お盆になり今朝の電車はいつになく空いていた。
お天気は変りやすく蒸し暑さを感じる曇天であった。
会社の帰り道、なんだか線香の匂いが、と思って
あたりを注意すると迎え火を焚いていた。
こういう風習がまだ残っているんだ、と感じ入った。
田舎だと迎え火、送り火というのはしないが
薬缶に水、線香、お花を持って自分ちのお墓と親戚のお墓を
巡る。田舎だからかお墓は近い。
自分ちのお墓は歩いて2,3分の裏山だ。とにかく近い。
つくづく最近の住民記録に残っている実在の疑わしい高齢者の
ニュースを聞くにつけ、人生のクロージングがいい加減に
あしらわれている世の中になっているのか、と暗然たる気分になる。
国の要素、国民としてのまとまりが、その基本の部分の
家族、家庭というものが「個人主義」なのか解体への世論形成
なのかわからぬが、とにかく希薄化へと進んでいることだけは
確かのようである。
個個の家庭のこととして放置されている、政治の立ち入りが
躊躇されることだから、その方向に表立って異を唱えにくい
雰囲気がある。
家族・家庭がしっかりまとまって、その上に国の安定が
あると思うのだが。理想に過ぎないか。
お天気は変りやすく蒸し暑さを感じる曇天であった。
会社の帰り道、なんだか線香の匂いが、と思って
あたりを注意すると迎え火を焚いていた。
こういう風習がまだ残っているんだ、と感じ入った。
田舎だと迎え火、送り火というのはしないが
薬缶に水、線香、お花を持って自分ちのお墓と親戚のお墓を
巡る。田舎だからかお墓は近い。
自分ちのお墓は歩いて2,3分の裏山だ。とにかく近い。
つくづく最近の住民記録に残っている実在の疑わしい高齢者の
ニュースを聞くにつけ、人生のクロージングがいい加減に
あしらわれている世の中になっているのか、と暗然たる気分になる。
国の要素、国民としてのまとまりが、その基本の部分の
家族、家庭というものが「個人主義」なのか解体への世論形成
なのかわからぬが、とにかく希薄化へと進んでいることだけは
確かのようである。
個個の家庭のこととして放置されている、政治の立ち入りが
躊躇されることだから、その方向に表立って異を唱えにくい
雰囲気がある。
家族・家庭がしっかりまとまって、その上に国の安定が
あると思うのだが。理想に過ぎないか。
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