大正・昭和期の外交官・政治家。土佐自由党の竹内綱の5男として東京に生まれる。
東大卒業後、外務省に入り奉天総領事・外務次官・駐英大使などを歴任。
太平洋戦争中、親英米派として軍部と対立。敗戦後、東久邇稔彦・幣原喜重郎両内閣の外相となる。
鳩山一郎の公職追放後あとをうけ、1946年5月から54年12月まで日本自由党・民主自由党・自由党総裁。
その間、7年余にわたり政権を担当、対米協調路線を堅持した。
第3次内閣の1951年、サンフランシスコ平和条約を締結し、日本の独立を回復した。
●サンフランシスコ平和条約
ベック式暗記法!
一句(いっく)合意さ よし安保(あんぽ)。
1951年 サンフランシスコ平和条約
第3次吉田茂内閣
日米安全保障条約