ナイル川流域の歴史
2011 北海道大学
【問】次の文章を読み、問いに答えなさい。
古代ギリシアの歴史家( A )は「エジプトはナイルの賜物」という言葉を彼の著作に残している。
ナイル川は、モンスーンの影響で(1)エチオピア高原に降る雨のために毎年7月中旬に増水を始める。
それによって夏の終わりから秋にかけて起こる洪水はナイル川流域に肥沃な土壌をもたらし古代より(2)エジプト文明を育んできた。
ヴィクトリア湖周辺を水源とする白ナイルと、エチオピアのタナ湖を水源とする青ナイルは、(3)スーダンのハルトゥームで合流し、ナイル本流となってエジプトを北上する。
この本流はカイロ近郊で2つの支流に分かれ、肥沃なデルタ地帯主形成して地中海に注ぎ込む。
カイロは、969年にエジプトを支配下に置いた( B )が新都として建設した町であるが、それに続く(4)アイユーブ朝時代に発展をとげ 1250年に成立したマムルーク朝の時代になると、国際的商業都市、イスラーム世界の政治的・文化的中心都市として繁栄を極めた。
この時代、カーリミー商人と呼ばれた貿易商が、東方の物資を(5)インド洋・紅海方面からエジプトにもたらし( C )などの港湾都市で、(6)イタリア商人と交易活動を行った。
一方、エジプトの農村部では(7)イクター制が施行され、比較的安定した状態が続いたため、農業の発展が見られ、小麦や大麦に加えて( D )などの商品作物の栽培も盛んになった。
- 問1.空欄A~Dに適当な語句を入れなさい。
- 問2.
- 下線部(1)について、(ア)紀元前から9世紀頃までこの地で栄えた王国の名称を答えなさい。また、(イ)1936年にエチオピアを併合した国家の名称と、(ウ)その国の指導者の名前を答えなさい。
- 問3.
- 下線部(2)について、(ア)新王国時代に唯一神アトン(アテン)への信仰を強制する宗教改革を行ったファラオの名前と、(イ)彼が定めた首都の名称を答えなさい。
- 問4.
- 下線部(3)について、1885年にこの都市を占領したマフデイー派の抵抗運動について説明しなさい。
- 問5.
- 下線部(4)について、(ア)この王朝を樹立した人物の名前と、この人物が公的に支持したイスラームの宗派を答えなさい。
- 問6.
- 下線部(5)について、(ア)15世紀末にインドのカリカットに到達したポルトガルの航海者の名前と、(イ)その後ポルトガルに占領されて東方進出の拠点、となったインドの都市名を答えなさい。
- 問7.
- 下線部(6)について、この時期の彼らの交易活動の内容と意義を説明しなさい。
- 問8.
- 下線部(7)について、この制度を簡潔に説明しなさい。
解答
問1 A. ヘロドトス B.ファーティマ朝 C.アレクサンドリア D.サトウキビ
問2 ア アクスム王国 イ.イタリア ウ.ムッソリーニ
問3.(ア)アメンホテプ4世(別解:イクナートン) (イ)テル=エル=アマルナ
問4.自ら救世主を意味するマフディーを称したムハンマド=アフマドが、イスラーム教徒のマフディー派を率いてイギリスの侵略に抵抗し、一時ハルツームを占領したが、最後は鎮圧された。
問5.(ア)サラディン(別解:サラーフ=アッディーン) (イ)スンナ派 問6.(ア)ヴァスコ=ダ=ガマ (イ) ゴア
問7.ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどの港市を拠点に、十字軍運動を契機として東方貿易に進出し、ムスリム商人から香辛料や絹織物、宝石などを買い付けてヨーロッパにもたらし、商業を復興させた。
問8.ブワイフ朝に始まりセルジューク朝でイスラーム世界に一般化した制度で、軍人・官僚に俸給に見合う金額を徴収できる土地の徴税権を与えるもの。 ※イクタ―制の内容の覚え方
解 説: ナイル川流域のエジプト、スーダン、エチオピアに関して古代から現代までを概観したのがリード文である。
問1.c カーリミー商人