気ままに自転車ツーリング♪

70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

何となく一日が終わるものだ

2014-12-10 20:56:09 | 印象的な世の中の出来事
世に裨益することのない凡人の日々は淡々としたものだ。
一応は仕事に出るものの社会にどのような貢献をしているか確とした答えを持ち合わせていない。
それでもそのような日々の仕事をこなして対価を得られていることに感謝したい。
そうでなければ自らを納得させることができない。

私だけかな。

夕方、食後に今週末の選挙のために争点となっている項目について候補者の立ち位置を見ながら、自分はどうなのかと赤鉛筆でプロットしてみた。
どの候補者とも一致する考えのものはなかった。
当然だろう。
多分、大方は次善か、あるいは、この争点だけは一致していれば、と選ぶんだろう思う。
あるいは、争点にはない別の観点、たとえば経歴とか学歴、出自とかで。

私には、そのどれもが選択する基準にはならない。

こうなったら、争点ごとに国民の意志を問う方法がいいのでは、とまで思う。
それで多数意見が決まれば、たとえ真逆でも従いたい。
むしろ争点に対し、判断材料を提供してくれる代議士(代わりに議論してくれる人)択ぶ選挙であってほしい。
代議士の賛成多数で決するのではなく、代議士の意見を参考に国民が判断する仕組みが望ましい。
従来なら、争点ごとに投票所に出かけて賛否を表明する仕組みは費用面、人々の都合から困難であった。
でも、ネットで賛否の意思表明する仕組みを構築するのも今の技術なら可能に思う。

ITの進歩の意義は、間接民主主義から直接民主主義への実現にあると思うから、そのような仕組みの構築を望む。
誰かに任せて事足れりより、一つ一つの政策事案に個々に賛否を表明できてこそ政治に参加しているという実感と責任をわが身のこととして受け止めることができそうな気がする。

よって、旧態依然の手法での選挙に投票所へ向かう気も萎える。

結果は、当然、受け入れるが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 寒い日が続く | トップ | まったりとした午後を »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

印象的な世の中の出来事」カテゴリの最新記事