12日(火)は、那覇の珊瑚舎スコーレでの講演。10歳~18歳ぐらいの子どもたちが20名ほど集まってくれた。子どもたち相手に辺野古のことを話すのは初めてだったが、いつも何気なく使っている用語も、一瞬、「ああ、子供たちには難しいのではないか」と考えて別の言い方を探すなど、いい経験になった。
13日(水)は、久しぶりに琉球セメント安和桟橋へ。水曜日なので大勢の人たちが集まっている。
今日も山城博治さんが指揮。ゲート前で座り込むのではなく、ただ、皆で行ったり来たりするだけの抗議行動だが大きな効果がある。砕石場から来たダンプは右折して桟橋に入ろうとするが、乗用車による「順法」闘争もあって青信号の間に1台のダンプが入るのがやっとだ。
(国道の右折車線には、ダンプトラックの長い列ができている。)
今日は、海上でも10艇のカヌーによる抗議行動が繰り広げられた。陸と海とが一体となった抗議行動により、結局、土砂を積んだ船は1隻しか出ることができなかった。
防衛局は3月25日から新しく②工区へも土砂を投入すると言っているが、実際には、土砂の供給が全く追いついていない。下の表を見ても分かるように、琉球セメント安和桟橋を出る土砂海上搬送の台船は、1日に1台だけの日も多くなっており、明らかに減ってきている。
大浦湾に土砂を積んだ台船が来ても、今は、陸揚げできる桟橋がK9護岸の1個所しかないため、大浦湾で船が待機する状態が続いている。そのため、琉球セメント安和桟橋を出た台船も、本部港(塩川地区)の沖合で待機していることも多い。
防衛局はそのために、K8護岸の造成を急ぎ、土砂の陸揚げ桟橋を増やそうとしているのだが、250mの造成には未だ数か月を要するだろう。4月からは本部港(塩川地区)の補修工事が終るので琉球セメント安和桟橋と本部港(塩川地区)の2か所から土砂搬送が始まるが、実際には運搬船の台数をそんなに増やすことはできないのだ。
工事は決して順調には進んでいない。
(本部港(塩川地区)の沖合で待機を続ける土砂運搬船)