先輩が東北新幹線工事の進行に伴い北上していた。
いつか本州最北端に達した。
私は、先輩に会いたくてふと思い立って青森に向けて
19時08分上野発夜行急行「八甲田」に乗っていた。
時は1978年12月15日(金)であった。会社帰りで上野駅に
直行した。
暮れも近いということで、出稼ぎのお父さん方が帰省するのか
通路を挟みながら酒を酌み交わしていた。
夜も明けやらぬ5時36分に野辺地に着く。
この日は下北半島への列車に乗り換える。
お岩木山が青森湾の向こうに遠望できる。
大畑からバスで大間へ。
「ここ本州最北端の地」の碑がある。
波は穏やかで、ウミネコか、波間に羽を休めたり、飛翔したり
している。
折り返して、青森駅を経由し津軽半島の終点三厩駅に向かう。
駅では予て訪問を連絡しておいた先輩が車で出迎えてくれた。
家族用簡易住宅には奥様と幼子が歓待してくれた。
翌日竜飛岬に立つ。冬の津軽海峡に直面し強風が吹き荒ぶ。
岬の近くに先輩が携わる青函トンネルの本州側工事現場が
見おろせる。
今日見たプロジェクトXは、その青函トンネル掘削に挑む
人たちの記録である。
そんなわけで先輩を思い出した。
三厩駅を昼過ぎたち青森を経由し盛岡へ。
盛岡19時49分発夜行急行十和田2号で上野に18日月曜の早朝
5時19分に到着。
一旦、家に戻り出社する。
実にこの2泊3日の強行的な旅行で悔いの残るのは、
会社へのお土産に買った青森林檎を急行の網棚に置き忘れたこと。
当然駅に問い合わせても、遺失物届は出ておりません、とのこと。
つい懐かしくなり、ささやかな思い出話です。
いつか本州最北端に達した。
私は、先輩に会いたくてふと思い立って青森に向けて
19時08分上野発夜行急行「八甲田」に乗っていた。
時は1978年12月15日(金)であった。会社帰りで上野駅に
直行した。
暮れも近いということで、出稼ぎのお父さん方が帰省するのか
通路を挟みながら酒を酌み交わしていた。
夜も明けやらぬ5時36分に野辺地に着く。
この日は下北半島への列車に乗り換える。
お岩木山が青森湾の向こうに遠望できる。
大畑からバスで大間へ。
「ここ本州最北端の地」の碑がある。
波は穏やかで、ウミネコか、波間に羽を休めたり、飛翔したり
している。
折り返して、青森駅を経由し津軽半島の終点三厩駅に向かう。
駅では予て訪問を連絡しておいた先輩が車で出迎えてくれた。
家族用簡易住宅には奥様と幼子が歓待してくれた。
翌日竜飛岬に立つ。冬の津軽海峡に直面し強風が吹き荒ぶ。
岬の近くに先輩が携わる青函トンネルの本州側工事現場が
見おろせる。
今日見たプロジェクトXは、その青函トンネル掘削に挑む
人たちの記録である。
そんなわけで先輩を思い出した。
三厩駅を昼過ぎたち青森を経由し盛岡へ。
盛岡19時49分発夜行急行十和田2号で上野に18日月曜の早朝
5時19分に到着。
一旦、家に戻り出社する。
実にこの2泊3日の強行的な旅行で悔いの残るのは、
会社へのお土産に買った青森林檎を急行の網棚に置き忘れたこと。
当然駅に問い合わせても、遺失物届は出ておりません、とのこと。
つい懐かしくなり、ささやかな思い出話です。
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