7月15日(土)は当初、糸満市・平和創造の森公園でオール沖縄会議の「遺骨が眠る南部の土砂で辺野古を埋めるな! 政府は戦没者の尊厳を護れ --- 7.15県民集会」が予定されていた。しかし、沖縄でのコロナ禍が深刻な状況となってきたため、残念ながら9月以降に延期となった。
それでもいくつかのグループから、せっかく予定していたので現地に行きたいという連絡があり、ガマフヤー支援者の会とうるま市島ぐるみ会議が現地で集会を開くこととなった。
午後3時、熊野鉱山北側の農道には60名以上の人たちが集まった。具志堅隆松さんが戦没者の遺骨が残る南部の土砂問題全般の話をし、私が、まもなく始まる熊野鉱山開発問題の経過と問題点を説明した。
その後、魂魄の塔から、熊野鉱山東側入口に隣接したシーガーアブ(有川中将以下将兵自決の壕)に行った。皆に、アブの中を見てもらった後、シーガーアブの説明をした。
このアブには昔から地元の人たちが畏敬の念をもって接してきたこと。戦争当時、日本兵だけではなく、米須地区の住民ら7家族も避難していたが、米軍に石油を投げ込まれて焼き殺されたこと。戦後も約70体の遺骨が見つかっているが、その後、本格的な調査は行われていないこと。熊野鉱山の土砂搬出道路が2つのアブを繋ぐ地下の洞窟部分の上に造成されることから、アブの崩落が危惧されること。私たちが何度も県教委や糸満市教委に申入れた結果、県教委がシーガーアブを「埋蔵文化財包蔵地」として認め、文化財保護法により、開発業者にアブ内部の測量を指示したこと。県も、この測量が終るまで、土砂搬出道路の農地一時転用を許可しないこと等の話をした。
数日前からは、地上部の測量作業も始まっている。周辺の農地には、以前にはなかった「立入禁止」のロープが張られていた。この辺りは鉱山開発のための駐車場や、土砂・石材置場になる。
この付近には慰霊碑が多く、緑にも囲まれた静かなところだが、鉱山の開発、ダンプトラックの行き来等により、一帯の静謐な雰囲気は完全に破壊されてしまう。魂魄の塔のすぐ横、米須霊域に接した個所で鉱山開発が始まってしまうのは残念でならない。
今年初めから、南部の島ぐるみ会議のメンバーらが連日、現地の監視行動を続けている。事業が始まったとしても、各法令や届出内容が遵守されているかを皆で監視をしていくことを確認した。
(熊野鉱山北側農道での集会)
(その後、熊野鉱山東入口付近へ。シーガーアブの説明)