(古本屋や図書館で入手した第32軍司令部壕に関する文献・資料のいくつか)
沖縄県が、首里城地下にあった第32軍司令部壕に関する説明板から、「住民虐殺」と「慰安婦」に関する説明を削除したことは、2月25日のブログでも紹介した。
この問題については、県議会でも大きな問題となったが、仲井真知事のかたくなな姿勢もあって、改ざんを取り消させることはできていない。1999年の平和祈念資料館の展示が改ざんされそうになった際は、県民世論が沸騰し、改ざんを阻止することができたのだが、このままでは、今月中にも、改ざんされた説明板が現地に設置されてしまう。
平和祈念資料館の展示の改ざん事件の際、石原昌家さんは、「第2、第3の『歴史改ざん事件』が発生するであろうことを危惧する」(『争点・沖縄戦の記憶』)と述べられたが、今回の事件はその典型的なものだ。
第32軍司令部壕に「慰安婦」がおり、「住民虐殺」があったという証言や記録は多い。ここ数日、目取真俊さんがブログ「海鳴りの島から」で、精力的にそうした資料を連日、紹介されている。私も、図書館や古書店を回り、目取真さんが紹介された資料に順次、あたって確認している。とりあえず今までに目を通したのは、琉球新報の連載(「戦禍を掘る 出会いの十字路 32軍司令部」(1984.3.12~3.26)、「首里城地下の沖縄戦 32軍司令部壕」(1992.6.17~8.13))や、渡久山朝章『南の巌の果てまで 沖縄学徒兵の記』、龍潭同窓会編『傷魂を刻む わが戦争体験記』などだ。
(琉球新報 1992.6.24(夕))
県が、説明板から「慰安婦」「住民虐殺」を削除した理由は、「慰安婦はいなかった、住民虐殺は見なかったという証言もある。どちらか一方だけの証言を採用するわけにはいかない」というものだ。しかし、私が少しあたった上記の資料からだけでも、壕には慰安婦がおり、住民虐殺があったという事実は間違いがない。
3月2日の沖縄タイムスで渡名喜守太さんが次のように指摘されている。「ある事実、現象があったことを証明する場合、事例を一つでも挙げれば存在は証明され、なかったことを証明する場合、全てにおいてなかったことを証明しなければなかったことは立証できないのである。したがって、証言のある日本軍による住民虐殺や日本軍「慰安婦」の事実は証明されたのであり、県側の論は成り立たない。」
たとえば、辺野古の海岸に行って、ジュゴンを見なかったからといって、ジュゴンが存在しないとはいえない。ジュゴンを見たという証言が一つでもあれば、それだけでジュゴンの存在は立証できるのだ。それを、「見なかった」「見た」という両者の証言があるからといって、「ジュゴンがいるかどうか不明だ」という理屈は通用しないのは明らかだろう。
私は、この問題について、2月27日に関係する公文書の公開請求をしている。14日(水)に開示されるので、新たな事実が判明すればまた報告しよう。