新聞の書評欄には目を通すほうだが、ピックアップBOOKSも参考にしている。
ここで、最近100万部を超えたというベストセラー『国家の品格』が取り上げられていた。
この本の雰囲気はこの書評で十分かと思う。
形式論理の精華である数学者が形式的情緒への回帰物語といったところか。
主張、本題は「武士道精神」こそ日本の品格と言いたいらしい。
形式論理に埋没していると、現実と理想の区別がつかないようで、普通の人が
情緒的世界に生きているのに、今更ながらにそのような見方があることに
気付いた、と言っているようで、なんでこの本がベストセラー?と思う。
専門分野に没頭している人が、極普通の世間のことの感想なり考えなりを吐露
すると何言ってるんだか、と思う。
「武士道精神」なんて理想であり、武士の実態が目に余るものがあり、
かくあれかしと著したものが「葉隠れ」ではないのか?
それを形式的に理想化して云々するのは勘違いと思うが。
何だか、将棋の世界での有名人が教育のことに口をさしはさんで、
とある場で恥をかいた、という前例に似ている気がする。
「国家の品格」は、その時の国を代表する宰相の品格に帰着する。
「心の問題」と言っている限り論理も何もない程度の国家である、という
ことを世界に向けて代表しているのだと思う。
「武士道精神」が未だに実現したこともない理想であり、現憲法も政権を
担当する為政者により同様に見果てぬ理想ではないのだろうか?
当時の武士は国民の僅かな人でしかなく、それが国家の理想という論旨展開は
いかがなものだろう?論理の人の展開とは思えない。
あの武士達が明治維新でどうなったのか?絶滅希少種?
一歩下がって、「武士道精神」を体現した立派な人たちもいた、という論旨なら
マイナーな人たちにその精神が生き続け賞賛に値するということなのか?
だとすれば、国家の理想である憲法をこの世に実現させたいと願う少数派に
一理あるというものだ。
数を頼みに公約にも掲げない事を推し進める政治に何の理想があるというのか?
そんなことをこの書評から感じ取れただけでもこの本の意味がありそうだ。
ここで、最近100万部を超えたというベストセラー『国家の品格』が取り上げられていた。
この本の雰囲気はこの書評で十分かと思う。
形式論理の精華である数学者が形式的情緒への回帰物語といったところか。
主張、本題は「武士道精神」こそ日本の品格と言いたいらしい。
形式論理に埋没していると、現実と理想の区別がつかないようで、普通の人が
情緒的世界に生きているのに、今更ながらにそのような見方があることに
気付いた、と言っているようで、なんでこの本がベストセラー?と思う。
専門分野に没頭している人が、極普通の世間のことの感想なり考えなりを吐露
すると何言ってるんだか、と思う。
「武士道精神」なんて理想であり、武士の実態が目に余るものがあり、
かくあれかしと著したものが「葉隠れ」ではないのか?
それを形式的に理想化して云々するのは勘違いと思うが。
何だか、将棋の世界での有名人が教育のことに口をさしはさんで、
とある場で恥をかいた、という前例に似ている気がする。
「国家の品格」は、その時の国を代表する宰相の品格に帰着する。
「心の問題」と言っている限り論理も何もない程度の国家である、という
ことを世界に向けて代表しているのだと思う。
「武士道精神」が未だに実現したこともない理想であり、現憲法も政権を
担当する為政者により同様に見果てぬ理想ではないのだろうか?
当時の武士は国民の僅かな人でしかなく、それが国家の理想という論旨展開は
いかがなものだろう?論理の人の展開とは思えない。
あの武士達が明治維新でどうなったのか?絶滅希少種?
一歩下がって、「武士道精神」を体現した立派な人たちもいた、という論旨なら
マイナーな人たちにその精神が生き続け賞賛に値するということなのか?
だとすれば、国家の理想である憲法をこの世に実現させたいと願う少数派に
一理あるというものだ。
数を頼みに公約にも掲げない事を推し進める政治に何の理想があるというのか?
そんなことをこの書評から感じ取れただけでもこの本の意味がありそうだ。
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