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地図問題 中国の古典文明

2015-01-21 | 入試問題+ゴロ合わせ


 1.a の川の名を答えよ。

  2.b の川の名を答えよ。

 3.d からj の中から仰韶を選べ。

 4.d からj の中から竜山を選べ。

 5.d からj の中から半坡を選べ。

 6.長江下流域にある紀元前5000年ころの遺跡の場所をd からj の中から選び、遺跡名も答えよ。

正解 1.黄河 2.長江 3.e 4.i 5.f 6. g 河姆渡

 ※ 半坡遺跡は西安にある。Cの川である渭水との合流地点にあるから水が「」。 

●dは北京原人の骨や周口店上洞人の骨が発見された竜骨山があることで有名な周口店

●h は竜山文化との関連が指摘される浙江省の良渚

g は河姆渡

◎kは殷墟

 

 

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世界史 中国仏教の歴史 入試問題

2015-01-21 | 入試問題+ゴロ合わせ
 
2006 立命館大学

【問】次の文章を読んで空欄に最も適切な語句を記入し、下線部についてあとの問に答えよ。

 仏教が漢代に伝来して以来,1つの外来宗教から中国人の宗教として定着しはじめたのは両晋から南北朝にかけてである。

北では五胡十六国から北魏などの北朝政権が,漢人の儒教にかわって仏教を支配原理として利用し,仏教文化が栄えた。石窟もさかんに造営され,洛陽の南の(  A  )などが文化遺産として有名である。

ちなみにこの時代の仏教は国家鎮護的性格が強かったといわれている。

一方(  B  )層の文化が花開いた南朝では,仏教はまず(  B  )層に受け入れられた。

東晋時代の僧の(  C  )は,江西省廬山の東林寺に白蓮社という念仏結社を設立したことはよく知られているが,そこに集った人々は高僧や上流階級の信者で,一般民衆の参加は見られなかった。

後に(1)(  C  )を開祖とするこの宗派が民衆の間に広まり,中国仏教の主流の1つとなるのは宋代以降のことである。


 この間,多くの(2)仏教僧が中国に渡来しさまざまな経典を翻訳してきた。

しかし経典の訳出は必ずしも組織的、系統的になされた訳ではなく,訳経僧の出身地もさまざまで偶然的な要素も強かったので,当時の仏教は多くの経典と諸学派の教説の寄せ集めであった。

その後それらの経典のなかから中国人が,特定の経典によって自分達は救われると考え,自覚的に教義研究を行うようになった。華厳経を重んじる華厳宗や法華経を重んじる智の(  D  )宗は,そうした機運のなかから生まれた宗派である。

前者は唐の則天武后期に最盛期を迎え,後者は隋の煬帝の支持で教団の基礎が確立し,唐宋時代に盛んになった。


 また唐代には新たに経典をもとめてインドを目指す僧も出てきた。

玄奘は,唐の(  E  )皇帝の禁止にもかかわらず、(3)ひそかに経典を求めて出国し、645年に多くの仏典・仏像をたずさえて帰国した

帰国後は(  E  )皇帝の勅命で経典の翻訳にあたり,膨大な新訳を完成させた。

新たな宗派ももたらされた。(  F  )宗は北魏時代に来朝した達磨を開祖とし,座禅と瞑想による実践を重視した。

唐中期ごろ,(  G  )宗は玄宗皇帝の治世にインドから伝えられた。

はじめ道教を信仰していた玄宗は、この新伝来の仏教に冷ややかであったが,インド人僧が娘の重病を秘法でもって救ったことから帰依し,(  G  )宗は唐王朝の庇護を受けることになり,安史の乱中から乱後にかけて,政界で活躍する僧侶も出た。

(1)
この宗派は何か。
(2)
西域亀玄出身で,中国の五胡時代,後趙の石虎に重用された僧侶は誰か。
(3)
玄奘がインドで厚遇を受けたヴァルダナ朝の王は誰か。
 
 

解 答 

A.竜門 B貴族 C.慧遠 D.天台 E.太宗 F. G.真言 (1).浄土宗 (2).仏図澄 (3).ハルシャ王 ※別解 ハルシャ=ヴァルダナ王
 

解説 「智」の「」の文字にある「」で「天台宗」とつなげよう。

(2)「後趙」と「仏図澄」どちらも「チョウ」。

世界史入試問題 大阪大学 2012 2 

2015-01-21 | 入試問題+ゴロ合わせ

【2】 次の文に関連する、以下の問いに答えなさい。 

13世紀初頭、チンギス・ハンのもとに統一された騎馬遊牧民を中核とするモンゴル帝国は、ユーラシアの東西に急速に拡大していった。

この世紀の半ば過ぎまでに、東は(1)朝鮮半島・日本海沿岸から、西はイラン・イラク・アナトリア高原・ウクライナ・ロシアにいたる史上最大の領域を持つ大帝国が形成されていった。

 1260年に即位した五代目の大ハーン、クビライは、モンゴル帝国とそれをめぐる世界に二つの大きな変化をもたらした。

第一はクビライ以後、大元ウルス(元朝)の大ハーンのもとにチンギス・ハンの血統をついだ(2)各地のモンゴル諸政権が連合する形に帝国の性格が変わったことである。

 第二は、14世紀前半にかけて(3)ユーラシアと北アフリカにおいて陸と海とをつなぐ交通ネットワークが形成され、ヒト・モノ・カネ・情報がさかんに行きかうようになったことである。

それには、クビライがユーラシア東方で北の遊牧世界と南の農耕世界を合わせた帝国を形成し、さらに南宋征服後、東南アジアからインド洋へと海上進出をはかっていったことが背景にあった。

世界の一体化は、ヨーロッパ人の大航海時代以前、すでにこの規模にまで進んでいたのである。

問1 下線部(1)「朝鮮半島」へのモンゴルの本格的な侵攻は1231年に開始され、断続的に続いた。

当時、朝鮮半島を支配していた王朝は1259年にモンゴルへの抗戦から服属へと政策を転換し、その王家とモンゴル皇族は通婚関係を結ぶにいたった。

その王朝名を答えなさい。

 また14世紀末にはモンゴルへの服属が解消されたが、その時期の朝鮮半島における政治変動について説明しなさい(70字程度)。

問2 下線部(2)「各地のモンゴル諸政権」のうち、フレグ・ウルス(イル・ハン国)と大元ウルスとの友好関係は際立っていた。

それを背景としてフレグ・ウルスで編纂されたモンゴル帝国および世界各地域の歴史をペルシア語で記した書物(a)、および大元ウルスでイスラーム天文学の影響を受けて作成された暦(b)の名称を答えなさい。

なおこの暦は17世紀の日本で改良され、「貞享暦」として用いられた。

問3 クビライ以後、下線部(3)にある「陸と海とをつなぐ交通ネットワーク」が、どのように形成されたか、またネットワーク上ではどのような人々が交易に活躍したか、どんな通貨が用いられるようになったかについて、下記の四つの用語をすべて使って説明しなさい(150字程度)。

 泉州 海運 大都 ジャムチ

 

 

2

問1 高麗。

中国で明が元を撃退すると、朝鮮半島の宮廷は親元派と親明派が争い混乱した。

倭寇討伐で名を挙げた親明派の李成桂が混乱を収拾し李氏朝鮮を建国した。

問2 (a)集史 (b)授時暦

問3 陸では、南ロシア・西アジアまで支配した元のもとでジャムチと呼ばれる駅伝制が発達した。

ジャムチは大都も通っていたため、大都に西方の情報や文物が集まった。

陸ではソグド人が活躍した。海では、泉州を開港した。東南アジアを支配し海運も発達した。

インド洋と中国をイスラム商人が活躍した。通貨は交鈔が流通した。

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