4月28日、今日は沖縄にとって「屈辱の日」だが、安倍首相は日米首脳会談で再び沖縄を切り捨てようとしている。午前6時からシュワブ基地前で辺野古新基地建設に反対する抗議集会、午前9時からはカヌーと抗議船に県議団らが乗り込み海上抗議集会、そして夕刻6時からは那覇市の県民広場で大規模な抗議集会が開かれた。
海上行動でとんでもない大事故が発生した。海保が抗議船「ラブ子」にぶつけるようにして接舷し、大勢の「海猿」たちが飛び移ったため、「ラブ子」は転覆。乗員4名が海に投げ出された。4名はまもなく救助されたが、うち一人が海水を大量に飲み込み、ぐったりとしているため、救急車で病院に搬送された。
・「辺野古沖で抗議船が転覆」(NHKテレビニュース 2015.4.28)
このNHKテレビの映像を見ても転覆の状況がよく分かる。「ラブ子」は定員6名。我々のメンバーらが4名乗っているところに、4~5名の保安官たちが乗り込んだ。さらに海に飛び込んだ保安官が「ラブ子」に乗り込もうとしたため、船は大きく傾き、そのまま転覆してしまったのだ。
また、沖縄タイムスのWEB「辺野古で抗議船転覆 4人転落 海保警備が原因か」は、「ラブ子」の乗員が撮影した生々しい映像だ。
(海保の保安官たちによって転覆させられた瞬間。(沖縄タイムス 2015.4.29))
(完全に転覆したまま汀間漁港まで曳航されてきた「ラブ子」。Mさんたちが潜り、やっと半分起き上がった。)
「ラブ子」は、以前にも海保の保安官たちが大勢乗り込み、転覆しかけたことがある。その時は6名の乗員のうち4名が海に投げ出されたが、幸い、プロペラがフロートに引っかかって転覆は免れた。私も時々「ラブ子」を操船するが、保安官たちが近づいてくると、「船長として通告する。保安官たちが定員以上に乗り込むとこの船は転覆する恐れがある。絶対に乗り込むな」と保安官たちを制止する。保安官たちも以前の転覆寸前の事故のことを知っているものだから「ラブ子」には乗り込まず、規制をする場合はゴムボートを横付けして沖合に曳航していくことが多かった。今回は、転覆する恐れを認識していながら過剰な規制に走ったのだから許せない。
昨日(27日)も、「勝丸」が海保のゴムボートに衝突され、船体が破損する事故が起こったばかりだ。 4月6日には海保の指揮船が「不屈」に衝突し、「不屈」は大破した。この間の海保の規制を見ていると、抗議船やカヌーをスパッド台船に絶対に近づけないために、「ぶつけてでも止める」「少々ケガ人が出てもかまわない」という方針が取られているようだ。
(遠くからの写真なので不鮮明だが、中央のゴムボートの前に転覆した「ラブ子」の船底が見える。)
(汀間漁港まで曳航されてきた「ラブ子」)
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(以下は、今日1日の写真。)
(午前6時からゲート前で集会。海保や作業車が入るのを阻止した。)
ゲート前集会を午前8時で終え、議員団は海上行動に移った。「平和丸1号」「平和丸2号」「勝丸」「美ら海」「ラブ子」「さと号」に議員さんたちが乗り込んだ。私は、Yさんと「平和丸2号」を担当した。
(松田ぬ浜から出発準備をするカヌー隊。今日は26艇のカヌーが出た。)
午前10時頃、出発するカヌー隊。「平和丸2号」もカヌー隊に伴走して辺野古に向かう。
シュワブの浜には米軍の水陸両用戦車が出てきていた。
辺野古からフロート内に入り、クレーン船に近づくカヌー隊。今日はカヌーが多いので、何艇かのカヌーが海保のゴムボートの規制をすり抜けて台船に近づいて行った。
(海人たちも漁船を連ねて抗議行動に参加してくれた。)
辺野古から長島の間を抜け、大浦湾に入ったところで丁度、「ラブ子」の転覆事故の知らせを受けた。一人が救急車で搬送されたというので心配でならない。すぐに現場に行こうとしたが海保のゴムボートが「フロート内には入るな!」と阻止する。「人命にかかわる事故ではないか」「人命救助は海保の最重要の仕事だろう。何故、こんなところで我々を規制するのだ。すぐに救助に向かえ!」「人命とフロートのどちらが大事なのだ!」と抗議するがどうしようもない。
結局、詳しい状況が分からないまま辺野古漁港に戻り、県議らに降りてもらって汀間漁港に向かった。
転覆して船底を上にしたまま海保のゴムボートに曳航されて戻ってきた「ラブ子」を見て唖然とする。
夕刻、那覇に戻り、午後6時からの県民集会に参加した。