
向原寺と住職の蘓我原敬浄さんに関するものです。


上の写真は昭和60年(1985)に講堂跡(搭載30m、南北15m)の発掘調査時、さらに下の層に
豊浦宮跡の柱跡と石敷きが発見されました。これこそ豊浦寺の前身である豊浦宮である。


上の写真は向原寺の住職の蘓我原敬浄さん




上の2枚の写真は向原寺の境内で豊浦宮の説明を受ける参拝者と向原寺の住職の蘓我原敬浄さん




上の2枚の写真は資料の中の蘇我稲目と百済からの仏像(釈迦像)


上の写真は日本書記に記載の蘇我稲目の向原の家の部分


上の写真は向原寺の住職の蘓我原敬浄さんが都塚古墳で蘇我稲目を供養する法要の様子



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日本の世界遺産(21件) 2017年5月7日現在

2017年05月07日 04時50分49秒 | Weblog
一昨日(2017-5-5)、福岡県の古代遺跡「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」を
世界文化遺産に登録するよう、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が勧告したとの
ニュースが飛び込んできました。
7月にポーランドで開かれる委員会で正式に登録が決定される見込みとのこと。

報道例:
   「宗像・沖ノ島と関連遺産群」一部が世界文化遺産登録へ(NHK News Web)

   宗像・沖ノ島、世界文化遺産へ ユネスコに勧告 沖ノ島以外の4件は除外(産経)

   沖ノ島、世界文化遺産へ 条件付きで登録勧告(朝日)

現在(2017-5-7)までに登録された又は登録予定の日本の世界遺産をリストアップした。
さらに、過去にブログ記事にしたものに関しては写真や記事へのリンクをした

日本の世界遺産を登録された年の古い順番に記す。緑字は自然遺産
 21の世界遺産が日本にあります(登録予定も含めて

1.法隆寺地域の仏教建造物 奈良県斑鳩町     1993年
2.姫路城           姫路市       1993年
3.白神山地        青森県、秋田県      1993年
4.屋久島         鹿児島県屋久島町     1993年
5.古都京都の文化財  宇治市、京都市、大津市   1994年
6.白川郷・五箇山の合掌造り集落 岐阜県白川村、南砺波市 1995年
7.厳島神社        広島県廿日市市     1996年
8.原爆ドーム        広島市        1996年
9.古都奈良の文化財     奈良市        1998年
10.日光の社寺       日光市         1999年
11.琉球王国のグスク及び関連遺産群 那覇市など   2000年
12.紀伊山地の霊場と参詣道 三重県、奈良県、和歌山県 2004年
13.知床        北海道斜里町、羅臼町    2005年
14.石見銀山遺跡とその文化的背景 大田市      2007年
15.平泉          岩手県         2011年
16.小笠原諸島       東京都         2011年
17.富士山         静岡県、山梨県     2013年
18.富岡製糸場と絹産業遺産群 群馬県        2014年
19.明治日本の産業革命遺産  九州の宮崎を除く5県   2015年
 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 山口、岩手、静岡の各県
20.ル・コルビュジエの建築作品
  -近代建築運動への顕著な貢献-  東京都     2016年  国立西洋美術館
21.『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群 福岡県  2017年(予定)

Wikipediaの解説サイト:
 https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_World_Heritage_Sites_in_Japan

日本の世界遺産リスト(英語版)Japan's UNESCO World Heritage Sites:
 http://www.japan-guide.com/e/e2251.html

UNESCO Heritage Sites in Japan 英語版の観光案内サイト:
  http://www.gojapango.com/travel/japan_world_heritage_sites.htm  

  Japan’s Must-See World Heritage Sites

ユネスコのサイト:
 http://whc.unesco.org/en/statesparties/jp

1.法隆寺


 法隆寺 on 2015-12-20 その10 (最終回) 法隆寺大宝蔵院の百済観音
 2015年12月20日訪問の法隆寺について10回に分けて記事を書いています

 お身拭い at 法隆寺 on 2012-12-8

2.姫路城


 以下は2011年12月の訪問記です
 姫路城と龍野 散策記 その1 姫路城(1)

 姫路城と龍野 散策記 その2 姫路城(2)

 姫路城と龍野 散策記 その3 姫路城(3)

 姫路城と龍野 散策記 その4 姫路城(4)

5.古都京都の文化財


  宇治上神社 on 2008-2-10

  エッチング(銅版画)作品 平等院鳳凰堂 on 2011-2-4 2013-3-1改訂版

  金閣寺(鹿苑寺) on 2012-9-5&2012-5-29

個々の寺社などの文化財は下記のとおりです
 宇治市:平等院、宇治上神社
 京都市:上賀茂神社(加茂別雷神社)、下加茂神社、東寺、清水寺、
     醍醐寺、仁和寺、高山寺、苔寺、天龍寺、金閣寺、銀閣寺
     龍安寺、西本願寺、二条城
 大津市:延暦寺


7.厳島神社
  宮島厳島神社の大鳥居


上の写真は宮島厳島神社の大鳥居  撮影:2001-1-2

9.古都 奈良の文化財
  唐招提寺の御影堂の鑑真像、没後1250年を記念して特別公開

  春日大社 on 2016-10-5

  奈良散策記 その3 元興寺(がんごうじ)


上の写真は平城宮址 大極殿(復元)の夜景 撮影:2016-10-5


17.富士山
  祝 富士山(含三保の松原)世界遺産登録

18.富岡製糸場と絹産業遺産群
  2007年7月3日の訪問記

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蹴上(けあげ)発電所訪問記 on 2017-4-13

2017年05月06日 05時20分08秒 | 京都情報
2017年4月13日に琵琶湖疎水の水を利用した日本初の水力発電所「蹴上発電所」を敷地の外側
より写真を撮ってきましたので関連資料と共に紹介します。

琵琶湖疎水事業は、京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、
明治18年(1885)起工され、同23年(1990)に竣工した。

一方、蹴上発電所は明治21年(1888)に田辺朔郎と高木文平はアメリカコロラド州アスペンの
銀山で視察した水力発電に関心を持ち,導入を決定しました。
第一期蹴上発電所は明治23年(1890)に建設工事が開始され明治24年(1891)に完成しました。

明治45年(1912)第2疏水の完成に伴い第一期蹴上発電所が取り壊され、第二期蹴上発電所が開業。

昭和11年(1936)には、第一期発電所の跡地に第三期発電所が建設された。

2001年に「琵琶湖疏水の発電施設群」として、夷川発電所、墨染発電所とともに
土木学会選奨土木遺産に認定されている


蹴上発電所(けあげはつでんしょ)の歴史や由来について、さらに詳細は下記サイトを参照
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000170052

蹴上発電所の現況については下記サイトを参照願います
http://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2016/__icsFiles/afieldfile/2016/09/12/0912_1j_02.pdf

蹴上発電所の基本情報

住所:京都市左京区粟田口鳥居町1番地 TEL:関西電力 蹴上発電所 非公開(見学不可)
現況:運転中 着工:明治23年(1890)1月  運転開始:明治24年(1891)6月
発電方式:水路式 最大出力:4,500kW 発電電力量:16.7百万Kwh/年
最大使用水量:16.7㎥/s 有効落差:33.74m CO2削減量:約8,300t/年



上の写真は蹴上発電所周辺の地図

前置きが長くなりましたが早速写真紹介に入っていきます。

上の写真は蹴上発電所のあゆみに関する現地説明板です。


上の写真は上記の説明版の図の拡大版です。


上の写真は琵琶湖疎水記念館の展示パネルで夷川発電所、墨染(伏見)発電所が竣工した
年代も確認できます。

第1期蹴上発電所

上の写真も同じく現地の説明板で第1期蹴上発電所についてと年表が記載されています。
この中に今は残存していませんが当時の建物の写真がありましたので下に添付しました。






上の2枚の写真は第1期蹴上発電所で使用されていたペルトン式水車の展示(琵琶湖疎水記念館)と説明板





上の2枚の写真は第1期蹴上発電所で使用されていたスタンレー式発電機の展示(琵琶湖疎水記念館)と説明板

第2期蹴上発電所


上の写真は第2期蹴上発電所の現地説明板








上の4枚の写真は琵琶湖疎水記念館における第2期蹴上発電所に関する展示















上の7枚の写真は現存する第2期蹴上発電所の建物






上の3枚の写真は2013-11-3放送 BS朝日 「百年名家 京都琵琶湖疎水の流れる町」からの
第2期蹴上発電所に関するもので当時の電線は発電機ごとに電線が分かれていることを説明
したもので建物から電線の穴が多数あることが判る(現存)

第3期蹴上発電所


上の写真は第3期蹴上発電所の現地説明板


上の写真は第3期蹴上発電所の現況 撮影:2017-4-13

小生の関連ブログ:南禅寺の境内の水路橋「水路閣」 on 2013-1-30

         銀閣寺(慈照寺) on 2012-9-5    
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フランス料理 re・ci・peでのランチ on 2017-5-3

2017年05月05日 04時25分55秒 | 神戸情報
2017年5月3日、北野のフランス料理 re・ci・peでランチをいただきましたので
写真紹介します。
当日は北野坂で「インフィオラータこうべ2017」が開催されており人出が多く賑わっていました。

re・ci・pe レシピの基本情報

住所:神戸市中央区山本通2-2-13 水木北野シルクハイツⅡ B1F
TEL:078-221-0131(予約用)
料理ジャンル:フランス料理

営業時間:ランチ 11:30~14:30
     ディナー17:30~21:00
定休日:月曜日

公式HP:http://www.recette.jp/recipe/index.html
スタッフブログ:http://recipe001.exblog.jp/

レシピ re・ci・peのGoo地図
 

当日注文したのはセットB 2,700円(サービス料と税を加わり実際は3,000円ちょっと)


上の写真は私がチョイスしたオードブルのサーモンと温泉卵のタルタル ラタトゥイユ添え
名前は違っているかも知れません


上の写真は奥様が選択したオードブルの海の幸のサラダ


すぐに焼きたてのパンと桜が入ったバターが出てきました。


次にスープ


上の写真は私がチョイスした魚(鱸)のメイン


上の写真は奥様が選択した鶏肉のメイン


上の写真は奥様が選択したデザート


上の写真は私が選択したデザート


器の持ち手が気に入ったのでコーヒー茶碗の写真も撮りました。

美味しかったです。ご馳走様でした


上の写真はメニュー表です。


上の写真はお店の外観です。

隣接して姉妹店のルセット Recetteがあります。
  ルセットの公式HP:http://recette.jp/index.html

当日は予約のお客様でいっぱいだった。中々の人気店です。売れ筋のガイド本にも紹介されています。


上の写真はRecetteのメニュー表です。
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インフィオラータこうべ2017 at 北野坂 on 2017-5-3

2017年05月04日 04時31分29秒 | 神戸情報
2017年5月3日(水)憲法記念日の祝日に インフィオラータ こうべ2017 
北野坂に行ってきましたので写真紹介します。

5月5日まで開催されていますのでまだ行っていない方は是非お出かけください

インフィオラータはイタリア語で「花を敷き詰める」という意味で道路や広場を
キャンパスに見立て色とりどりのチューリップなどの花びらで絵を描くお祭です。
In Italian,the word "infiorata"means "covering with flowers".
For this festival,a multitude of different colored tulip petals are
placed on roads and in plazas,which set as the "canvas"
to form delightful pictures.

(以上の文は神戸国際協力交流センター機関紙Ajisaiより引用)

インフィオラータは、阪神淡路大震災からの復興を願い、震災後に企画構想し、2年後の春に始まりました。
今年は21回目の開催となります。

インフィオラータこうべの歴史については下記サイト
 http://infiorata-kobe.net/history/index.html


上の写真はインフィオラータこうべ2017のリーフレット

それだは早速、北野坂のインフイラータこうべ2017の作品群の写真を紹介していきます。


上の写真は当日、配布されていたリーフレットに書かれていた会場の作品説明図です。
全部で9作品あり最も北側を1番にして順番になっています。

1.坂本龍馬と神戸海軍操練所 北野観光協議会 SUGURU






上の3枚の写真は1番の作品です

2.神戸開港150年 こうべ小学校4年 伊川蓮




上の2枚の写真は2番の作品です。

3.神戸の風を感じたら Ichiban KOBE(2011年作品)




上の2枚の写真は3番の作品です。

4.祝おう神戸開港150年 ~KOBE JAZZに乗って~ UWAYA PARTY






上の3枚の写真は4番の作品です。

5.海の街 ~with history 恋愛映画 神戸山手女子高校 大山郁子(2001年作品)




上の2枚の写真は5番の作品です。

6.150年の港に乾杯 神戸市 中原洋子






上の3枚の写真は6番の作品です。

7.神戸はじめて物語 実行委員会




上の2枚の写真は7番の作品です。

8.笑顔で結ぶ世界のヒトの輪 神戸情報大学院大学




上の2枚の写真は8番の作品です。

9.ようこそ 神戸へ  ファミリアデザインチーム




上の2枚の写真は9番の作品です。
(上手く撮れていませんがこれしかないのでアップしました)

インフィオラータ関連の小生のブログへのリンク:
 インフィオラータこうべ2017 in 元町あなもん on 2017-4-23

 2015年 インフィオラータこうべ in 三宮あじさい通り on 2015-4-26

 インフィオラータこうべ2012 in マリンピア神戸 on 2012-5-4

 2010年 インフィオラータ 神戸 北野坂

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まちなかコンサート at 神戸国際会館 on 2017-5-3

2017年05月03日 16時44分20秒 | 神戸情報
本日(2017-5-3)はインフィオラータ 北野坂を観るために出かけていました。

帰りに偶然、表題のイベントに出くわしましたので写真紹介します。
現在、神戸国際フルート音楽祭関連のイベントが開催中で上記イベントもその一環だと思います

まちなかコンサート at 神戸国際会館 on 2017-5-3の基本情報

日時:2017年5月3日 1st 14:00~ 2nd 15:00~
場所:神戸国際会館地下1階 サンクンガーデン
主催:神戸市・株式会社神戸国際会館
出演者:室田涼子、住野智子






上の写真がイベントの様子です。


上の写真は1stの演奏予定の曲目です
14時12分くらいにきましたので曲目としては4.花は咲く 5.ドレミの歌 6.キラキラ星変奏曲

天候も良く、軽快な音楽を楽しむことが出来ました(しかも無料で)




上の2枚の写真演奏者のプロフィール(配布リーフレットより)

小生の関連ブログ:第8回 神戸国際フルートコンクール 始まる on 2013-3-28
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日本茶のルーツ 日吉茶園 と最澄の生誕地「生源寺」 on 2017-4-13

2017年05月03日 05時18分19秒 | 滋賀県情報
2017年4月13日、日吉大社の山王祭を観るために京阪電鉄坂本駅に来ていました。

その時、偶然ではありますが日本茶のルーツ 日吉茶園を見つけました。

昨日(2017-5-2)は2017年の八十八夜で、お茶の季節でもありますので紹介することになりました。


上の写真が日吉茶園です。

京阪電鉄坂本駅を下車してすぐの東側に日吉茶園があります。

日吉茶園最澄(767-822)が延暦24年(805)に中国の唐から持ち帰ったお茶の種を
植えたとされる茶園で日本茶のルーツの地と言えます。

わが国で初めて「お茶を飲むという」意味での発祥は最澄と四方に唐に渡り帰朝した梵釈寺の
永忠(えいちゅう)が滋賀に訪れた嵯峨天皇にお茶を献じた弘仁6年(815)です。

日吉茶園の基本情報
住所:大津市坂本4丁目 京阪坂本駅前の東すぐ
問い合わせ先:坂本観光案内所 077-578-6565



上の写真は京阪坂本駅前の地図で日吉茶園の位置が書かれています。


上の写真は日吉茶園の現地説明板です。

この説明板には上述の内容に加え山王祭で4基の神輿に献茶する儀式があること。

比叡山延暦寺浄土院で伝教大師最澄の命日に行われる「長講会(ちょうこうえ)」でも献茶される
ことが記載されています。


上の写真は大正10年に日吉大社が建立した由来碑です。




上の2枚の写真は伝教大師最澄の生誕地 生源寺
 最澄の生誕は2説あり確定されていない。
  1.神護景雲元年(767)出生説

  2.天平神護2年(766)出生説


生源寺の境内に延暦寺を開いた伝教大師最澄が産湯を使ったという井戸が残る。
最澄は、古市郷(膳所から南郷あたり)の生まれとの記録もあるが延暦寺のお膝元・坂本には
最澄出生にまつわる旧跡が多く、他に出産時の胞衣(えな)を埋めた塚や父でこの地方豪族として
知られた三津首百枝(みつのおびと ももえ)の屋敷跡(現在の本堂の位置にあった)などがある。
最澄の母、藤原藤子(とうし)は貴族の出であった。






上の3枚の写真は最澄の両親「三津首 百枝」と「藤原 藤子」
出典:2017年1月13日 BS-TBS 高島礼子 日本の古都 比叡山の謎


天台宗の開祖として有名な最澄についての解説 By Wikipedia(一部加筆)
最澄(さいちょう)(767-822)は、平安時代の僧。日本の天台宗の開祖である。
近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)の豪族の家に生れ、
俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。
生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。

先祖は後漢の孝献帝に連なる登萬貴王(とまきおう)で、応神天皇の時代に日本に
渡来したといわれている。
767年 坂本の地に生誕

780年、14歳のとき国分寺僧補欠として11月12日に得度し名を最澄と改めた。

785年、19歳のとき東大寺で具足戒を受ける。同年7月、比叡山に登り山林修行に入り、
      大蔵経を読破。

788年、22歳で比叡山に延暦寺を開く

805年5月、帰路の途中和田岬(神戸市)に上陸し、最初の密教教化霊場である能福護国密寺を開創

806年(大同元年)1月、最澄の上表により、天台業2人(止観業1人、遮那(しゃな)業1人)
    が年分度者となる。これは南都六宗に準じる。これが日本の天台宗の開宗である。

822年6月26日(弘仁13年6月4日)、比叡山の中道院で没

最澄の弟子には円仁(慈覚大師)、円珍などがいる。
最澄の死後、嵯峨天皇から日本初の「伝教大師」の称号が与えられた。

天台宗は密教系の宗派で現存の寺院は数多い。
延暦寺を台密、大日経義釈による京都東寺を東密という。



上の写真は神戸市兵庫区の能福寺にある最澄像

関連ブログ:最澄像 in 神戸市兵庫区能福寺 on 2012-4-10
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