学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

開沼博『「フクシマ」論─原子力ムラはなぜ生まれたのか』

2012-05-29 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月29日(火)09時26分28秒

暫く新ブログの更新をサボっていましたが、今夜から鬼のように更新する決意です。
ツイッターの要領もだいぶつかめてきたので、今後は原発事故関係は原則としてツイッターの方で書くことにしようと思っています。


>筆綾丸さん
>それは言い過ぎです
私もオウムにおける中沢新一の役割をそれほど知らなかった、というか、あまり直視したくなかったので情報を集めなかったのですが、言い過ぎじゃなかったのかもしれないですね。

>「東日本大震災が原発事故という人災を引き起こし」
この部分は歴史学研究会の執行部の方々としては絶対に譲れないところなんでしょうね。
「被害が集中する確率の高い地域を生み出すメカニズムの解明」なんていうのも、おそらく開沼博氏の『「フクシマ」論─原子力ムラはなぜ生まれたのか』のような議論になったのでしょうが、性急な結論を出さずにじっくり考えようという態度に変化しただけでも去年よりはずいぶんマシになったと思います。


開沼博氏の顔を初めて見たときは40代くらいの人かと思いましたが、1984年生まれで、まだ28歳なんですね。
人類というよりは牛に近いような容貌で、一種独特の迫力がある人です。
同書購入前に「あとがき」を眺めたら、学部時代には上野千鶴子ゼミにいて、吉見俊哉・姜尚中等にも指導を受けていたとのことなので、「カルチュラルスタディーズ」や「ポストコロニアルスタディーズ」などが好きではない私にはあまり参考にはならないのだろうと思って読み始めたところ、実際、あまり参考にはならなかったのですが、福島に多数の原発が設置されるようになった歴史的経緯を簡単に眺めるのには良い本ですね。

(追記)
開沼氏のご尊顔。
ファッションセンスは東大だから、まあ、仕方ないですね。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

resilience 2012/05/26(土) 22:18:34
小太郎さん
http://www.shinchosha.co.jp/book/377903/
むかし、『日本人は思想したか』を読んだとき、中沢新一氏は頭の良い人だなあ、と思いましたが、どうも好きになれません。
以前、中沢新一はなぜ日本に帰ってきたんだ、チベットで死んでおればよかったのではないか、というようなことを書いて、小太郎さんから、それは言い過ぎです、とたしなめられたことを思い出しました(笑)。
『オウム真理教の精神史 ロマン主義・全体主義・原理主義』を読みながら、『八日目の蝉』で新興宗教の女教祖を演じた余貴美子の鬼気迫る姿が、しきりに脳裡をよぎりました。

http://ejje.weblio.jp/content/resilience
resilienceという単語は科学分野でよく使われるものの、プレートテクトニス理論からすれば、地震もプレートのresilienceによるのだから、「災害回復(レジリエンス)の再検討」という使い方は、知的な格好付けのつもりかもしれませんが、ちょっと無神経な感じがしますね。表現方法は、ほかにいくらでもあろうに。
また、「東日本大震災が原発事故という人災を引き起こし」とありますが、これは、「津波が原発事故・・・」とすべきですね。

周知のとおり、平禅門の乱は鎌倉大地震後に発生した粛清ですが、今回は、馬鹿者どもが蛆虫のように発生し、はなはだ不愉快ですね。日本人の宿痾のようなものなのかなあ、とイヤになります。
コメント
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