投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 5月30日(水)06時52分31秒
『河北新報』のコラム「河北春秋」より引用。(2012年5月30日)
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東日本大震災では何が起き、あるいは起きなかったのか。発生した事実は写真や動画、体験談などで記録されつつある。一方で、起こらなかったことに目を凝らすのは難しい▼福島県立博物館長で学習院大教授の赤坂憲雄さんは「震災と在日韓国人」というテーマに関心を寄せる。1923年の関東大震災では、多くの朝鮮人が暴行・虐殺されたとされる。「朝鮮人が放火している」などの流言飛語が不幸な歴史を生んだ▼悲劇を繰り返さないでほしい。赤坂さんは震災直後から、祈るような気持ちだったという。「東北では今回、在日の人たちへの差別はなかったと思う。それは、なぜか」と問う▼まず本人たちから話を聞こう。被災地で、在日韓国人から聞き書きするプロジェクトを始めた。目標は100人。大学の研究者やライター、作家らが協力する
▼大震災では混乱時にも争わず、店の前に整然と並ぶ人々の姿が称賛された。だが、表面からは見えにくい場で、何が起きていたのか。在日韓国人の視点から見直すことで、新たな問題が浮上するかもしれない▼「起きなかったこと」を透視する作業は、想像力と根気が要る。だが、気付かなかった震災の姿を探ることにもつながるはず。成果は来年3月にも出版される。
赤坂憲雄氏って、やっぱりちょっとずれていますね。
「悲劇を繰り返さないでほしい。赤坂さんは震災直後から、祈るような気持ちだったという」とありますが、関東大震災後の朝鮮人虐殺は、その時点での特有の歴史的背景・社会情勢があったから発生したのであって、同様の事態が2011年3月の東北で起きるはずがありません。
そういう頓珍漢な心配をするのは単に赤坂氏の頭が悪いからですね。
差別による悲劇は別の形で現に発生しているのだから、関心はそちらに集中しろ、と私は思います。
もちろん「在日韓国人の視点から見直すこと」自体は意味があるでしょうね。
なんで「韓国人」に限定するのかはよく分かりませんが。