チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

米軍実弾演習阻止の闘いの地---喜瀬武原(きせんばる)から恩納岳を望む

2011年08月21日 | 沖縄日記・沖縄の戦跡

 (正面が恩納岳。右側が米軍の実弾演習で禿山となった金武岳、ブート岳。県道104号線から)

 

 沖縄に来てしばらく経った頃、海勢頭豊のコンサートに行ったことがある。その時聞いた「喜瀬武原」の歌の調べが忘れられない。この歌は、復帰直後に始まった米軍の実弾砲撃演習阻止の闘いの中で生まれたものだ。

 平良修さんは、この歌について、「運動の中から私たちが生み出し、静かに深く、激しく高く、くり返し歌った『きせんばる』は、私たちにとって今なお力であり続けている。」(『硝煙の日々 沖縄刑特法裁判闘争の記録』)と書かれている。

 海勢頭豊「喜瀬武原」  (歌詞は末尾に掲載)

 

 8月21日(日)、その現場に行きたいと金武町から県道104号線を辿り、喜瀬武原を訪ねた。

 当時、米軍は、県道104号線を封鎖し、キャンプハンセンから恩納岳方面に向かって155ミリ砲の実弾砲撃演習を続けていた。生活道路を一方的に封鎖し、住民の頭ごしに砲弾を撃ち込む米軍の演習に対して、地元恩納村喜瀬武原の住民や支援団体の怒りは爆発、1974年2月、ついに県道の阻止線を突破し、着弾地のブート岳、金武岳に突入して演習を一時中止に追い込んだ。

 実に熾烈な闘いだったようだ。米軍の憲兵隊に拳銃で驚かされたこともあったという。「5、6人がMPにつかまったので公民館から皆を集めました。その時に、催涙ガスとかいろいろ使用されたので、石を投げたりしてMPを追い散らし彼らを奪還したのです。」(前掲書) この日をきっかけに、実力阻止の闘いに入っていく。

 1974年10月。沖縄原水協らの阻止団は、県道を車で占拠し、はじめて組織的に「決死隊」を着弾地に送りこんだ。山頂でタイヤを燃やして煙をたき、米軍演習を全面的に阻止することに成功。1975年2月には、阻止団200人が3日間にわたって金武岳の山頂を完全に占拠、一発の実弾発射も許さなかったという。山頂には茅葺きの「闘争小屋」が作られ、泊まり込み部隊を配置。ふもとでは数百人の阻止団が陣取り、米軍、機動隊を一歩も寄せ付けなかった。

 さらに、同年3月には、厳しくなった警備網をぬってジャングル内でゲリラ闘争を展開、金武岳・恩納岳・ブート岳一帯の着弾地に潜入して3たび演習を完全に阻止する。こうして、喜瀬武原闘争と言われた実弾砲撃演習阻止の闘いは沖縄中を揺るがしたという。

 ところが、同年7月、多数の阻止団が山中深く潜入しているにもかかわらず、米軍は155ミリ砲弾を撃ちまくり、阻止団の一人が砲弾の破片のため、重傷を負う。さらに、同年9月、阻止線を突破して金武岳と女岳山頂で”潜入成功”ののろしをあげることに成功。演習を実力で阻止したが、その直後、4名が山中で逮捕されてしまったのである。

 こうして「正当な理由がないのに米軍施設、区域内に侵入した」として、沖縄で初めての刑特法裁判が始まった。あの砂川事件の裁判長だった伊達秋雄氏(安保条約にもとづくアメリカ軍の駐留は憲法9条違反という画期的な判決を出した)が弁護団長となり、200名の大弁護団が組織されたが、地裁、高裁とも、執行猶予付きの有罪判決が下される。しかし、原告らは最高裁への上告を「拒否」。1983年、裁判闘争は終結した。

 この喜瀬武原の闘いは、実力で米軍の実弾砲撃演習を数次にわたって阻止した輝かしいものとして、今も、沖縄では懐かしそうに語る人たちが多い。

 

 (金武町から恩納村に向かう県道104号線。当時、この県道は封鎖され、頭上に砲弾が飛び交った。)

 (喜瀬武原の公民館。当時の反対運動の拠点だった。)

 

 上記の運動の経過は、『硝煙の日々 沖縄刑特法裁判闘争の記録』(沖縄原水協)による。この本は、県立図書館でも、現在、「禁帯出」となっているが、昨日、偶然、インターネットで見つけた宜野湾の古書店に行って購入したものだ。

 (住民区域のわずか500mの砲座から実射する米軍155ミリ砲(同書より))

 (米軍は軍用犬を使って阻止団を捜索した。そのため、阻止団は消臭剤を使ったという。)

  (実射訓練付近の図(同書より))

 

海勢頭豊「喜瀬武原」 

 1喜瀬武原陽は落ちて 月が昇る頃
  君はどこにいるのか 姿もみせず
  風が泣いている 山が泣いている
  皆が泣いている 母が泣いている

 2喜瀬武原水清き 花のふるさと
  嵐がやってくる 夜明けにやってくる
  風が呼んでいる 山が呼んでいる
  皆が呼んでいる 母が呼んでいる

 *闘い疲れて ふるさとの山に
  君はどこにいるのか 姿もみせず

 3喜瀬武原空高く のろしよ燃え上がれ
  平和の祈りこめて のろしよ燃え上がれ
  歌が聞こえるよ はるかな喜瀬武原
  皆の歌声は はるかな喜瀬武原

 *闘い疲れて家路をたどりゃ
  友の歌声が心に残る

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