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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その24 児島高徳の墓

2018年11月21日 06時49分29秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第24回 児島高徳の墓を紹介します。

児島高徳(備後三郎)についてWikipediaの解説を引用させていただきます。
児島 高徳(兒嶋 髙德、こじま たかのり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて
活躍したとされる武将。備前国児島郡林村出身。従五位下・備後守を賜る。
『太平記』中では和田、今木といった苗字で表記される場合もあり、「児島」を
「小島」と書き換える表記も散見される。
元弘元年(1331年)の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も
一貫して南朝側に仕えた。晩年は出家し、志純義晴と号したという。
正式な法名は志純義晴大徳位。
江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、国民的英雄のひとりとなった。
その一方で具体的な活動を示す文献が軍記物語の『太平記』以外にはないために、
近代的考証史学の観点から実在性を否定している学説も根強い。
また、同書の編者である小島法師(1374年没)と同一人物とする説や、地元の勢力が
ある山伏出身、あるいは悪党出身と見る説もある。



シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

第23回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺







上の3枚の写真は正面側から見た児島高徳の墓の近景と遠景




上の2枚の写真は側面から見た児島高徳の墓


本論に入る前に児島高徳の墓がある船岡園について由来を調べてみると
大正3年(1914)5月13日、児島高徳卿550年忌の記念大祭典の準備として
御墳墓付近3,000坪を開拓し、官幣大社、吉野神社の摂社船岡神社の社号に因み
船岡園が開設された。

児島高徳は新田義貞とともに足利尊氏に味方している赤松攻めに呼応して父・範長と共に
熊山で挙兵したがその際、大けがをしたため父の児島範長(こじまのりなが)は妙見寺の
僧に高徳を預け、範長は坂越那波から海岸沿いに逃れ印南郡阿弥陀まで落ち延び自害した
時は建武3年(1336)と伝えられています。
児島高徳は妙見寺で傷が癒えた後、各地を転戦した。晩年、僧となり坂越で没した。
児島高徳の没年はWikipediaでは弘和2年/永徳2年11月24日(1382年12月29日)又は、
弘和3年/永徳3年(1383年)としています。
墓所とされる五輪塔はその特徴から江戸時代に建立されたと推定されおり、正しくは
供養塔と考えるべきであろう。
児島高徳は湊川の戦いで戦死した楠木正成と共に天皇の忠臣として知られています。
後醍醐天皇が隠岐から還幸した元弘2年(1332)以降、南朝方の武士として活躍
したとされ太平記で多く記載されています。
児島高徳の別称としては三郎、備後三郎の他に三宅三郎高徳、児島三郎入道志順
などがあります。
太平記で正平7年(1352)までの記述があるがそれ以降、没年の1382年までは
記述が無く不明な点が多いが入道という名前からして僧として妙見寺で隠遁生活
を送っていたとみるのが有力な説であると考えます。




上の2枚の写真は明治天皇が児島高徳卿に与えられた正四位(明治16年(1883)8月16日)
と明治36年(1903)11月13日に追贈された従三位の叙勲を記念して建立された石碑





上の2枚の写真は児島高徳の墓所脇に建てられた石碑
明治43年(1910)春、赤穂藩の硯儒の赤松鴻先生が天明9年(1789)の撰文の現行を発見し
これを板額にしたものです。

児島高徳卿顕彰会が平成17年(2005)10月吉日に読み下し文と共に解読されて
いますので添付しておきます。(下の4枚の写真)




上の2枚の写真は備後三郎=児島高徳の碑の本文で
本文前に「備後三郎碑 元帥海軍大将従二位大勲位功一級 伯爵 東郷平八郎篆額」
本文の後書きに「天明九年己酉春正月 赤穂藩儒赤松鴻撰文 大正三年五月 
        錦雞間祇候貴族院議員 従二位勲一等男爵野村素介書」
と碑文に書かれています。




上の2枚の写真は碑陰記(ひいんのき)の本文で
本文の後書きに次のような文が書かれています。
「天明九年己酉春正月 赤穂藩儒赤松鴻又識神武天皇即位紀元二千五百七十四年
  児嶋贈従三位舊址保存会 名誉会員藤野静輝敬書」

「明治四十二年五月十三日  児嶋贈従三位舊址保存会 名誉会員 奥藤研造謹撰」

「贈従三位児嶋高徳卿五百五十三年祭記念碑建設敷地三千坪修補開拓費金七千円家君
 資所落成也春花秋月千萬億年 大正三年五月十三日
 贈従三位児島高徳卿舊址保存会 会長 奥藤謹治拝誌」


上の写真は児島高徳の墓の場所が記載された地図

明治43年(1910)10月14日に明治天皇が姫路に行幸の際に児島高徳の墳墓付近の
写真3枚が天覧されたそうです。




上の2枚の写真は児島高徳の墓所に入る前の階段と石碑です。
階段下の一対の石燈籠には贈従三位児島高徳卿御宝前 潮見町中 潮見町青年会 大正三年五月
と書かれています。

石燈籠の近くの百度石には大正三年五月十三日那波港 富永寶之助との記載

階段上の両側の石碑には忠心輝日月と義気碱乾坤の文字が刻まれています。
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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

2018年11月20日 05時08分58秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第23回 宝珠山妙見寺を紹介します。

妙見寺の概要についてWikipediaより引用紹介します。
坂越浦を望む景勝地の宝珠山中腹に位置する。寺伝によれば8世紀中期、行基を開山
として創建されたという。 嘉吉の乱(1441年)の頃には、宝珠山の山腹に16の坊舎と
9つの庵を構えた大寺であったが、1485年(文明17年)の僧兵一揆によりその殆どが焼失した
当初、観音堂は妙見寺の奥の院として1659年(万治2年)に宝珠山の山頂付近にあり、
1722年(享保7年)に中腹の現在地(龍泉坊跡地)に移建された。
神仏習合時代は宝珠山麓に鎮座する大避神社の神宮寺でもあり、同神社と祭神である
秦河勝とは縁が深い寺であったが、明治時代初頭の神仏分離令によって分離された。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭


宝珠山 妙見寺の基本情報

住所:赤穂市坂越1307-1  TEL:
宗派:真言宗 山号:宝珠山 御本尊:如意輪観世音菩薩
開基:8世紀中頃 By 行基 
命名:大同2年(807)弘法大師により「宝珠山妙見寺」と命名


観音堂





上の3枚の写真は宝珠山妙見寺観音堂の近景と遠景です。
遠景のみぎてには庫裡が写っています。




上の2枚の写真は現地説明板です。

妙見寺観音堂 赤穂市指定有形文化財 指定番号28
所在地 赤穂市坂越1307番地の1 
所有者 宗教法人妙見寺 
指定日 平成9年3月31日
宝珠山山妙見寺は、天平勝宝(749~757)頃に行基によって創建され、
大同年中(806~810)の空海の再興を経て、盛時には16坊5庵を抱えた
大山岳寺院であったと言われている。
観音堂は、万治2年(1659)に、妙見寺の奥の院として宝珠山上に建立されたが、
後に大破したため享保7年(1722)に現在地に再建されたものである。
建物は、桁行三間梁行三間(約7m四方)の本瓦葺きで、山の斜面に持たれかける
ように造られた懸造(かけづく)り形式の構造になっており、坂越湾の絶景が望める
ようになっている。また桁を支え蟇股(かえるまた)には十二支が掘り込まれており、
細部にわたって意匠が凝らされている。
昭和55年(1980)には老朽化のため一部修復されているが、こうした懸造り形式の建物は
近世社寺のなかでは全国的にも例が少なく、建造物として非常に価値の高いものである。
          赤穂市教育委員会


如意輪観世音菩薩、六観音像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像、弘法大師像が安置

薬師堂

上の写真は薬師堂。薬師如来、不動明王、文殊菩薩が安置されているそうです。

妙見堂



上の2枚の写真は妙見堂(左手)の建物外観と現地説明板


上の写真はご真言などが書かれた説明板


上の写真は妙見堂内部の石塔
上の説明板にあるように石塔は延暦3年(784)秦河勝公の一族、勤操僧都が来山され、
山の中腹に湧き出る明星水の池のほとりで、密教の秘宝「虚空蔵求聞持法」を会得し、
二重の石塔を奉納、自ら「妙見大菩薩」と刻んで祀られました。慶応4年(1868年)
妙見講有志の人々が埋もれていた石塔を発掘、龍泉坊跡地の現観音堂の傍らに妙見堂を
移築したものです。

地蔵堂
正面からの写真がないので屋根のみですが上から地蔵堂を撮ったものを添付しました。


山門

現在残る妙見寺の山門と説明書きを添付しておきます。(下の4枚の写真)










説明書きは読み難いので文章を再掲します。

旧妙見寺本坊明覚院山門
「明治時代に旧『松風校』の校門に使用されていました。明治五年に学制がしかれ、
明治六年に妙見寺に松風校、妙道寺に示申校、南野中に梨智校、砂子村に文明校の
四校が開設されました。松風校の校舎には妙見寺本坊明覚院の本堂が使用されました。
明治八年には坂越村、砂子村、浜市村、高野村、北野中村の連合で妙見寺明覚院の敷地に
『洋沿小学校』が開設されました。
明治四十一年新校舎建設のため、旧本堂校舎を解体縮小して、観音堂の敷地に移築し、
坂越村の『学制記念物』として永代保存する事になりました。
 村民の総力で移築工事に奉仕し、生徒達は瓦一枚の運搬作業に半紙一枚の褒美が貰えたと
語り継がれています。
 昭和五十三年、観音堂下段にに移築された旧本堂が老朽化したため、保存工事を発願し
『宝珠山妙見寺修復事業協賛会』を結成しました。
しかし寄付金を募集中に梅雨末期の大雨のため、旧本堂が自然倒壊しました。
 旧本堂玄関頭上の板額『妙見寺』、廊下の板額『松風台』、内陣頭上の板額『本地堂』の
三枚は管理事務所内に保存展示されています。
 旧本堂内陣に祀られていた弘法大師像、仏舎利塔、本尊仏像は事前に移動されて
現在観音堂内に安置保存されています。」
平成23年3月21日
坂越浦史跡保存会
宝珠山 妙見寺


本堂
本堂は昭和54年(1977)に老朽化と大雨で倒壊しています。


上の写真は山門に掲示されていた写真で左手に妙見寺の本堂が写っています。


上の写真も山門に掲示されていたもので明覚院の本堂の写真があったので添付しました。
山門の説明板に解説文が載っていますのでこちらも参照してください。

宝珠山八十八箇所霊場

上の写真は宝珠山八十八箇所霊場の石碑と観音堂、薬師堂、妙見堂の遠景
昭和6年(1931)3月21日に開山したようです。


上の写真は第1番 徳島県の竺和山 霊山寺




上の2枚の写真は宝珠山八十八箇所霊場の位置図と名称図

白勢稲荷大明神



上の写真は白勢稲荷大明神と現地説明板 船岡園の敷地に昭和45年(1970)に遷座
昔から妙見寺を守護する神様として祀られています。

妙見寺と松瀬青々
関西の俳諧の重鎮で全国的に知られる松瀬 青々は明治44年(1911)に坂越を訪問し
妙見寺の庫裡に3日間逗留したとの記録があるそうです。
最近も遠来の俳人が妙見寺に来て句会が開かれることもあるそうです。
詳細は平成5年(1993)3月7日の赤穂民報で伊藤利淳住職の談話として紹介されています。

Wikipediaより松瀬 青々(まつせ せいせい)を紹介します。
松瀬 青々(明治2年4月4日(1869年5月15日) - 昭和12年(1937年)1月9日)は、
大阪市出身の俳人である。「倦鳥」を創刊・主宰。関西俳壇でホトトギス派の俳人として
重きをなした。本名・弥三郎


和田備後守範長公一族の墓
和田備後守範長は別称、児島範長(こじまのりなが)?-1336 鎌倉-南北朝時代の武将。
児島高徳(たかのり)の父。建武(けんむ)3=延元元年新田義貞に呼応し、
足利尊氏方の赤松則村の動きを牽制するため、高徳らと備前(岡山県)熊山で挙兵。
播磨で赤松軍に敗れ、同年5月自害した。通称は和田二郎。

当日写真を撮れなかったので坂越まちなみ館の展示より引用紹介します。(下の2枚の写真)





妙見寺からの景観
妙見寺からの素晴らしい眺望の写真を添付して筆を置きます。






我が神戸の有馬温泉に同名の落葉山妙見寺がありますので関連ブログとして
リンクしておきます。
  有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

 
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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭

2018年11月19日 07時33分30秒 | 神戸市以外の兵庫県

2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第22回 大避神社と2018年坂越の船祭を紹介します。

大避(おおさけ)神社は聖徳太子(574-622)のブレーンとして活躍した

秦河勝を祀る神社で毎年10月の第2日曜日に行われる「坂越の船祭」の

神幸式が著名である。

秦河勝は能楽と雅楽の祖としても有名です。

坂越の船祭は秦河勝の墓所や御旅所がある湾内の生島に神輿を渡す。

大避神社の創建は不確定であるが秦河勝が没した大化3年(647)に、地元の民が
秦河勝の霊を祀ったことが始まりとされており、1,300年以上の歴史があると思われる。

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

 

目次替わりに最終回(第31回)の記事にリンクしておきます。

 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その31(最終回) 生島と秦河勝伝説



大避神社の基本情報

住所:兵庫県赤穂市坂越1299  TEL:0791-48-8136
御祭神:大避大明神(秦河勝)、天照皇大神、春日大神
創建:不詳 大化3年(647)頃か


所在地のGoo地図を添付しておきます。


拝殿



上の2枚の写真は拝殿の近景と遠景
延享3年(1746)に再建




上の2枚の写真は拝殿の内部
天井の96枚の花鳥獣は見ものです。


上の写真も拝殿内部で坂越の船祭でお神輿が拝殿から出される前のタイミングで撮りました。


上の写真は拝殿と左手の絵馬堂 撮影:2007-10-11


上の写真は拝殿前の神輿

随身門(仁王門)

上の写真は神門(随身門)の遠景 建物は延享年間(1744-1748)に建築
門の両脇に外側は仁王像、内側には随身像がある構造は珍しい

随身とは貴族の外出の際、身を守る役人のこと
通常、随身門の右手は左大臣、左手は弓矢をもっている右大臣が配置

仁王様と随身像の写真を添付しておきます。(下の4枚の写真)








下の写真は随身門の前の神輿
担ぎ手は関西福祉大学の学生さんです。

大避神社奉納物
廻船業者が航海安全を祈願して絵馬や石造物(燈籠、狛犬、鳥居など)を奉納しています
絵馬

上の写真は大避(おおさけ)神社に奉納された絵馬


上の写真は拝殿に向かって左側の絵馬殿の遠景


上の写真は拝殿に向かって右側の絵馬殿の遠景


上の写真は 安永元年(1772)に奉納された船絵馬










上の6枚の写真も奉納絵馬

絵馬で描かれた塩廻船について構造図と模型を添付しておきます。


上の写真は塩廻船構造図
出典:赤穂市立歴史博物館 常設展示案内 Page34


上の写真は塩廻船模型 縮尺3分の1
出典:赤穂市立歴史博物館 常設展示案内 Page34

狛犬

上の写真は大避神社拝殿前 右手の狛犬 天保7年(1836)9月に奉納されたもので
冨田屋 順恵カ?丸 三兵衛 海上安全の銘

燈籠群

上の写真は神門(随身門)の前の石段の左右に奉納の燈籠群

頭人船建設記念漕ぎ舟の模型



上の2枚の写真は絵馬殿に奉納された漕ぎ舟の模型と説明板
平成元年(1989)10月吉日に奉納

祭礼用楽船



上の2枚の写真は奉納された祭礼用楽船と説明板

新宮


上の写真は右側の絵馬殿に続く新宮
聖徳太子と海の神三神(住吉大神、金比羅大神、海神社)が祀られています。

稲荷神社

大避神社のパンフレットによれば元は生島(いきしま)に鎮座していたそうです。

荒神社

大避神社のパンフレットによれば元は東ノ町に鎮座していたそうです。
農業、カマド、台所の守護神です。

天満神社

上の写真は天満神社
大避神社のパンフレットによれば天神山(北之町)に鎮座していたそうです。


上の写真は上から観た天満神社(右手)
左手は恵比須神社

恵比須神社

元は本町海岸に鎮座していたそうです。

大避神社境内図



上の2枚の写真は大避神社境内図 出典:大避神社のパンフレット

坂越の船祭

かっては廻船の水主(かこ)達が船団を曳航する櫂伝馬の漕ぎ手を務めるなど、近世
廻船業の繁栄とともに伝承されてきました。




上の2枚の写真は坂越の船祭に関する現地説明書と写真集です。
2018年10月14日に初めて見学させていただきましたが見応えのある行事でした。

毎年10月の第2日曜日に行われる坂越の船渡御祭(坂越の船祭り)は坂越の廻船業が繁栄
していた頃に始められ300年以上歴史がある伝統行事です。
航行安全を祈願して、御輿を乗せた色鮮やかな船行列が大避(おおさけ)神社から生島まで
巡航するこの船祭は、宮島の管弦祭、大阪の天神祭と並ぶ瀬戸内三大船祭りの一つです。


上の写真は「坂越の船祭」予定表


上の写真は「坂越の船祭り」の主役の名簿です。






上の3枚の写真は坂越の船祭りを担う主役達です。

2018年の坂越の船祭の様子を動画で紹介します。

2018年 坂越の船祭り on 2018-10-14 その1 バタ板掛け

中途半端な記事となってしまいましたが本日はこれから出かけなければならないので
この辺でアップします。
後日、補充していく予定です。

 

以下、2020年12月20日に加筆

この記事にピッタリの坂越散策と坂越の船祭をYoutube動画で紹介されていましたので

Gooブログで共有させていただきました。

赤穂市 坂越の船祭 街並みレトロ散歩 4K

また、祭の日というサイトでもすばらしい動画で坂越の船祭を紹介されていますので

リンクさせていただきました。

 赤穂市大避神社 坂越の船祭り -2020年- [祭の日] (matsuri-no-hi.com)

以下は2022年10月10日及び11日に追記しました。

2022年の坂越の船祭は10月9日(日)に3年ぶりに実施されました。
私は残念ながら見に行けませんでした。
神戸新聞の10月10日朝刊1面に写真入りで紹介されていました。(下記リンク)


同じく神戸新聞が2022年の坂越の船祭についてYoutube動画を作成されて
いますのでGooで共有させていただきました。
秋の湾内に“歴史絵巻”が復活 赤穂「坂越の船祭」3年ぶり開催 舞う男衆、厳かに船渡御
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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

2018年11月18日 04時53分58秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第21回 小倉御前之碑を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡


上の写真が小倉御前之碑です。
小倉御前は南朝方の最後の天皇第99代後亀山天皇(在位は1383-1392、生没年は?-1424)
の皇子で京都嵯峨野の小倉山に住み小倉宮と慕われていたが足利将軍家との争いに敗れ
坂越に隠れ住んでいました。嘉吉の乱(1441)後、山名持豊が坂越に進出するに及び
ことこれまでと坂越の海に入水自殺したという。
その場所の海底に御前岩と呼ばれる岩があったが現在は「ふるさと海岸整備」により
埋め立てられ陸地となっているが海から見て御前岩があった方向に「小倉御前の碑」
と説明板が設置されています。
大避神社祭礼の船渡御では船団が東の浜から出航してすぐの亀の甲付近を通過時に
各船から酒・塩・洗い米を海中に投げ入れ御前岩の方向に向かって遥拝が行われている。




上の写真は現地説明板です。
御前岩の名称は小椋御殿岩と書かれています。

小倉御前之碑の設置場所については下記サイトの地図に記載されています。
http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/books/sakoshisansaku.pdf

嘉吉の乱(1441)
嘉吉元年(1441)6月24日播磨、備前、美作3国の守護赤松満祐(あかまつ みつすけ)
は京都の私邸(京都西洞院二条)で室町幕府6代将軍足利義教公を殺害します。
さらに将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城に帰ります。そこから
足利ゆかりの安国寺(加東市東条町)で盛大な法要を営んで葬ったと伝えられています。
この事件を嘉吉の乱と呼び「嘉吉物語」や「嘉吉太平記」に詳しく書かれています。
足利義教の首級は7月1日、季瓊真蘂が赤松満祐に会い、義教の首の返還を求めた。
赤松満祐は快く首を返還した。真蘂が京都へ首を持ち帰り、7月6日に等持院で
義教の葬儀が行われた。
室町幕府側の管領細川持之の要請で嘉吉の乱から2か月後に朝廷から赤松追討の綸言を得て
幕府軍として赤松勢と明石、塩屋で合戦し、小勢の赤松軍は敗れました。明石での合戦では
赤松満祐の弟の赤松祐尚が大蔵谷に陣を構え幕府軍と戦いました。赤松祐尚は中巌和尚を
敬慕していましたので、居城を三木に移すにあたり、陣屋の跡を寺院にしたと言います。
墓地には赤松祐尚夫妻の墓があり、夫婦の法号の「見江院」「大蔵院」が山号と寺名に
なっています。これが大蔵院のはじまりです。

赤松満祐は本拠地赤松村に帰り、城山城で戦ったが敗れて満祐は自害、子の教康も
逃げる途中で自害した。赤松満祐が将軍として擁立した足利義尊も殺されました。
この乱(嘉吉の乱)で播磨、備前、美作3国は没収され赤松氏の嫡流家は滅亡した。


南北朝の統一(1382)
第100代天皇後小松天皇(在位1382--1412、生没年1377-1433)が即位後10年経った
明徳3年(1392)、足利義満により南北朝が統一されました。
北朝第6代として即位した後小松天皇は南朝の後亀山天皇から三種の神器を受け取り
正式に皇統を継承しました。
南北統一に伴い公武の両権力の頂点にたった足利義満は中国の明皇帝から「日本国王」
の称号を与えられています。

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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

2018年11月17日 05時59分02秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第20回 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡


上の写真は前回(第19回)で紹介した坂越浦城跡・御番所跡(展望広場)から観た
宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡です。現在は公園となっています。

こちらに下の写真のような説明板があります。(下の3枚の写真)






説明書きに書かれていない内容を中心にもう少し詳しく書いていきます。

明治6年(1873)に坂越初の小学校「松風校」校舎として使用される前はこの地に
宝珠山妙見寺の本堂と山門がありました。
開校当時は旧妙見寺本坊明覚院山門が校門に本堂が校舎として使用されていました。
として坂越地区では松風校の開校後に妙道寺に示申校、南野中に梨智校、砂子村に文明校の
合計4校が開設されました。
松風校(松風小学校)は明治8年(1875)には洋沿小学校、さらに名前が何度か変わり
最終的に坂越小学校となりました。
坂越小学校となってから昭和38年(1963)に高谷に移るまでこの地にありました。
説明板の写真で昭和35年(1960)の写真には校舎と共に山手の坂越浦城跡・御番所跡
(展望広場)が運動広場として使用され坂小の人文字が写っています。
明治41年(1914)この地に新校舎を建設するため本堂と山門は解体縮小して観音堂の
敷地に移築されました。
本堂は昭和54年(1977)に老朽化と大雨で倒壊しています。

現在残る妙見寺の山門と説明書きを添付しておきます。(下の4枚の写真)










説明書きは読み難いので文章を再掲します。

旧妙見寺本坊明覚院山門
「明治時代に旧『松風校』の校門に使用されていました。明治五年に学制がしかれ、
明治六年に妙見寺に松風校、妙道寺に示申校、南野中に梨智校、砂子村に文明校の
四校が開設されました。松風校の校舎には妙見寺本坊明覚院の本堂が使用されました。
明治八年には坂越村、砂子村、浜市村、高野村、北野中村の連合で妙見寺明覚院の敷地に
『洋沿小学校』が開設されました。
明治四十一年新校舎建設のため、旧本堂校舎を解体縮小して、観音堂の敷地に移築し、
坂越村の『学制記念物』として永代保存する事になりました。
 村民の総力で移築工事に奉仕し、生徒達は瓦一枚の運搬作業に半紙一枚の褒美が貰えたと
語り継がれています。
 昭和五十三年、観音堂下段にに移築された旧本堂が老朽化したため、保存工事を発願し
『宝珠山妙見寺修復事業協賛会』を結成しました。
しかし寄付金を募集中に梅雨末期の大雨のため、旧本堂が自然倒壊しました。
 旧本堂玄関頭上の板額『妙見寺』、廊下の板額『松風台』、内陣頭上の板額『本地堂』の
三枚は管理事務所内に保存展示されています。
 旧本堂内陣に祀られていた弘法大師像、仏舎利塔、本尊仏像は事前に移動されて
現在観音堂内に安置保存されています。」
平成23年3月21日
坂越浦史跡保存会
宝珠山 妙見寺


宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡の遠景と説明書きの遠景の写真を当日に撮っていないので
Googleのストリービューより写真(下の3枚の写真)を添付して筆を置きます。






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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 御番所跡・坂越浦城跡

2018年11月16日 04時42分57秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第19回 御番所跡・坂越浦城跡を紹介します。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像




上の2枚の写真は坂越浦城跡・御番所跡で現在は公園となっている平地と現地説明板
説明板には下記のように記載されています。

坂越浦城跡・御番所跡

坂越浦城は、「坂越浦砦」または「坂越城」とも呼ばれ、室町時代に播磨地方を
支配していた山名氏が築いたといわれています。
その後、龍野城主である「赤松下野守村秀」の通城(かよいじろ)となり、坂越を
支配したといわれています。
江戸時代には、この展望台の前の小高い場所に赤穂藩の御番所が置かれ、坂越浦に
出入りする船の監視をしていました。



赤松村秀(1493-は、出自に諸説あるものの、父を赤松政則とすれば、祖父は赤松時勝になります。

Wikipediaより赤松村秀の解説文を引用紹介します。
赤松 村秀(あかまつ むらひで)は、戦国時代の武将。播磨国龍野鶏籠山城主である。
出自に関しては2通りの説がある。まず1つ目は明応2年(1493年)、播磨の守護大名で
ある赤松政則の子として生まれるが、庶子であったために一族の支持を得られず家督相続
することができなかったため、赤松家は娘婿の赤松義村が継ぐこととなり、
塩屋城主・宇野政秀の養子となり、後に政秀が龍野城を築城すると、その城主となった
という物である。尚、義村からは偏諱(「村」の字)を賜っている。
2つ目は政則の子ではなく、龍野赤松氏の赤松則貞の実の孫であるという説で大永5年(1525)
には祖父の則貞を自ら龍野城内で殺害して龍野赤松氏を継承したという。
村秀は、赤松本家の補佐に努め、小寺氏や宇野氏と協力し浦上氏との抗争に貢献し、
天文9年(1540年)に死去。享年48。跡を子の赤松政秀が継いだ。


赤松村秀(1493-1540)が入った赤松家の系譜図を添付しておきます。


現地は完全に公園化されているため、遺構はほとんど確認できない。しかし、この高台から
坂越港・播磨灘を俯瞰すると、中世から多くの船が行きかい、戦略的にも航路の要所で
あったことが想像される。
1564年にルイスフロイスが著した「日本史」に、塩飽港になかった堺行きの大型船が
すでに坂越港にはあったと記述。

坂越浦を見渡せる場所に説明板があったので添付しておきます。(下の3枚の写真)







最後に坂越浦城跡・御番所跡から観た坂越浦の景観写真を添付して筆を置きます。
(下の2枚の写真)




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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

2018年11月15日 04時11分31秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第18回 山崎善吾の銅像を紹介します。

山崎善吾(1882~1947)は昭和3年(1928)に坂越村の村長となり港湾を埋め立て
荷揚げ場んを整備、大日本紡績(現ユニチカ)坂越工場の誘致、水道の整備、
役場を移築し町制へ、国鉄赤穂線で坂越駅を設置、道路の整備などに尽力した人物です。
徳富蘇峰(徳富猪一郎)と交流があったようで顕彰文は蘇峰が書いています。



シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所


上の写真は坂越村村長を勤め坂越の発展に功労のあった山崎善吾の銅像
銅像は大避神社の参道から宝珠山へ通ずる道を少し進んだ小高い平地(坂越浦城跡・御番所跡)
の片隅にあり昭和22年(1947)4月8日に建設されました。

坂越村から赤穂市に至るまでの履歴

明治22年(1889)浦方に千種川筋を含めた6集落による坂越村

昭和11年(1936)8月1日 坂越町成立

昭和26年(1951)赤穂町、坂越町、高雄村が合併して赤穂市成立




上の2枚の写真は山崎善吾を顕彰した事蹟が書かれた碑文
徳富蘇峰(徳富猪一郎)撰 花岳伯仙の書
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Kazu passion 南園でのランチ  on 2018-11-10

2018年11月14日 18時07分25秒 | 神戸情報
2018年11月10日にいただいたKazu passion 南園でのランチを
写真紹介します。

以前は「Chinese 南園」や「中国菜館南園」として紹介しています。
お店を改装され一新しました。

Kazu passion 南園の基本情報

住所:神戸市垂水区西舞子2丁目12-28 TEL:078-781-3467
ジャンル:中華料理
営業時間:11:30~15:00(LO 14:00)17:30~22:00(LO 20:30)
定休日:火曜日(変更)


地図は下記ブログに掲載しています。
 中国菜館南園でのランチ on 2014-12-7

当日はPassionランチ1,500円(税別)を注文しました。


まずサラダが出てきます


マヨネーズの味がすばらしいエビ盛りです。大好きです。


上の写真は当日のメイン 魚を使用した料理でした。


次にミニラーメンがついてきます。


締めのデザートの杏仁豆腐とコーヒー
当日は特別サービスでタピオカもついてきました。


上の写真はお店の外観


上の写真はランチタイムのメニュー表

最近の訪問記
記事にしていない時もあるのでもっと頻繁に訪問しています。
 Chinese 南園 でのランチ on 2016-5-24

Kazu passion 南園でのランチ on 2016-11-2

Kazu passion 南園でのランチ on 2017-5-29

Kazu passion 南園でのランチ  on  2017-11-27
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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

2018年11月14日 04時57分28秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第17回 旧坂越浦会所を紹介します。

旧坂越浦会所は天保2年(1831)に建築され明治まで坂越浦の会所として
使用された他、赤穂藩主(森忠徳の時代)が坂越に視察された時には休憩所として
使用されました。
「会所」は行政や商業などの事務をとるための施設です。

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社


第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚


第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂


第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり


第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台




上の2枚の写真は旧坂越浦会所の近景と遠景


旧坂越浦会所の基本情報
住所:赤穂市坂越1334 TEL:0791-48-7755
開館時間:10:00~16:00
休館日:火曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12/28~1/4)
入館料:無料


公式サイト(赤穂市教育委員会事務局生涯学習課)


上の写真は旧坂越浦会所の位置を示した地図

Goo地図も添付しておきます。







上の3枚の写真は北前船こども交流プロジェクトの皆様が作成されたパネル
第39回 「坂越地区ふるさとまつり」の文化展で展示されていました。

廻船数の推移の表で元禄4年の西暦表示が1961年となっていますが1691年が正しい。

旧坂越浦会所は何をしていた所かな?
坂越港に入船した地名・入船数・人名数などを記帳した客船帳および坂越廻船の動向、
廻船数や反帆数などの船舶管理を行っていた会所である。
竣工は天保2年(1831)、平成4年(1992)に赤穂市の指定文化財に指定


旧坂越浦会所の説明文




上の2枚の写真はリーフレット及び現地説明板で解説の旧坂越浦会所の説明文

建物平面図

上の写真は旧坂越浦会所の建物平面図

建物概要
構造:本瓦二階建て、桁行7間、梁間4間の切妻の奥棟と、梁間3間の入母屋屋根の正面棟から
   構成される寄棟、梁間1間半、桁行1間の玄関庇が付く。
延面積:1階 164.255㎡
    2階 123.592㎡
部屋数:1階 8部屋
    2階 10部屋 5庭
敷地面積:315.58㎡


御成之間(観海楼)





上の3枚の写真は藩主専用の部屋として使用されていた御成之間(観海楼)と説明板
この部屋からは坂越湾と生島がよく見え気分も癒されます。

落之間



上の2枚の写真は赤穂藩主が昼寝をした部屋で落之間と名付けられています。

その他の部屋






坪庭


人力車


展示

上の写真は旧坂越浦会所の建物内の展示で生島(いきしま)と秦河勝伝説に関して
解説されています。


赤穂藩主が立ち寄った場所ということで陣笠などが展示されています。




上の写真は廻船業と北前船2枚のに関する解説パネル




上の2枚の写真は古文書などの展示。天狗面が目を引いた。


上の写真は旧坂越浦会所の壁や瓦(巴の解説)の展示

旧坂越浦会所に関する史料には、以下のものが残されています。
(1)報徳会文書
 「明和二年(1765)酉四月廿四日 會所蔵建替諸事控」
 「明和二年(1765)酉七月 會所蔵建替入用帳」
 「天保二年(1831)卯四月ヨリ 會所普請諸入用書抜帳」
 「明和二年(1765)酉四月廿四日 會所蔵建替諸事控」
 「明和二年(1765)酉四月廿四日 會所蔵建替諸事控」
(2)會所日記
 「天明六年(1786) 諸事覚日記」
 「明治二年(1869) 諸事仮手控帳」
(3)絵画史料
 「坂越浦(版画)」(嘉永年間)
(4)墨書銘
  昭和六年(1931) 棟札(坂越公会堂改修時のもの)
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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

2018年11月13日 04時51分46秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第16回 とうろん台を紹介します。

「とうろん台」は坂越湾を航行する船舶に海洋気象を知らせた場所です

シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺


第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社


第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚



第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋


第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社


第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂


第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり


第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井


上の写真は復元された「とうろん台」
平成23年(2011)に県光都土木事務所が土台を構築し、
平成25年(2013)10月7日に県の「ふるさとの風景づくり整備事業」の補助を受け、
坂越まちづくり連絡協議会(大野重徳会長)が
旧坂越浦会所の前の県民交流広場に復元モニュメントを整備したそうです。
地元住民グループ「坂越のまち並みを創る会」(門田守弘会長)も費用負担に協力した。


現地説明板

上の写真は現地説明板






上の3枚の写真は現地説明板を拡大したもの。
説明文は下記のとおり。

このやぐら台を通称「とうろん台」と呼び坂越港に航行する船舶に海洋気象を知らせる
施設でした。当時は神戸海洋気象台から坂越郵便局に入電する気象情報を鳥井町にあった
役場の人が日中は布製蛇腹の吹き抜きをとうろん台の柱の上に掲げ、夜はランプを吊って
船舶に報せました。
この櫓は当時の物を縮小再現したものです。
とうろん台がその役目を果たしていた当時の規模は下記の通り。

 高さ  約2.7m
 台上面 約5.4m
 台下面 約9m

吹き抜きの布製蛇腹は直径 約1m、高さ約1mの大きさでした。
               坂越地区まちづくり連絡協議会


神戸海洋気象台は大正9年(1920)8月26日に開設されていますので
実際に運用されたのはそれ以降で昭和12年(1937)頃にその役目を終え、その後の
護岸工事で姿を消したようです。
明治時代には全国各地の測候所に「信号柱」と呼ばれる設備があり、吹き流しや旗などの
標識で天気予報や警報を知らせたが、通信技術が発達するにつれて消失していった。


関連ブログ:
神戸海洋気象台の設置と日本気象学の父・岡田武松





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