江戸時代の旗本・御家人について述べた【A】~【C】の文章を読み、あとの問いに答えなさい。
【A】 将軍直属の家臣である(a)旗本・御家人は、俗に「旗本八万騎」と呼ばれたように、当初は軍事的役割が重視されていた。
しかし幕政の安定にともない、戦乱のおこる可能性が低下した結果、幕府を支える(b)役人としての役割が大きくなっていった。
なかにはその専門分野で才覚を発揮し、出世の糸口にした例もみられる。徳川綱吉の時代には、(c)荻原重秀が上申した財政再建築が採用され、勘定奉行にまで出世する契機をつかんだ。
また( ア )事件の際に浅野家の遺臣たちに討たれた吉良義央も、その専門知識で名を知られた人物であった。
問1 下線部(a)の旗本・御家人について述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 旗本は将軍に謁見を許されたが、御家人は原則として許されなかった。
- 旗本・御家人には、江戸時代を通じて一般的に知行地が支給され、大名と同じく江戸と国元1年交代を原則とした。
- 江戸の町では、身分ごとに居住する地域がはっきりと区分された。旗本・御家人は町人に比べると少人数だが、より広大な武家地を割りあてられた。
- 旗本・御家人の家では戸主の権限が強く、財産や家業は長子を通じて子孫に継続されるのが一般的であった。
正解 2
御家人は初めから、旗本も、のちには幕領からの年貢を蔵米として支給する棒禄制度が一般的になった。
問2 下線部(b)に関連して、旗本が就任する役職の郡代・代官について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 郡代・代官に任命された旗本は、町奉行の下で幕領の地方行政を担当した。
- 江戸時代には全国の耕地面積が飛躍的に拡大した。郡代・代官が資金を投じて町人の労働力により開墾した町人請負新田の開発も、その原因の一つである。
- 大御所時代に創設された関東取締出役は、代官支配下の幕領にのみ捜査権が認められていたため、ほとんど成果をあげることができなかった。
- 反射炉の建築で知られる江川太郎左衛門は、代々伊豆韮山の代官をつとめる世襲代官という家柄であり、旗本のなかでも上位の待遇を受けた。
正解 4
1.郡代・代官は、勘定奉行のもとで地方行政をおこなった。
2.町人請負新田は、町人の資本により開発された新田のこと。
3.関東取締出役は、知行形態を超えて犯罪を取締ることが可能だった。
問3 下線部(c)の荻原重秀が実行した貨幣政策について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 当時の経済は質の悪い貨幣が大量に流通していたためにインフレ気味であった。そこで質の高い正徳金銀を発行し、経済の安定化に努めた。
- 当時の幕府財政は、明暦の大火の復興費や文治政治の採用により赤字であった。そのために慶長金銀の改鋳をおこない、金含有量の低い元禄金銀を発行した。
- 当時の銀貨は秤量貨幣であり、計数貨幣である金貨との交換には両替商を経由する必要があった。この手間を省いて取引を円滑にするために南鐐弐朱銀を鋳造した。
- 国内外の金銀比価が違うことから多量の金貨が海外に流出したため、幕府は金貨の品質を下げる万延貨幣改鋳をおこなった。
正解 2
1.は正徳の治(新井白石)、3.は田沼政治、4.は幕末開港後をさす。
問4 空欄( ア )にあてはまる語句として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
- 赤穂
- 宝暦
- 紫衣
- 生麦
正解 1
赤穂事件は、浅野長矩が吉良義央を江戸城内で斬りつけたことで始まる。
吉良の専門である儀式の準備をめぐり、衝突があったからといわれる。
浅野は切腹し、その藩は改易となったが、翌年、浅野の遺臣たちが吉良を襲撃して討ちとった。