18日(木)、京都時代からの古い友人・新聞記者のHさんが久しぶりに沖縄に来てくれた。夜、名護で地元紙の記者たちやO弁護士、関西の3人の大学教員らが集まって遅くまで賑やかな交流会。
翌19日(金)は、全員が早朝からシュワブのゲート前に集まった。座り込んでいると、午前7時前に機動隊が出てきて強制排除が始まった。水、木が集中行動日なのでほとんど工事車両が入れなかったので、その分を取り返そうと防衛局も焦っているのだろう。O弁護士も、3人の大学教員らも、皆、強制排除されて歩道上に作られた「檻」に閉じ込められてしまった。
数台の工事車両が入った後、やっと皆、「檻」から解放された。急いで海上行動のミーティングへ。今日も海は荒れているとのこと。ともかく船長全員が汀間漁港に行き、海の様子を見て海上行動をするかどうか判断することとする。
汀間漁港に着いたが、やはり南の風が強く、大浦湾には外洋のうねりが入り込んでいる。すぐに海上行動の中止を決め、カヌー隊に連絡する。それでも、せっかくHさんやO弁護士らが来てくれているので、私とNさんで「美ら海」だけを出し、できる範囲の海案内をしようということになった。
弾薬庫下で船を止め、防衛局の作業の説明をする。コンクリートブロックを積んだ台船の動きはない。海上ボーリング調査をしていた台船は、海にガイドパイプを残したまま浜近くまで撤退している。
航路入口の方に向かおうとしたが、南風が強く、波しぶきをかぶるので無理はできない。結局1時間ほどで海案内を終える。
船を陸揚げしてから、皆をジュゴンの見える丘に案内する。ほとんど人の手が加えられていない自然の雄大な海岸線に皆、感激してくれた。