9月20日(日)は、未明に右翼グループがゲート前の座り込みテントを襲い、負傷者が出るなどの大変な事態となった。朝も、警察の現場検証が続き、一帯は長い間、立入禁止とされてしまった。
この日は、昼前から山城博治さんの退院祝いと田港のオジイのトーカチ(数え年88歳)祝いが予定されている。未明の右翼グループの暴力行為で一時は開会が危ぶまれたが、皆の懸命の努力で無事、開催することができた。
ゲート前には2人を祝おうと500名ほどの人たちが集まった。正午頃、田港のオジイと山城博治さんが現れた。皆の指笛や拍手が鳴り止まない。山城博治さんがゲート前で自らの病気を明らかにしたのは、今年の4月20日だった。それからちょうど5ケ月、昨年の夏から、辺野古の闘いを独自の発想と見事な戦術、そして誰にも愛される人柄でリードしてきた山城博治さんが、闘病生活を克服し、元気な姿を現してくれたのだ。こんな嬉しいことはない。
50人ほどが「かぎやで風」を踊った後、田港のオジイ、山城博治さんがマイクを握った。山城博治さんは、まず、闘病生活の間もゲート前で果敢な闘いが続いていることに、感謝の言葉を述べた。その頃はまだ静かな口ぶりだったが、やがて話は次第に熱っぽくなっていく。そして後半は、以前の「博治節」が復活、言葉が次々とほとばしり、まるで吠えるような見事な演説が続いた。彼のこの演説は、もう天性のものだ。
山城博治さんとは、午後、浜のテントでゆっくりとお話をすることができた。もう少し体力の回復に務めた後、ゲート前に戻ってくるという。しかし、彼のことだから、戻ってくるとすぐに無理をしてしまうだろう。あまりあせらず、完全に回復してから現場に戻るようお願いした。
(冒頭、2人のお祝いに、50人ほどが「かぎやで風」を踊った。)
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今日(21日)は、国際ワークキャンプの一行を高江に案内する予定だったが、義母の急病のために行くことができず、申し訳ないことをしてしまった。後で聞くと、マイクロバス3台で計70名が高江を訪れたという。